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『サーファー・ショーンの教え』

2010-09-27 | 物語
 『 サーファー・ショーンの教え 

                        セルジオ・バンバーレン 著 

                      山川紘矢・山川亜希子 訳 

 

 オーストラリア生まれの主人公彼が忘れていた「真実のことば」を思い出す物語です。ある日彼は六十代かと思われるショーンというサーファーに出会います。ショーンは「真実のことば」を取り戻すための道具を彼に与えます。それは、『海辺で考えたこと』 という一冊の手書きの本でした。12の教えが書かれています。今回は、魂のサーファーショーンの12のメッセージからです。 

 

ショーン、春のうねり 2001年  

 

 もし、私にとって人生で一番大切なことが一つあるとすれば、それは、愛する海の広がりの中で、たった一人で波に乗り、波の中にいる瞬間だ。


波のてっぺんに乗っているとき、私は純粋にスピリットと光とエネルギーそのものになる。他のことは一切、問題ではなくなる。なぜなら、私は私であり、あるべき私だと知っているからだ。魂は私だけの幸せ
に歓喜し、私は海とひとつになる。私は自分が何者であるかを恐れず表現する。なぜなら、海の静けさが、心に人生の本当の意味をささやきかけるからだ。そのとき、私の思いを支配する何の規則も存在していない。自分の中に住む子供を指図しようとする法則も、そこにはない。突然海の深みから現れて、私と一緒に波と遊ぶイルカのように自由なのだ。   


私は、自分をしばっていたすべての制限や恐れを取り外す。すると、壁につき当たったという感覚がまったくなくなる。突然、私の魂からエネルギーがどっと押しよせ、私の心を真実で照らし出す。私はもう宇
宙のはてしない大きさを恐れない。なぜなら、この宇宙の中で自分の居場所を見つけたからだ。私は自分を完全に自由に感じる。


波がやってきて、私をその塩からい感触で包み込み、私が知らなければならないことを教えてくれる。魔法のような心のやすらぎが私の命を充たしてゆく。すると突然、これまでの日々の生活でとても重要だ
と思えたものが、少しも重要ではなくなる。宝物は私が持っている物の中にあるのではなく、できるだけ物を所有したくないという気持ちの中にあることが、今、わかった。


大切にしたいものはただ一つ、こうした真実の黄金の瞬間の記憶だけなのだ。そして、私自身のこの部分につながればつながるほど、自由の本質をより深く理解できるのだ。しかも、人生のあらゆる面で、よ
り幸せになれるだろう。 

 

ショーン、夕陽の波 2001年 秋  

 

波はゆっくりと私をつつみこむ。すると、まわりを全部水にかこまれて、私は一瞬、見えなくなる。そのとき、今日が何月何日なのかも忘れてしまう。この瞬間だけを覚えている。これこそ私がいつも〝そうなりたい〟と願っている瞬間だ。なぜなら、この瞬間は一時のものであるけれど、その記憶は永久に消えないからだ。


私はチューブをぬけ、波の上で何回かボードをターンさせた(カットバックした)あと、波を降りた。そしてボードを引きよせて、その上にまたがった。そのとき、真の自分とは自分が見つけるものではないことが
わかった。それは自分が作り出すものなのだ。


私たちは、自分がスピリチュアルな存在だと気がつく世代に生まれていると信じている。それは必ずしも、宗教を信じるということではない。教会の中に神を見つけるだけでなく、自分の心、まわりにいる人、大
自然の美しさ、そして波頭の中にも神を見つけることを、私は学んだ。


海と接することによって、私の心は霊的なエネルギーに満たされる。ずっと以前は重要だと思っていたことが、今はもう重要ではなくなっている。支払請求書、新しい車、一生かかって支払う家のローンなど、
もう重要ではない。今思えば、何か物を手に入れようという衝動が、私の人生の一番大切な時間を奪ってしまったのだ。


私が〝生きている〟と感じるためには、波と夕陽だけがあればよい。こうしたすばらしい瞬間は、いつも起こっている〝永遠のもの〟であり、見のがさずにしっかりと捕まえるように私をうながし、待っていてく
れるのだ。

 

 

   「真実のことば」を思い出す旅は続きますね 

                    

         

           最後までお読みくださって ありがとう 

              つながっているすべての人に ありがとう 

                                                  

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『心の旅』

2010-09-20 | スピリチュアル
  『  心の旅  』

                    原田 健児 著 

                 

 

   

一求道者として師を求め続けてきた様子が、体験を通して表現されています。それぞれの師から 学んだことが 響いてきます。求道の姿勢とは?本当の聖者とは?を求めている方には、参考になることでしょう。もともと子供の頃から霊的な現象を見る方のせいか、本の中では 瞑想中での霊的現象や、過去世と言った体験が多く記されています。

このことに関して原田氏は著書の中で

聖者方は「弟子の過去世を言う師は多い。師に過去世を言われた弟子は、言われた過去世にとらわれてしまう。良い過去世を知ると傲慢になり、悪い過去世を知ると卑屈になってしまう。それで潰れてしまう人も多い」 とも言っているらしい。それに、過去世や輪廻は、仮想のもので、真理・実相ではないと言われる。だから問題にしなくても良い。飽く迄参考だろう。とも書いてくれています。

それにしても、読んでいると、この世で出会っている人達が過去世つながりで転生し再会しているような気がしてくるんだなぁ。

 

 この『心の旅』は、私が師を求め、瞑想を始めた二十八才から五十二才までの求道人生を描いたものだ。私は、この二十五年間の間に九人の師についた。この九人の師は、霊能力に優れていたり、真理の知識が豊富だったり、名声を得たりしていたが、まだ悟りに至る途中の段階だった。良い師、悪い師の判断はすべきではないのだと思う。彼らも、輪廻転生を繰り返し、必ずいつの日か完成(悟り)に至るはずだ。結局、神が、私の修行段階に合わせて、その時その時の師を与えてくれ、それらの師を通じて、いろいろなことを学ばせてくれたのだと思う。だから、神に感謝しなければいけないし、八人の師にも感謝しなければいけない。


私は、今まで約二十五年間、修行を導いてくれる正師を探してきた。仏教特に禅では、正師を見つけることが重要とされていて、私も、努力して正師を探したのだ。しかし、残念ながら、私は、自身で満足できる正師を見つけることはできなかった。今後、見つけることができるかもしれない。


 しかし、正師というのは、肉体を持ってこの世にいる師だけではないはずだ。古今の聖者の方は、瞑想中に、いわゆる霊界から出現した神や大師や聖者から指導を受けている。私自身も、霊界の聖者に祝福や激励を受けたり、教えを受けたことがある。
 だから正師は、肉体を持ってこの世にいる師でも良いし、霊界の神、大師、聖者、守護霊、指導霊でも良いと思う。私達を助け、導いてくれる師は多いのだ。


 私達は、本来の師である内在の神を探すことが本道であり、一番大切だ。ついている師が救ってくれるのではなく、自分の内にいる神が、自分を救ってくれるのだ。内在の神は、創造主そのものだから、完全な愛と知恵を持っている。その愛と知恵が、私達を救ってくれるのだ。内在の神を探しているうちに、霊界の師や、この世の師の助けもくるはずだ。私達は、勇気と努力と忍耐と希望を持って、真理への本道を歩むべきだろう。

 

    三界の旅の友に あ・り・が・と・う   

      

             

        今日も最後まで読んでくださって ありがとう  

 

                        つながっているすべての人に ありがとう    

 

 

 

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『随 かんながら 神』

2010-09-13 | スピリチュアル
 『 随 かんながら 神 』

                      阿部 敏郎 著

   

   主人公Aが見つけた「7つの鍵」。

    それは、目覚めという 「意識の扉を開く鍵」。

    起きてくることの謎がAと出会う人達を通して

    解かれていきます。

    ・古い世界地図

    ・持っていると何でも願いが叶うという赤い巻もの

    ・一度見た者を 悟りに導くという 寺に伝わる秘本のお話

    などなど・・・・・

    実在する人物、場所

    とてもリアルです。

   

      

  時間も空間も越えた命、すべてとひとつである命を語りながら、Aは、自覚する。
「本当にしたかったことは、この気づきのままに、流れのままにただ目覚めて生きることだった」と。

 


------  いろんなことがあった。
      いろんな人に出会った。
      宮司、シャンタン、志織、ダルマージ、美奈子、向和尚・・・・・・・・。
      いろんなことを教えてもらった。
      そのたびに人生は様々な方向に流れていった。
      いったいどこまで来たんだろう。
      いったいどこに流れ着いたのか。

 


------- どこにも来ていない。
      立ち止まってみれば、いつも「いまここ」があるだけだ。
      目の前を様々な人や現実が通り過ぎていっただけで、
      やっぱり自分は「いまここ」にいる。
      人生とは、「いまここ」から離れてどこかに向かい、流されて流されて、 
      再び「いまここ」に戻ってくるための夢の旅のようなもの。

 


  どんなに遠くまで来たつもりでも、なにかを成し遂げたと思っても、道を踏み外したような気がしても、本当はなにも起きちゃいない。

  どんなときも見放されることはなく、大いなるものに守られ愛され、どんなに罪を犯しても、どんなに汚れても、どんなに苦しみ嘆いていても、いつだって「それ」はただ見守ってくれている。

  そして夢から覚めて「いまここ」に戻ってきた時、「それ」は優しくこう告げてくれる。

     

      「おかえり」

      そこにはただ、「いま」があるだけなので、旅人はこう応える。

      「ただいま」


 

   どんなに良かれと思ったことをしても、それで自分を苦しめることもあると実感するこの頃です。

    そんな時は  いま に戻る ですね                    

 

        

      今日も最後まで読んでくださって ありがとう  

 

                        つながっているすべての人に ありがとう    

 

 

 

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『 山頂からの夕日 』

2010-09-10 | Weblog

 

    日が暮れるのが早くなってきましたね。

   先月行けなかった山に登ってきました。

 

   ここの山頂から一度 夕日が見たかったんです。

 

      

  

    あと1時間もすれば、日が沈みます。

    急がなくては・・・・・・。

    頂上付近まできて  来た道を見ると

    いつの間にか 雲が  覆ってました。

    しばらく 眺めていると  雲に なった気分 に 。  

 

    

    

    

   頂上 まで もうすこし  

   なんとかまにあった~  

   時間の経過とともに 

 

    

    

    

    

    オレンジ色に とけあうように 沈んでいきます。

    

    「 今日の無事を あ・り・が・と・う 」

   

    

         今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

 

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