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『 昴 』

2009-02-04 | 小説
 『 昴 』

            谷村 新司 著  

    七つの物語からなります。タイトル通りさんざめく『昴』をテーマにした物語りが印象に残ります。個人的には歴史もの第4節の『中天の空』がスケール感があって気に入ってます。TVドラマか映画で見たい作品です。今回は、結節の『タマとマリ』の一部をご紹介します。

 

善光寺にある「暗闇の戒壇巡り」って何だろう?
本堂の前に立ち、手を合わせてから階(きざはし)を昇る。何段かの階段は、一段ずつが違う音がする・・・
そう思いながら本堂の中に、彼はゆっくりと足を踏み入れた。
高い天井と大きな空間には、時代の空気が凝縮されて漂っていた。その大広間の右側には案内の看板が立っていて、矢印のままに歩いてゆくと、丁度、仏像が安置されている台座の下側に降りてゆく階段の入り口へと辿りつく。
深海魚がぽっかりと開けた口のような、その入り口は、まるで異次元へのトンネルのように見えていて、閉所恐怖症の人にとっては、足がすくんでしまいそうなたたずまいを見せている。
何のとまどいもなく、彼はその入り口へと向かう。そしてゆっくりと異次元の口の中へ降り始めた。
本堂の低いざわめきが少し遠ざかる。
やや急な階段を降りながら、彼は思い出していた。
遠い子供の日に、不思議な出逢いをした老人のこと・・・・子供の頃、いつも空を見上げていた自分に、ひとりごとのように話しかけてきてくれた、あの老人のこと。
まるで水彩画のような淡い色の中で、空を見上げている少年と老人が、鳥の視線のように見降ろした形で少しずつ遠ざかる。
上空に舞い上がる視線と色彩とは、まったく逆の方向へ、今地中に向かって降りていく自分との間に違和感はなかった。
数段降りてゆくと、自分の視界が失くなりはじめた。背中側にある光がフェイドアウトしてくる。
そして、降りきった廊下に足が着いた時、視界は、ほとんど消えていた。
いや、消えたように見えていた。

その暗闇に向かって、擦(す)り足で進み始める。
右側の壁にある、手すりのようなものを、右の手のひらだけで確認しながら、一歩、一歩と闇の中に溶け込んでゆく。
五メートル程、進んだであろうか・・・・・。
目はみひらかれているにも拘(かか)わらず、平衡感覚が失くなってきた。
足の裏が接している廊下が下側で、壁に触れている右手の方が右側だ・・・・というだけで、その感覚自体が本当なのか不安にさえなってくる。
さらに数メートル進んだ時点で、彼は自分の右手を壁から離してみた。
まるで真空状態の中に浮かんでいる宇宙飛行士のように、体がゆれ始める。
たったひとつの救いは、廊下と接している足の裏の感触だった。
そこだけが、「下」だと思える唯一の保証のようなようなものだった。
そして、その暗闇の中で彼は飛び上がろうとしていた。
足を地面から離してみたくなったのだ。
そして、彼は小さくジャンプした。
暗闇の中で・・・・・。

ほんの一瞬、彼は胎児に戻ったと感じた。
もう一度、そしてもう一度。
繰り返している瞬間瞬間に自分は胎児になっている感覚を「真理」だと感じていた。
上もなく下もなく、左右もない、前後もない。
それが「真理」だと彼の心は、彼の魂に語りかけてくる。
ほんの一分程その世界にとどまった後、またかれの右手は壁に触れていた。
その右手が、手のひらの安堵感がとてもなつかしいと思った。
そしてまた、擦り足で進み始める。
その廊下の壁はゆっくりと右に曲線を描くように彼を導いている。
そして、また直進してゆく気配を右手で感じた時に、遠くに何かが見えてきた。
やっと視界が何かをとらえた。
出口から射し込んでくる、光の波のかけらを目がとらえた。
彼のすべての感覚が目に集中した。
目だけが必死に光の波のかけらを追いかけている。
一歩、一歩、擦り足で光に向かう。
闇を背中で感じながら光に向かう。
彼は思った。
「これは出産だ・・・・・・・」

闇の中で感じていた胎児が、これから生まれようとしている。
生まれるということは、闇から光に向かうということ・・・・・。
彼の中で何かが音を立てた。
闇と光が半分になったと感じた場所で、彼は立ち止まった。
そしてゆっくりと目を閉じてみた。
そして両目のまぶたの上に両手のひらをかぶせてみた。
その瞬間、闇が戻ってきた。
この動作を何度もくり返した。
そして、はっとした。
闇という文字の中に、どうして「音」が入っているのか。
目がとらえた光とは・・・・・音のこと。
光のない子宮の中で胎児は音を聴いている。母親が話しかける、その声、音を聴いている。
そして手足を動かして答えている。
これが真理・・・・・。

あの遠い日に出会った老人の言葉が次々と甦ってきた。

「心で割りきれるものは真理。つまり偶数だ。・・・でもな、心でわりきれなくても、相手の身になって考える。そして心を納得させる。・・・・これは道理という。つまり奇数みたいなものだ」
「これは、おまえに話しているんじゃないぞ。老人のひとりごとだ」
あの日空を見つめながら、聞くともなく聞いていたあの老人のひとりごとだ。

「数字はなぜ奇数と偶数が交互に続いているのかということだな・・・・」
「割り切れない奇数もふたつになれば、割りきれる偶数になる・・・・お互いに相手を思いやれば心が割りきれるようになる。この道理を伝える大人がいなくなった。それが日本の一番大きな問題点なんだぞ・・・・・。空を見つめている奴には、そのことに気付く可能性があるってことだ」

「音楽で言えば、三拍子と四拍子。この二つしかないんだぞ、人の心が重ねられるのは・・・。昔は三拍子、そう道理の歌が多かった。今はどうだ?真理の四拍子ばっかりだ。割りきれないものを学ぶ、それが生かされている理由なのにな・・・・・・・」

次々と甦ってくる老人の言葉がふに落ちた・・・賦に落ちる・・・共鳴する・・・波長が合う・・・音・・・波・・・「音波」      
 

  名曲 『昴』は80年に発表されたんですね~ 

          久しぶりに『昴』を聴きたい方 

       ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=y3N3ITcAzZs 

 

               最後まで読んで聴いてくださってありがとう 

                                   つながっているすべての人にありがとう 

 

                         

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