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『愛をたっぷりもらってごらん』

2008-09-30 | 生き方
愛をたっぷりもらってごらん 『 愛をたっぷりもらってごらん 』

                  金盛 浦子 著 

  金盛さんの本てなんだかホッとするんだな~

 ゆらぎがあってこそ自然

世界は、いつも波打っているということ知ってるでしょ。物事は、なんにしても一直線に動くのではなくておたがいに波打ちながら、こっちに曲がりしながら、いつしかたどりつくべきところにたどりつく。


宇宙のメカニズムもそう。宇宙には波があふれているし、星たちはたがいに引き寄せたり反発したりしては、波打つエネルギーを曲げっこしている、っていうじゃない。
わたしたちだって、宇宙の一部、宇宙の中の一粒なんだから、やっぱり波のまにまに漂っているんだし、自分自身の毎日だって波打っているんだよね。
だからこそ、わたしたちもゆらぐの。今日の調子と明日の調子がちがったり、元気だったり落ちこんだり、心の殻も薄くなったり厚くなったり。
そういうゆらぎをくり返しながらも、少しずつ少しずつよい方向へ、よりよいところへたどりついていければいいよね。


だから、昨日はできたことなのに今日はできないとしてもあせることはないし、今日はできない自分を許して受けいれてあげてほしいの。
周囲にいる誰かのことでも同じ。昨日はできたことを今日はできないでいる誰かを、許して受けいれるあなたでいられたほうが、あなた自身が幸せになる。
だって、わたしたちはゆらいでいてこそ自然なんだもの。ゆらぐことを無理に抑えこもうとしたら、心も身体も息苦しくなってしまうもの。
あたりまえじゃない。それは宇宙のメカニズムである“波打つ”ということに逆らうことだもの。世界を支配しているメカニズムに逆らいながら生きようとしたら、息苦しいし、せっかく薄くしようと願っている殻だって、知らず知らずのうちに厚くなってしまうじゃない。


大丈夫。わたしたちの心は、波打ちながらも、かならずよい方向へ、よいところへと向かって進んでいるから。心は無理強いさえしなければ、その力をちゃんと発揮してくれるんだから。
だからね、なぜか知らず、はっきり原因もわからないまま、いつもよりもずっと殻がかたく厚くなって、閉じこもってしまうことがあったとしてもいいの。
そんなときは「ごめんね。今日のわたしは、ちょっと調子が悪いみたい」と周囲に伝えて、ゆっくりゆっくり、そのときにラクなように過ごしていればいい。それはね、たぶん知らぬまに受けてしまった心の傷を、みずから癒しているときなんだから。


人の心って、自分自身に優しくていねいだと、ほかの人に対しても優しくていねいにできる。それも愛だものね。

 魂は宇宙の中心に灯るぬくもり

外の宇宙の旅と、心の中の宇宙の旅。
それは表裏一体。本当に、まったく同じ感動にあふれる旅になるよね。
外の宇宙の旅も、心の中の宇宙の旅も、両方とも試してみれば気づくんじゃないかな。宇宙の真ん中にあってそよ風を送ってくれる光と、あなたの心の真ん中にいてあなたを生かしてくれている魂とは、まちがいなく“同じなにか”だったじゃない。
外に向かっての旅も、内側に向かっての旅も、気づいてみれば、どちらも殻をとりさっていく道筋だったでしょ。
ほんのひとときかもしれないけど、いつもは心をおおっている殻がすっかりなくなってしまうと、宇宙の中心も魂も、あなたの心そのものに溶けあってしまったよね。


わたしはこんなふうに想像しているの。宇宙の中心には、たぶんこの世界に生きているあらゆる生命が共有している魂の“おおもと”があるんじゃないか。
これって、すごく素敵な発想だと思わない?
だってほら、宇宙の中心には魂があって、その魂をあらゆる生命、あらゆる人々が共有している。あなたの心の真ん中にある魂は、宇宙の中心の魂につながる“あなた専門の出張所”だと想像すると、本当に素晴らしいイメージがわきあがるよね。
わかる?殻がすっかりなくなって、宇宙の中心、心の中心にふれたときのあなたは、世界中のあらゆる人々の魂にふれられているということになるじゃない。


わたしは、それはまちがいなく“事実”だと信じているの。だから、いつもいつも宇宙の中心へ旅すること、心の中心へ旅することを忘れないで過ごしている。
もちろんわたしの心だってギスギスすることがある。愛の渇きを感じてしまうことだってある。だからこそ、いつかたどりつきたい。外にも内にもある魂に、ゆったりと優しく、そして深くふれてみたい、感じてみたいと祈っているの。


わたしたち一人ひとりの人生は、それぞれがそれぞれの旅をちゃんと成しとげるように、プログラムされているんじゃないかな。
わたしはそう信じている。
信じるからこそ、ていねいに生きていきたいな、自分の心を大事にしたいな、自分の心と同じようにみんなの心も大事にしたいなと念じている。

   みんな みんな それぞれの旅を生きているんですね~。 

      

           今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                   つながっているすべての人に ありがとう    

 

 

 

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『からだに聞いて こころを調える』

2008-09-27 | 心理

からだに聞いてこころを調える

             『 からだに聞いて こころを調える 』

                  ジョーン・ボリセンコ著 伊東博 訳

  自己観察している方にいいかも

    

    許しの意味 

 許し(forgiveness)という言葉は、議論を呼び起こしそうな言葉です。その意味についてはだれでも違った意見をもっています。ある人にはそれは、宗教上の戒律であって、理屈としては立派だけれども、実行は難しいものです。それは、十字架の上で死のうとしているキリストのイメージを呼び起こさせます---
彼を苦しめた人たちを同情の目で眺めながら、「神よ、彼らを許してやって下さい。なぜなら、彼らは、自分が何をしているのかわからないのですから」と祈っている姿を------。ある人はこのイメージに積極的に自分を結びつけます。またある人は、それは責任の放棄であり、ただ犠牲になるだけだ、と言います。

許しにはまた、理論的にも健全で、実際的にも実践可能な理解のし方があります。それは、世俗的な信仰体系にも、宗教的な信仰体系にも一致するものなのです。-----許しとは、あなた自身と同じものであるすべての人間の核心を受け入れて、その人たちを判断しないという贈り物をすることです、と。


あなたは、ある人の行動が、その人を判断することなしに受容することができるかどうか、はっきりさせることができるのです。

心理学者は親たちに対して、子どもを批判するな、批判するなら子どもの行動だけにしなさい、と注意します。「お前はバカだ」と言うのは、「お前の行動は、私には受け入れられません」と言うのとは非常に違います。
もしある人が、あなたがその人を尊重し、価値を認めてくれているということを知っているならば、あなたのその人についてのコメントは歓迎されるのです。

しかし、もしあなたがその人の性格を攻撃しているならば、どんなコメントも----たとえそれがどんなにはっきりしていることでも----こころに留められることはないでしょう。許しは自分から始まって、他人に広がって行くものなのです。あなた自身の存在の核心が他のいかなる人のそれとも同じように尊いものであり、すばらしいものだと受け入れることは、あなたが自分自身に与えることのできる最も大きな贈り物なのです。

後にではなく、今すぐに、自分自身を愛することを学んで下さい。あなたが、五キロ痩せることができなくても、家の大掃除をやってしまわなくても、自分の部課の長になれなくても、あるいはノーベル章をもらわなくても、それでもあなたはオーケーなのです。ときどき私の患者は、私のようになりたいと言うのです。

私はそういう人に、あなた自身であって何が悪いのですか、と聞くのです。私はモーツァルトのようであればよかったな、と思いますが、しかし事実は、私は音楽的才能が全く欠けているのです。私は、自分の残りの人生を、自分の音楽的欠陥を判断しながら生きることもできますし、また、自分であることはすばらしいことだと思うこともできるのです。

世界は、いろいろ違ったものでいっぱいです。

それだからこそ、世界はすばらしいのです。

 

   >人間の核心を受け入れて、その人たちを判断しないという贈り物をすること もしかすると私ができる最高の贈り物のような気がするんだな~  

       すばらしい世界に乾杯ですぅ~         

 

             今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

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『あなたにやさしい精神世界』

2008-09-20 | スピリチュアル

あなたにやさしい精神世界(PHP研究所)

           『 あなたにやさしい精神世界 』

                 関野直行 著 

 読んでいるとなんだかスッキリしてくるんだな~

      光に近づくほど陰が浮きだす 

光を受け入れるとは、陰も受け入れること

自己を探求する時
光を求める人生の旅に目覚める時
自分の中にある今まで気づかなかった欲望や否定的な部分を
多くの人が経験する
人が傷つくのを喜んでいる部分
人の不幸を密かに望んでいる部分
人を支配したい部分など・・・・
それまで抑制していた小さな小さな部分が
大きく大きく増幅されて浮上してくる

そんな時には喜ぼう
「こんなところがあったから、今まで知らない内に人を遠ざけていたのだな」と
「こんなところがあったから、自分の本当の力を使うことを怖がっていたのだな」と
浮上してきた時が、統合の時
元は単なるエネルギー。意識のエネルギー
そのエネルギーに自分流にレッテルを貼っただけ
肯定的なレッテルを貼れば、胸をはって意識的に使える
否定的なレッテルを貼ると、再び抑え込み、意識の奥底にしまい込む
日常の自分から分離し、しまい込む
何かとても悪いもののように

この現実は鏡そのもの。あなた自身を映し出す
内なる探求を始め、鏡がきれいになればなるほど、全てがよく見え始める
きれいなものも、汚いと思っていたものも
よごれた鏡には、何も映らない

曇った鏡では何もハッキリとは見えない
自分という鏡がきれいになったからこそ
今までの幻想がよりハッキリと浮かび上がってくる
そして、それらに再び否定的なレッテルを貼らなければ
執着せずに、単なるエネルギーとして手放せば
中立のエネルギーとなって戻ってくる

ただ、手放してあげる
または、その否定的な感情の更に奥を感じてあげる

否定的、攻撃的、支配的な感情は恐れからくる
そして恐れは、何かを自分にしてほしいという、愛を求める叫び
求めても得られないと思っていた愛を求める叫び

イメージの中で、求めていたものを自分に与えてあげよう
やさしさ。友達。皆が自分に振り向いてくれるだけの存在感

心のどこかで何かがホッとする
渇いていた池が湧き水で潤うようなそんな感じ
今まで、押さえ込んでいたエネルギーが
意識的に使えるエネルギーとなって戻ってくる

怖がることはない
内なる旅に出発し、大きな陰の部分が見えてきた時
それは、あなたが正しい道を着実に進んでいるという道しるべ

光に近づけば近づくほど、光が強くなればなるほど
陰もその黒さを増す。大きく、そしてハッキリと見えてくる
そして、それは幻想を統合する良いチャンス
今、一歩、真の自分に近づく良いチャンス

ただ、それだけのこと・・・・・

 

   意識のエネルギー。それは、もともと中立なんですね~       

 

             今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

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『イーグルに訊け』

2008-09-08 | 生き方

イーグルに訊け(ソフトバンククリエイティブ)

                      『 イーグルに訊け 』

               天外伺朗 衛藤信之 著 

 インディアンから学ぶシンプルなことたくさんあります  

 奇跡は自分の中にある

インディアンには、「いま生きていることは奇跡なのだ」という考えがしっかり残っています。だからこそ、彼らは自然に宿る神を強く意識して、いつも感謝の祈りを捧げているのです。彼らの笑顔がとびきり美しいのは、まさにいつも死を意識し、生きていることへの感謝が表情に表れているからなのだと思います。

ある長老は「奇跡は特別なところにあるのではない」と言って、自分の胸を指して静かに笑いました。そして、「感謝して子どもと出会いなさい」と教えてくれたのです。彼らは、今日という日に出会えたことは、まさにプレゼントであることを知っており、そのことに深い感謝を捧げることができるのです。

彼らは朝起きると、まず生きていることの奇跡をグレート・スピリットに感謝して、一日を始めます。私たち現代人から見ればとても質素な暮らしの中で、朝から晩まで感謝の祈りを捧げ続けます。
「今朝も太陽が昇ったことに感謝します」「今朝も目ざめたことを感謝します」に始まり、丸太を割ったりトウモロコシの粉をひいたりしながら、「今日一日働けることを感謝します」。そして、子どもたちが起きてきたら「今日も子どもたちに出会えて感謝します」と、祈るわけです。
インディアンには、感謝の儀式がたくさんありますが、そもそも彼らの生活そのものが、感謝を捧げる儀式なのです。

いわれてみれば確かに、私たちは、まさに奇跡のただ中で生きているといえます。今日も太陽が地平線から昇る奇跡。季節がくり返される奇跡。家族と出会えた奇跡。仲間がいる奇跡。仕事がある奇跡。明日も生きていることができる奇跡。今日も生き抜いた奇跡・・・。

けれど、私たちにとっては、水は蛇口をひねれば出てくるのがあたりまえで、交通機関は時間に正確に発着してあたりまえです。
そして、あたりまえだと思っていることがうまくいかないと、そのマイナスにばかり焦点を当て、「なぜうまくいかないんだ」と腹を立ててしまいます。頭で考えた計画が思い通りに進まないと、本当にイライラしてしまうのです。
すべてがあたりまえだと思っている私たちと、「ない」というところか ら出発し、いま生きていることはかけがえのないプレゼントだと考えている彼らとでは、人生の味わいの深さがまるで違うと思います。

 

 ハンバーガー一つにもストーリーがある

物の豊かさを味わうということは、たくさんの物を所有することではありません。逆に言えば、私たちは豊かさを感じられないからこそ、たくさん所有したがるのかもしれません。

彼らの「〝物〟の中にストーリーを感じる」という発想は徹底していて、私はあるときこんなことを言われました。ハンバーガーを食べようとしていたら、一人のインディアンが、
「君はいま、何を食べているんだ」
と聞いてきました。
「ハンバーガーだよ」
と答えたら、彼は微笑みながら言いました。
「ノブ、それはハンバーガーじゃないぞ。それを作っている小麦のストーリーを感じてみろ。その小麦は、大地の上で太陽を浴び、多くのエネルギーをもらって成長したんだ。そのビーフは、大地の分身である草を食べて大きくなった牛が、姿を変えたものなんだ。そのレタスは、大地の上で虫たちの声を聞きながら大きくなった。
いまきみの手の中には、そうした自然すべてが詰まっているんだよ。きみは大自然を食べているんだ。単なるハンバーガーと思って食べるとき、そこにはストーリーがない。だが、ハンバーガーに宇宙を感じたとき、それは特別なごちそうになるぞ」


彼らは食事会のときも、冗談まじりで、食べ物の背後に広がるストーリーを話題にしていました。
「この魚は単なる魚じゃないぞ。この魚が泳いでいたのは、どんな海だろうか。どんなプランクトンを食べて、大きくなったんだろう。この魚には、海のミネラルが全部詰まっているぞ。そしていま、私らはそれを食べるんだ」
そんなふうにして、みんなで分かち合いながら食べる魚は、本当においしいのです。同じものを食べるのでも、ただ物として食べるときと、ストーリーを感じて食べるときでは、厚みと奥行きが違うのです。

振り返って日本では、ビタミンや栄養価がどうのこうのと言いながら食べていますが、そういう食べ方はおいしくないし、体にもよくないでしょう。
やっぱり、海原で栄養を集めて大きくなった魚がいまここにあり、それが自分の体に同化していくのだという発想が、食べ物をいただく原点だし、大切だと思います。


    「物の中にストーリーを感じる」で思い出すのは、コカコーラのCMです。自販機の中でいったい何が起きているの? HAPPINESS FACTORY >The Movie から episode1,2,3をどうぞ

        http://www.cocacola.jp/csol/#happiness_fa

                      

             今日も最後までお読みくださいましてありがとう 

                                      つながっているすべての人にありがとう    

 

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