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『こころの力が広がるとき』

2011-12-08 | 心理

『 こころの力が広がるとき 』

                     中島 勇一 著

                 

 

   セラピストである著者がこれまでの経験を通して気づいたことが書かれていますよ。楽になっていくことで、こころの力は広がりますね。

今回はその中から、『期待』についてupします。

     

  「期待に胸膨らませる」「期待通りの出来栄え」などなど、「期待」という言葉には、なにかわくわくするような明るいイメージがあります。しかしここでは期待という心の動きが、どのように人のエネルギーを奪っていくかについて考えてみましょう。

期待は私たちの人生の様々な場面に現れます。最初のうちは、わくわくするような気分にさせてくれるのですが、期待したことが起こらないと、期待は、次第に不平不満と失望にすり変わっていきます。期待の段階は、次のように進行していきます。

1.人に期待する。
2.期待通りにしてくれなくて失望する。相手を責める。
3.次の人に期待する。そして失望する・・・・・これを繰り返す
4.もう人に期待しないようにしよう、自分でやるしかないと思う
5.自分に期待する
6.期待通りにできない自分を責める
7.もう自分にも期待できないと思う
8.天・宇宙・神に期待する
9.期待通りに叶えてくれなかった天・宇宙・神に失望し、責める

このように、期待の対象が変わっても、結局失望してしまうということが起こってしまうのは、なぜなのでしょうか。
一つには、期待というものは際限なく膨らんでいくものだからです。何かに期待していると、現状がどうなっているかにおかまいなく、期待だけが勝手に一人歩きをしていってしまう現象が起こります。そして、たとえ期待通りの結果になっても、満足するのはほんの一瞬で、すぐに新たな期待が生まれてしまうので、結局これで満足というところがありません。その結果、いつも期待と現実の落差に失望を感じてしまうことになります。
もう一つは、この落差をどうしても埋めなくてはならない、という気持ちになってしまうからです。

期待と現実の落差ばかりに意識が向くと、欠けている部分が許せなくなり、期待通りにできない自分や相手を責める気持ちが出てきます。そして期待通りにならないことに癇癪を起こしてしまうのです。「どうしてできないの」と、あからさまに責めることもありますが、落ち込んでがっかりした雰囲気になることも、癇癪が内向している分、消極的行為ではありますが、同じように責めていることになります。

期待は、放っておくと、「期待通りになるべきだし、それが当然」という強い「圧力」になり、「要求」へと変わっていきます。
「要求」が相手に受け入れられないということは、要求している側にとっては「敗北」を意味します。

もう、期待に応えてもらうことが、本当に誰にとっても真実かどうかなど、あなたは確かめようとしません。あなたが勝手に期待しているのに、状況や相手の都合におかまいなく、そうなることが当然になっていきます。そして期待していること以外のものは受け入れられなくなって、完璧主義と執着の悪循環に、はまっていってしまうのです。 勝手に期待されている相手も大変ですが、この悪循環にはまると、何よりも自分がつらくなります。

人に対して期待が強い人は、自分に対してもそれ以上に期待が強いのです。そしてどんな小さな期待にも、その心理を深く掘り下げていくと、完璧主義が顔をのぞかせてきます。

完璧主義に陥っている人は、完璧でない自分に対して常に癇癪を起こしています。「何もしたいことが見つからない」と自分の無気力を嘆く人は、実は無意識のうちに「完璧にできないくらいなら、何もやりたくない」と、期待通りにできない自分自身に癇癪を起こして、自分で自分を攻撃して気力を奪っているのです。
そういう人は、たとえ他人からは80点に見えるような結果でも、自分では60点の出来と思ってしまいます。そんなときは人からほめられても嬉しく感じないし、60点では自分にとって意味がありません。

  

   日常、見え隠れしている『期待』。

カルも無意識に人や、物や、出来事に『期待』していること多しですね。

                           

         最後まで読んでくださって ありがとう 

                               つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

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『満たされるということ』

2009-11-11 | 心理
 『 満たされるということ 

                  ロバート・A.ジョンソン/ジェリー・M.ルール

                      管 靖彦 訳 

 

 満たされていますか?満たされるっていったいどういうことだろうか?私の中にある逆説と混乱の意味するものはいったい何だろう?って思う人にはいいですね。今回はその中から、投影のお話からです。

 

  信号はあなたにいやがらせをしようとしているのか?

 

投影と満足をだいなしにするその役割を理解する有効な方法がある。交通信号を例にとって話をすすめよう。交通信号の実体とは何だろう?「実体」という言葉は本来、物質の背後にある理念を意味していた。交通信号で言えば、信号機を形作る理念にあたるものだ。

ところが、近代になると、実体の意味がどうしてか一転した。実体とは交通信号を作っている物質---何枚かの色付きガラス、金属の線、塗料、プラスティックなど----を意味すると考えられるようになったのだ。しかし、交通信号の背後にある理念は、とまれ、注意、進めという命令からなっている。それは単純そのものだ。


ところが、わたしたちはこの単純きわまりない交通信号に複雑な心境を投影する。


例えば、信号が赤いのを見て、「また、停まらなくちゃならない。遅れるわ。運命はわたしたちに逆らおうとしているのかしら?」と考えるかもしれない。あるいは、「この憎っくき信号は私の行く手を阻もうとして
いる。多くの人々はこう考えるようだ。「信号は黄色だ、スピードを上げて、みんなの先頭に出るチャンスだ。」もしくは、「それ見ろ、青だ!普段の行いがいいのだ。」


交通信号と出会うという体験の中に、さまざまな「私」的な判断が飛び込んできていることに注意してもらいたい。それらは、止まれ、注意、進めという単純な現実とは関わりのない判断だ。(ところで、筆者は
試みに、一週間、注意して信号との遭遇を観察した。その結果、赤、黄色、青という信号に大体同じ程度出会うことを発見した)。


もし投影の働きを観察したかったら、一日、交通信号に出会ったときの自分の心の動きを観察してみればよい。信号に出あうたび、止まれ、注意、進めという単純な現実に自分がどのような投影を行うかに注
意するのだ。


もし単純な交通信号がそんなにも多くの感情を生み出すとすれば、もっと複雑なやり取りでは、一体、何がおこるだろう?あなたの日常がどれだけ世界の知覚をゆがめる否定的な投影や肯定的な投影で満
たされているか考えてもらいたい。

電話のベルが鳴る、郵便箱に手紙が配達される、ミーティングへの出席を求められる、そんな単純な出来事でも、かってに自分の中のものを投影し、影響を受けていないだろうか?

投影は自分自身が作り出す幻想に自分を巻き込んでしまう。東洋の精神的伝統では、これを「マーヤー」と呼ぶ。マーヤーとは限られた意識の形態を表している。
職場で投影がおきると、わたしたちの反応は、次の三つのうちのいずれかになりやすい。

(1)極度に情緒的になる、

(2)強迫的になる、

(3)物事が思わぬ方向にそれていく。

わたしたちが自分の隠された性質を世界に投影しているとき、他人はよくそれに気づく。しかし、不幸なことに、本人がそれに気づくのは一番最後になるのが普通である。


 

   投影しながら生きてるんだな~    皆さんはどんな投影してますか? 

                    

          最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

                                                    

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『心が○くなる50のメッセージ』

2009-09-19 | 心理
『 心が○ま~る くなる50のメッセージ 』

                 菅野泰蔵 著  

 

    臨床心理士 菅野さんのメッセージ集です。

ホッ としますよ  

 

自分には何もない


特技がない


才能がない


将来性がない


目的がない


やることがない


人間としての魅力がない


信頼できる友人がない


愛してくれる人がない


生きている価値がない

総じて、自信がない

と人はいう。

 

ちょっと待って。


そこまで何もないといい切れる


その確信はどこから来るの?


それに、そもそも


それがなくては生きていけない


と思うのはなぜ?

 

折にふれて人は


自分の価値を確かめようとする。


そして、ときに


自分は価値のない人間であると思う。


でも、そのとき


自分自身を見ようとしていたのは


価値を確かめようとしていたのは


あらかじめもっている価値観。


その価値観はどこから来たの?

 

自分で自分を見つめすぎると


あまり自分自身にこだわってしまうと


自分がどんどん小さくなっていく。


それは心の仕組み。心の罠。

 

ときに、他の人の眼を借りてみよう。


その眼はきっとこう語る。


あなたが、そこにいるだけで


生きているだけで


それだけで価値がある。

 

 

   ついさっきまで喜んでいたことが、いつの間にか喜べなくなってしまったり・・・

       それはささいなことの中にもありませんか?

      その思いは、いったいどこからきているんでしょうね。

      そしてそれはどんな性質を持っているのか気づいていたいんだなぁ~

 

      

           今日も最後まで読んでくださって ありがとう 

 

                       つながっているすべての人に ありがとう    

 

 

 

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『センタリング・ブック』

2009-08-27 | 心理
 『 センタリング・ブック  

           ゲイ・ヘンドリックス著 ラッセル・ウィルズ著 手塚郁恵訳 

 

   心地良さを感じている時、僕たちは、自然にセンタリングしているようです。
  
  今回は、巻末のストーリーテリングのお話からです。
 
 

 

    砂の話

 

川は、ぶくぶくと白い泡を立てながら、砂漠に着きましたが、砂漠を渡ることはできないということに気づきました。


水は、細かい砂の中にどんどん消えていってしまいます。
川は、大きな声で言いました。「私は、この砂漠を渡りたいのですが、どのようにして渡ったらいいのか、わかりません。」


砂漠の声が、隠された自然の言葉で答えました。

「風は砂漠を渡ります。だから、あなたにも渡れるはずです。」


「でも、渡ろうとすると、私は砂の中に吸い込まれてしまいます。全速力で砂漠にぶつかっても、ほんのわずかな距離しか進めません。」


「風は、砂漠の砂に全速力でぶつかることはしませんよ。」砂漠の声は言いました。
「でも、風は飛ぶことができますが、私はできません。」 


「あなたの考え方は、まちがっています。自分の力で飛ぼうとするのは、ばかげたことです。風にあなたを運ばせるのです。」


「でも、どうしたらそんなことができるのですか?」


「自分を風に吸い込ませるのです。」  


川は、そんなふうにして自分の存在を失いたくないと言って、反対しました。もしそんなことをしたら、二度と存在することができなくなるかもしれません。


その声は言いました。「風は、水分を吸い込むと、砂漠の上を運んで行き、ふたたび、雨として水分を落とします。雨は、ふたたび、川になるのです。」


「でも、それがほんとうだということは、どうすればわかるのでしょうか?」川は尋ねました。


「これはほんとうのことなのです。信じなければなりません。さもなければ、あなたは、砂に吸い込まれて、数百万の後に、沼地になるしかありません。」


「でも、もしそれがほんとうだとしても、私は、いまと同じ川になることができるでしょうか?」


「どちらにせよ、あなたは、いまと同じ川であり続けることはできません。それに、この選択は、あなたにまかされているのではありません。


選べるように見えるだけなのです。風があなたの本質を運んでくれるでしょう。それは、あなたのすぐれた部分なのです。あなたが砂漠のかなたの山々で
ふたたび川になったとき、人々はあなたを違う名前で呼ぶかもしれません。

でもあなたの山々でふたたび川になったとき、人々はあなたを違う名前で呼ぶかもしれません。                                                                                                     


でもあなた自身は、本質的に同じ自分であることがわかるでしょう。いま、あなたは、自分を何々川と呼んでいます。


それは、その川のどの部分が、いまでもやはり、自分の本質であるかを、あなたが知らないからなのです。」  

 

そこで川は、迎え入れてくれる風の腕の中に昇って行き、砂漠を渡りました。風は、川をゆっくりと、ていねいに集めて、高いところに引き上げました。


それから、遠い山々の頂上に、やさしく、しっかりと降ろしました。「いま、私は、自分のほんとうの正体がわかりました」と、川は言いました。


しかし、川は、疑問に思っていることがありました。それは、飛んでいるときにわいてきた疑問でした。

「私はなぜ、これを自分で考え出すことができなかったのだろう?
もし、砂の言うことに耳を傾けなかったら、どうなっていただろうか?」


突然、小さな声が、川に話しかけました。その声は、一粒の砂から聞こえてきました。


「砂だけが知っているのですよ。砂は、それが起こるのをこれまでずっと見てきたからなのです。その上、砂は、川から山までずっと続いています。
砂は、結び合わせる役目を果たしているのです。
すべてのものが果たすべき役割をもっているように、砂も、もっているのですよ。


生命の流れが、その道のりをどのように旅してゆくか、そのありさまは砂の中に書かれるのです。」 

 

 

     生命の流れ 常に姿, 形を変えながら旅をしているような・・・・・・・・・ 

 

                    

           最後までお読みくださって ありがとう 

  

           つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                                            

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『今ここに生きる力』

2009-03-13 | 心理
 『 今ここに生きる力 』

               エリエール&シーヤ・カーン著  

           大野百合子 訳  

  

 あまり聞きなれない言葉「変容」。なんか変よ~  

 

 「変化」から「変容」へ

 

かつては「変容」とはあいまいな言葉でしたが、ここ数年でしっかりと市民権を得ました。しかし多くの人がまだ、「変化ーChange」と「変容ーTransformation」はほとんど同じだと思い込んでいます。でも、実はこの二つの言葉の意味は違います。

 

この本を読んだ後、皆さんが正しい言葉遣いができるように言語矯正をしようなどというつもりはまったくありません。ただ、ここで私たちが「変化」に対して「変容」という言葉をどのような意味で用いているのかを理解していただくことはとても大切なことです。このパートは、二つの言葉の意味の違いをはっきりさせることに費やしたいと思います。皆さんが変容した状態を保っていくことができるように。

 

変容は瞬時にしか起きません。時間をかけて起きるものはすべて変化です。変化は斬進的で過去から未来に流れる直線的な時間の中で起こります。

 

それに対して変容は瞬時に起き、指数関数的です。それは状態のシフトであり、時間を前後に移動します。水の分子が摂氏零度を超えると、液体から固体へと瞬時に変わるのと同様です。

 

変化は斬進的、直線的に進みます。時間がかかります。方向性を持ち、測定することができます。立証することが可能です。論理的であり、ものごとは順番に起こります。そして因果の法則に従います。

 

変容は指数関数的で、斬進的ではありません。至るところで一度に起こります。直線的ではありません。時間の外側で起きます。それも瞬時に。

 

変化は「過去/未来」を基準にしていますが、変容は「今」です。変容は今だけ、今この瞬間にのみ起きるのです。変容を起こすために、自分自身の問題にワークすることはできません。変化は「何かをすること」を求めますが、変容は「ありよう」なのです。

 

ここに来られたら
今、この瞬間に着いたら
毎日が特別になるでしょう
毎日は同時に
「深遠」であり、「普通」でもあるのです

 

「瞬間」にいることは、あなたの過ごす日々、あなたの体の感覚や感情に表れてくる葛藤を内包することを可能にします。例えば、いやな気分の日もあるでしょう。でも、瞬間から瞬間に生きることができれば、この居心地の悪さを内包しながらも、満足と安らかさを体験していけるのです。

一度変容を起こせば、アセンション(次元上昇)して、二度と病気になったり死んだりしないという誤った考えを持っている人がたくさんいます。また起こったり、うろたえたりしてはいけないと誤解しています。でもそうではありません。本当に今この瞬間に生きることができれば、人生に起きるどんなことでも統合していくことができます。そして満ち足り、やすらかでいられます。

 

変容を引き起こすのは「気づき」なのです。

 

「気づき」は 何も裁きません
自分自身と、
自分と人生とのかかわり方に立ち会って
ただ、眺めていることなのです

 

    一瞬一瞬起きている出来事にきちんと立ち会うこと

      それは丁寧に生きることにつながるような・・・・・・・・・・

 

   

           今日も最後まで読んでくださって ありがとう 

                       つながっているすべての人に ありがとう    

 

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