陽 気 村

フィーリングを楽しんじゃおうっと

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

『いいことが次々起こる和みのCDブック』

2009-01-30 | スピリチュアル
 『 いいことが次々起こる和みのCDブック 

                   大橋 智夫 著 

 「水琴(みずごと)」のCDが付いているCDブックです。なんでもプラスのエネルギーを増幅させる高周波が含まれているそうなんです。共振、共鳴の世界ですね。

     それが自然だと感じるとき、あなた本来の姿になる 

たとえば、朝起きて、トーストにするかご飯にするか悩んだとします。
「面倒だし、やっぱりトーストにしよう」と、トーストを焼いている間にテレビをつけると、大事故のニュース。
「自分も気をつけないとなぁ」などと思いながら玉子を割っていると、落とした玉子の黄身が壊れてしまい、目玉焼きの予定が、結局スクランブルエッグとなりました。
「今日はついてないな」。一つため息をつき、時計を見たら遅刻寸前。急いで玄関をでたところで、「あれ、窓のカギ閉めたっけ?」と気になり、もう一度戻って、カギがかかっていることを確認し、再出発。
慌てて駅まで走ったものの、タッチの差で電車は発車。
さて、この朝の出来事で、あなたの流れと自然の流れが一致している瞬間は?たぶん、玉子をスクランブルエッグにした瞬間くらいでしょう。

ランチを食べに行ったレストランで、「あの人どうしているかな?」と話していると、偶然、話題の人が店に入ってきてびっくり。
「せっかくの巡り合わせだから、お茶でも飲みに行こう」と、近くの喫茶店へ。ところが急に店内が混み始め、お店の人から「申しわけありませんが、大人数のお客様をお通ししたいので、小さなテーブルに移っていただけますか?」と言われ、「かまいませんよ」と気持ちよく席を譲ったところ、「移っていただいたお礼です」と、ケーキをサービスされて思わずにっこり。

旧友との親交を深めることが出来た上に、その友人から別の友人の消息なども聞けて、「今度、またゆっくり集まろうよ」となり、気分よく帰路に。
ちょっと極端ですが、このように、状況の流れに逆らわず、偶然を受け入れ、オープンマインドになれた瞬間、あなたの流れと自然の流れは完全に一致するのです。

自然の流れも宇宙の一部です。その宇宙が織りなすバイオリズムが、あなたを支配しています。

バイオリズムは、地球上で暮らす生き物にとって無視することのできない天体の動きによって、出来上がったとされていますが、人間のつくった「時間」というバイオリズムもまた、太陽や月の動きの割り算から生み出されたものです。
ですから、もしあなたの口ぐせが「時間がない」だったとすれば、いまのあなたは自然の流れに反しているのかもしれません。
あるいは日々の中で、あなたとあなたの周囲を絶対的に支配している自然の流れ、つまりバイオリズムを忘れ始めているのです。

バイオリズムに沿うということは、自然の流れに対して「あるがまま」であることです。
そして、、この世の中に大自然の一部として生まれ落ちたあなたにとって、「自然の流れに従うこと」が、もっとも大切なことなのです。

 月=調整 

月は、決して自ら光るものではありません。
太陽の光を受けて映しだされるものです。
月が太陽の光を反射しなければ、その姿は見えず、逆に月が太陽の光をすべて反射すれば、月ではなくなってしまいます。
つまり月は、太陽と一対であり、なおかつ「二面性」を持っているといえます。

月の持つこの二面性を、「心の世界」と「現実の世界」に置き換えてみるとどうでしょうか。
あなたの心の中の意識を映す鏡として、現実の世界が存在しているとすると、あなたが意識しない限り、現実の世界も存在しません。
太陽の光を反射しなければ、まるでその姿を現さない月のように、です。

思いが行動を変え、現実を変えるといわれるように、「心の世界」で思ったこと、感じたことが、「現実の世界」を喜びにも悲しみにも変える、つまり、良いことを思えば良いことが起こり、悪いことを思えば悪いことが起こるというわけです。

この二面性は、光と影のように常に寄り沿っていますから、正反対の動きをすることはありません。そう考えると、あなたは自由に、現実を放棄することも、思いのままに操ることもできる、という事実がわかります。

   お月さんも太陽と一対なんですね~  

    お陰さまでブルーボトル2号も飲みやすくなりました

    ギフトありがとう 

             今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

コメント

『次の地球へ』

2009-01-21 | スピリチュアル
 『 次の地球へ 』

                   バシャール&関野あやこ 著 

 2008年9月15日から3日間、ロサンジェルスで行われたバシャールと関野あやこさんの対談です。表紙の地球はとてもきれいです。

バシャール 箱の中に自分がいると考えているとき、全然自由がありませんね。
でも、その箱が幻想(イリュージョン)で、これは本物ではない、実体がないと感じたとき、わかったとき、自由になります。

体験は真実です。でも、箱は真実ではありません。箱はありません。あったこともありません。箱があるという体験はあります。でも、箱はないのです。

AYAKO      自分で選んでいたイリュージョンが本当に力をなくし、形がなくなっていくのがわかります。
そして、私たちは習慣で、外に向けて、外をリアルに感じる、その長いあいだ持っていた習慣が起きたとしても、今のこの惑星では、自分が高い意識のほうに意識を向ければ、それは力をなくすのを感じます。それができる惑星になったんだと思います。

       -------------------

バシャール 今、地球規模で古いシステムが崩壊し始めていることに、皆さんも気づいていると思います。そして、それは続きます。それによって新しいシステムが取って代われるのです。

皆さんの一般的な社会の中で、今それがとても見やすくなっています。
古い伝統的な組織や仕組みが、今、崩壊し始めています。
既に始まっています。

AYAKO      それはすごく感じます。実際にこんなに変革が・・・・・・。
どれを見ても、惑星が変革していっていることのあらわれにしか見えないことがいっぱい起きています。

バシャール イエ~ス。皆さんは今、自分たちをそういうものすべてが自分たちの鏡である、反映であるというところへ、自分たちを移動させています。
      
       
AYAKO      ねー、見方がすごくシンプルになりますよね。

バシャール よりシンプルに!よりシンプルに!もっとシンプルに!
       
AYAKO    イエス!「シンプルなのに、すべて」というのはすごいですよね。

バシャール イエース。
すべては「ひとつ」のものからできているからです。
すべては「ひとつ」のさまざまな角度からの表現にすぎません。

創造の中には「大いなるすべて」しか存在しません。
そして、すべてのその「ひとつ」がいろいろな表現をしているだけです。
すべてのものがその「大いなるすべて」、その「ひとつのもの、ワンネス」から派生している
単なる表現の違いだけだということがわかり始めると、すべてがシンプルに見えてきます。

そういうものの見方ができるようになると、すべてが圧倒されるほど美しく、そしてパワフルなものです。
そしてその見方はとても楽しいものです。

    その光から、その見方からすべてが理解できるようになります。 

   透明感ありますね~    メッセージがとてもシンプルなんだなぁ~            

            

                          今日最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

 

コメント

『どんな時も、人生には意味がある』

2009-01-17 | 心理

 

                 『 どんな時も、人生には意味がある 』

                                    諸富 祥彦 著 

 一見、当たり前のように思われる「私の人生は、私のものである。私がどう生きるかは、自由だ」という考えが、現代人の苦しみの源となっているというんです。 えっ~ 

      「私のいのちは、誰のもの?」

「私の人生は、私のものである」という考えは、しかし、それだけで独立して存在しているというよりも、「私のからだは、私のものである」とか、「私のいのちは、私のものである」という個人主義の考えと連なっています。そして、その中でも「私のいのちは、私のものである」という考えが、もっとも基底のレベルにあって、ここでの考え方や感じ方がほかの考え方にもつながっています。
したがって、ここではまず「私のいのちは、私のものである」という考えから疑っていくことにしましょう。

「私のいのちは、私のものである」
この考えは、一見、疑いようのない正当性を持っているようにみえます。そもそも〝私の〟いのち、と所有格が使われているのだから、私のいのちは当然、私のものである、と屁理屈をこねることもできます。
しかし、ここでよく考えてほしいのです。
もし、「私のいのちが私の所有物であり、私の好きにしてよいものである」となると、文字どおり、生き死には、私の自由。「私には、生きる権利があるのと同様に、死ぬ権利(自殺する権利)もある」ということになってしまいます。
これはほんとうにそうでしょうか。どこか、違和感を覚えませんか。
正直に言うと、私も以前は合理主義で、だから、「私のいのちが私のものであるのは当たり前だし、生きる権利があるならば、当然、死ぬ権利がある」などと考えていました。
けれど最近、どうもそれは違うということがわかってきた、いや、確信されてきたのです。
もし私がそれを自分の意思で手に入れたのなら、私はそれを自分の意思で手放すこともできるでしょう。たとえば、私が自分の意思で買った高級ボールペンを、誰かにあげたとしても、そこには、何の問題もありません。
しかし、いのちについては事情が違います。いのちは、私がそれを手に入れようと思って手に入れたものではありません。

私たちは、〝気がついたら、すでに生きていた〟のです。
当たり前のことですが、ここが重要なポイントです。
つまり、時間軸に沿っていえば、「気がついた」のと「生きていた」のとでは、「生きていた」ことのほうが先で、それに「気がついた」のは、決定的に後なのです。
「気がつく」という「自己意識」が「私」なのだとすればー言い換えると「私」は「これが私だ」という自己意識の発生とともに存在しはじめのだとすればー「私」の発生は、「生きている」という事実の後に生じた出来事なのです。
これは、論理的に考えてもどうしてもそうなるでしょう。
私たちは、最初に「生きていた」、つまりいのちが与えられていたのであって、後になってやっと「私が生きている」という自己意識を持つようになるのです。そう考えると、「私」と「いのち」の関係についても、どうやらとらえ直す必要が生じてきます。
私たちはふつう、「私」という確固たる存在があって、その「私」という存在が「いのち」を持っている、生命を所有しているのだとイメージしています。そして、死とは「私という存在」が「いのち」を失う出来事だとイメージしています。しかしこれは、どう考えても逆転したとらえ方です。

むしろ、こう考えるべきではないでしょうか。
「私」の前に、まず「いのち」が先にあり、それを後から「これは、私のいのちだ」と意識して「私」が生まれた、と。考えるほうが、ずっと事実に即しているように、私には思えるのです。
死についても同様で、そこでなくなるのは「私」、つまり私の自己意識であって、「いのち」がなくなったかどうかは、私たち人間には(意識が消失した後なので当然)、確かめることはできない、と考えるのが筋が通っているのではないでしょうか。


   ややこしや~のお話になってしまいましたね。

    僕たちは、何かしらの観念で生きているんですね~

                   

            今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

コメント (2)

『 禅 ZEN 』

2009-01-15 | 映画

禅 ZEN

『 禅 ZEN 』 

監督・脚本 高橋伴明

   中村勘太郎さん主演の道元禅師の物語

泣けました~   (最近、涙もろい~)

映画に登場する、道元禅師からの至高のメッセージとは


八大人覚(はちだいにんがく)

少欲(しょうよく)
一、あまり高い目標を追い求めすぎると、破滅する。

知足(ちそく)
二、欲をいい張ったらキリがない。限度を知る。

楽寂静(ぎょうじゃくじょう)
三、のどかで美しい景色眺めると、心が澄む。

勤精進(ごんしょうじん)
四、やりたいことを一つにしぼり、無駄を省く。

不忘念(ふもうねん)
五、心が修まっていれば、人目は気にならない。

修禅定(しゅぜんじょう)
六、うまく事が運ばなかったら、一歩退いて見る。

修智恵(しゅちえ)
七、前向きの話を聞いていれば、混乱しない。

不戯論(ふけろん)
八、無益な口論ほど、社会を乱すものはない。

中村勘太郎さんが演じる道元禅師は感謝に満ちあふれさわやかです

     『 禅 ZEN 』公式HP

     http://www.zen.sh/

 

                   最後まで読んでくださってありがとう 

                                      つながっているすべての人にありがとう 

 

 

 

コメント

『神さまが教えてくれた幸福論』

2009-01-06 | 生き方

神さまが教えてくれた幸福論(致知出版社)

          『 神さまが教えてくれた幸福論 』

                 神渡良平 著 小林正観 著

 「ナガタ」「ナガサキ」の話がきっかけで対談したお二人。ヤマトの国や日本人のルーツにまでお話は続きますよ。「ナガタ」「ナガサキ」のお話は本で読んでね。

      お釈迦様の遺言を受けて 

小林 二千五百年前、お釈迦様が亡くなる前、こんな言葉を残されたそうです。
私の教えは千年の間は正しく誤解されないで伝わる。これが正法(しょうぼう)の時代。
そして千年から二千年の間はよく似た教えが伝わる。これが像法(ぞうほう)の時代。
二千年を過ぎた頃からは誤解されて正しく伝わらなくなる。これが末法(まっぽう)の世という。
ここまでは教科書に載っているのでご存知でしょう。だけど、実はそこから先がまだあって、口伝(くちづた)えのため一部の人間にしか伝わらなかったようです。

神渡 その先があるのですか。

小林 私はそれを二十二、三の頃、ある方から教えていただいたんです。末法の世からさらに五百年ほどすると、つまり、釈迦の死後二千五百年ほどすると、ということですが、インドの遥か当方にジャブトーバーという国があって、その国は夜でも昼のように明るく、道は平坦(へいたん)で、裸足(はだし)で歩いていても傷つかず、遠くにいても、近くにいるように話ができる。
その国の人々は、競うこと、比べること、争うこと、戦うことがとても嫌いな民族で、その人たちの平和な思想と相まって、自分の教えが二千五百年ぶりに正しく解釈され直す。そして千年単位の平和王国が始まるだろう、と。お釈迦様はそう言って亡くなったそうなんです。
このジャブトーバーというのは、明らかに日本のことを言っていると思うんです。そしてお釈迦様が亡くなって二千五百年後というと、ちょうど今でしょう。
私がそれを聞いた三十五年くらい前は、日本の仏教文化はものすごくレベルが高いと思っていて、お釈迦様の教えが誤解されていて、それが新たに解釈され直すなんてことがあるわけがないと思っていました。
しかしその後、一部の仏教は単なる祈願仏教に成り下がっていることがわかってきました。お願い仏教ですね。「執着を捨てる」というのを見本として示すべきプロの僧侶(そうりょ)たちも、合格祈願をしなさいとか、良縁祈願をしなさいというふうにリードするようになって、神社仏閣(ぶっかく)がお願い場所になってしまった。

神渡 これは大変な変質だ。

小林 前にも話ましたが、私たちはこれまでずっと、夢や希望を持つのはいいことのように教えられていました。
ところが残念なことに、祈祷(きとう)が今の自分の状態が不満であると漏(も)らし、神社仏閣は神仏にあれをよこせ、これをよこせとおねだりをする場にすり替わってしまった。
「健康にしてください」ということは、今の健康状態では不満足だということでしょう。金運向上をお願いするというのは、曲がりなりにも生活できている今の状態を不満だと言っているのと同じでしょう(笑)。
本来お釈迦様がおしゃっていたのは、「執着をなくしなさい。そうしたら楽になりますよ。すべてを受け入れて、笑顔で生きていけますよ」ということだったはずです。
何度でも言いたいことは、神社に手を合わせに行くのは何のためかというと、お礼を言いに行くためです。神社仏閣というのは、本来ありがとうと感謝をしに行くところだと思うんです。

小林 目が見えることがありがたい、耳が聞こえることがありがたい、話せることがありがたい、食べられることがありがたい、歩けることがありがたい。普段誰もが当たり前だと思っていることも、よく考えたら決して当たり前ではありません。私たちは日々無限の恩寵(おんちょう)を受けて生かされていることに気づくべきですよね。

神渡 つくづく思うんですけど、私たちの人生に起きる出来事というのは、意味がないものはない。感謝して受けるだけですね。
それなのに小ざかしい人間の知恵で、ああでもない、こうでもないと否定するものだから、ますます事の実相が見えなくて悩んでしまっています。
意味のないものはないと受け入れて感謝するとき、すべてが好転していくのだと思います。

小林 おっしゃるとおりです。
私たちが、お釈迦様の没後二千五百年のジャブトーバーにこうして生まれてきたということは、ものすごくラッキーなことだと思うんです。
二千五百年後、ジャブトーバーに生命体をもらった人たちがいて、神渡さんの本で「ナガタ」「ナガサキ」の考え方に触れることのできる人がいて、正観さんの話を聞くことができる人がいて、取り上げている致知出版社の出版物に触れることができる人がいる。けっこう面白い時代です。
時代的にはその「ナガタ」「ナガサキ」の話と、天照(あまてらす)の話と、釈迦の二千五百年後の話など、神さまの話を、昭和二十三年生まれの男たちが急にし出している。全部一緒くたに始まっているんです。
昭和二十三年生まれの男にもう一人、神さまのことを去年から今年にかけて急にしゃべるようになった人がいるんですよ。斎藤一人という人です。
伝え聞くところによると、斎藤一人さんが去年(二○○七年)、体調不良になって、今までのように動けなくなったところ、「伊勢神宮まで来い。そしたら治してやる」と言われたそうです。そうしたら周りの人が、「そんな体で伊勢神宮まで行ったら倒れちゃいますよ」と反対したそうですけども、「いや、神さまが呼んでるから行く」と言って、伊勢神宮に辿(たど)り着いたらしいんですね。そうしたらものの見事に治してもらった。それからはもう、商売や仕事の話はほとんどせず、神さまの話をたくさんするようになった、と何人かの人から聞きました。

神渡 斎藤一人さんは銀座まるかんの創設者ですね。宇宙の法則にのっとって商売をし、大成功していらっしゃる人です。

小林 はい。私はあったことがなく、直接話を聴いたことはないんですけども、昭和二十三年生まれの人間が、二○○七年から二○○八年にかけて、神さまの話を始めているというのが何か面白いでしょう。

神渡 なるほどね。私は斎藤一人さんの講演を聴いたことがあります。ご自分の言葉で話をされる方だから、聴衆は納得し、自分も実行してみようという気になりますね。人をその気にさせる方だなと思いました。

小林 いろんな人がいろんなところで、いろんなことを言っている。まさに『南総里見八犬伝』です。里見家に、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)の玉を持った人たちが集まってきて、一緒に歩んでいこうかというようなことが起きている。

   昭和23年生まれの人になんだかお役がありそうですね。      

            今年モゥー どうぞよろしくね 

             今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

コメント (2)