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『まず自分の力で歩いてみなよ!』

2009-02-27 | エッセイ

   『 まず自分の力で歩いてみなよ! 』

                 清水 克衛(かつよし) 著 

 

<著者紹介> 東京生まれ。書店「読書のすすめ」店長。コンビニエンスストアの店長を10年間勤めたのち、大学の先輩が建てた東京都江戸川区篠崎の建物のテナントに先輩からの一言で入ることになり、ただ「本が大好きだ」という理由だけで書店を開店。考え抜いた末に名づけた店名が「読書のすすめ」略して「読すめ」。

 

 読書好きなある方から譲っていただいた一冊です。どうも、ありがとうございます。不思議なご縁を感じてま~す。

閉店後、シャッターを半分だけ閉めた店の中で、一杯飲みながら、お客さん相手に語り出す『清水店長の闇がたり』。その語りの中から喜んでもらえるような内容がまとめられていますよ。清水店長さんの、お人柄が伝わってきます。こんな本屋さんが近所にあったらな~

     

  

  いびつなまんまが、素晴らしいんだよ

 

人ってね、アメーバみたいな形をしているんだよ。
ぐちゅぐちゅして、曲がったり、でっぱったり、凸凹(でこぼこ)している。
ひとりひとりが、みんな、いびつな形をしていて、
それがそのまま、素晴らしいんだよね。
長所短所じゃないんだよ。

長所短所って、人間が勝手に作ったものさし。

そうじゃなくて、
ぐちゅぐちゅ、凸凹は、個性なんだ。
人のひとつひとつの凹凸(おうとつ)に、ピッタリ、
自分の方から、形を合わせていくんだよ。
ちょっと遠回りに思っても、
その人の流れを大切にして、
その人が、
自分の凸凹を「活かせる」方向に向かうまで、
手伝ってあげるのさ。
ツキのサイクルに乗せてあげるんだ。

時間はかかるかもしれない。
でもね。その凸凹がピタッと合ったとき、
そこに人生の喜びが生まれるよ。

 

 

    成功法則本の弊害 

 

成功法則の本を読んだとたん、
「人と比較しだして」
「自分を責めだす」
そんな人を、ここんとこ、ゴマンと見ている。

人と比較すること・・・・・・、ここが不幸の始まりさ。

本を出したい!とか、
絶対に週末起業するんだ!とか、
自分のことだけにがんばりすぎちゃってる人は、
みんな顔がこわいんだよ。
読んだ本や人の、

奴隷になっちゃってるんだよね。

本当はね、

本を読んだら、人が好きになるはずなんだ。

人の良い所を見つける達人になって、
どんどん笑顔になる。
人を癒すことのできる人になる。

心をスッキリさせてニコニコしていよう。
いつの間にか知恵も湧くし、情報も集まってくる。
自然に応援してもらえるようになるよ。

 

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≪巻末 お・ま・けから~≫

 

『いい本は、単なる本を超えているものです。
単なるデータ、情報、知識として以上のものが、
そこにはあるといっていいでしょう。

そういった本は、叡知であり、人生でもあるのです。
たくさんの人生が、そこには詰め込まれています。

本を読むことは感じることであり、考えることであり、
感動することであり、生きることなのです。』

 

なっ。いい話だろ。
本屋のルーツってのはお寺なんだぜ。
「本」って漢字には「宇宙」って意味があるらしい。


昔むかしお寺で写経したり、
お坊さんの有り難いお説教を聞かせていただいたりしてな、
知恵ってなものをつけていったんだ。


 

   「 読書の輪 」 ひろがれ~

    

     「読すめ」HP  ⇒http://dokusume.com/modules/store/

 

        

         今日も最後まで ありがとう 

 

                  つながっているすべての人に ありがとう    

 

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『無功徳』

2009-02-23 | 仏教
 『 無功徳 』

                  玄侑 宗久 著 

 求めないからご利益があったとうれしがる。今の世の中に足りないのは、たぶんこのうれしさではないかという玄侑 さんです。

 

過去の嫌な記憶を忘れ去る工夫

 

基本的には、忘れてしまえば一番いいのだが、一旦記憶したことを忘れるよりは、記憶しないように努力したほうがいい。嫌な言葉や行為に接したとき、それを記憶に残さないためには、一番はその場を立ち去ることだ。しかしそれでは相手もさらに激怒しかねないから、ここでは裏技を使い、「吾、我を喪う」という状態になる。別な言い方をすれば、魂だけが出かけてしまうこと、あるいは「呆(ぼ)ける」と云ってもいい。とにかく無駄なエネルギーを怒りなどに使わず、その場は賦抜(ふぬ)けたカラダに任せ、魂は休養をとろう。


そういう技術が習慣化すると、越後の良寛さんのように「大愚(だいぐ)」になることができる。あのお方の場合は道号だが、禅ではこれほどの褒め言葉もない。昨日笑ったのと同じことに今日また大笑いできるようなら、人間関係は必ずや円満に進むはずである。昨日怒ったことにまた怒るのも悪くはない。最も恐れるべきなのは、昨日の怒りの記憶のうえに今日の怒りを塗り重ね、また昨日の笑いの記憶のせいで今日は笑えないことだ。
全ての感情も記憶も一旦「無」にリセットし、今は今でまた「無」から全てを立ち上げるというのが禅だと云っても過言ではない。そのような「前後際断」が難なくできるようになれば、すでに「日々是好日」なのである。


チンパンジーは三日ほどで失う記憶が多いらしいが、人間の場合は何年もまえの恨みごとまで密室に仕舞ったまま保存するから、すでに変質して悪臭を発している。そんな頭で「今」を見ることじたいが、どだいナンセンスなのである。


本来、我々の脳には必要な忘却力も具わっているはずだが、それを狂わせるパソコンなどの文字情報にも用心する必要がある。恨み辛みを書き残すのだけは日記でもやめたほうがいい。そうして明記したことは、いずれ口にも出してしまうし、それは必ず本人に伝わる。なぜかは説明できないが、そうなのである。

 

 にこにこするのは世界を大目でみている証拠

 

日本がまだ科学を知らなかった江戸時代、黒船でやってきたペリー総督は、日本滞在中に多くの手紙をアメリカの奥さんに書き送っている。
そこで彼が繰り返し書いたのは、日本人がにこにこしながら仕事をする不思議な民族だということ。そして礼儀正しく、挨拶も丁寧だということ。それから風呂が混浴で驚いたということである。


大目にみることがなくなってしまった現代日本はどうだろう。
仕事はピリピリ、礼儀もなく無愛想、そして混浴など殆どの地域では見られなくなってしまった。


まだ三十年ほどまえは、私の住む福島県にも混浴の温泉があった。べつに男女一緒だからと云っても、そこでは大目にみているのであって、じっと見詰めたりはしない。ラオスの酒やタバコと同じで、それだけでは大した問題などありはしないのだ。だから混浴も大目にみてほしいのに、そういう世の中ではなくなってしまった。
混浴も残念だが、しかしなんと言ってもショッキングなのは、当時の日本人はにこにこしながら仕事していた、ということである。


ラオス駐在の日本人旅行社の女性社員も「こちらは、ストレス、ゼロですよ」と笑っていたが、これはいったいどうしたことだろう。
考えてみればこれは当然のことで、我々の好きな好きな分析や計画が綿密になるほど、人はにこにこなどしなくなる。にこにこするのは、世界を大目でみている証拠ではないだろうか。


大切なのは「心の平安」だけ、という長老の言葉が再び憶(おも)いだされる。
日本語の今の「大目にみる」という言葉には、なんとなく後ろめたさが伴うが、おそらくそれはもっと詳しく分析的に見るべきなのに、という思いが心中に隠されているからだろう。
しかし本当の意味で、「大目にみる」ことは、もっと堂々と誇らしくなされるべきことだ。
混浴は無理にしても、挨拶を丁寧にしつつにこにこ仕事しながら大目を養いたいものだ。

 

   最近、TVなんかでも海外生活している日本人が『日本はサービスがいきとどいている国。海外生活してみてはじめて気がついた』なんていうのを聞いたりします。あたりまえに慣れてしまうと気がつかないものなのかも。

          

      

          今日も ありがとうございます 

 

                                つながっているすべての人に ありがとう    

 

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『臨死体験 生命の響き』

2009-02-20 | スピリチュアル

 

            『 臨死体験 生命(いのち)の響き 』

                   鈴木 秀子 著 

 

   鈴木秀子さんの不思議な臨死体験。人生の原点として感じとっているのが伝わってきますよ。今回は眠りについてとりあげてみます。

 

 眠りの本当の意味

 

私が意識ということを実感させられたのが、四十七年間も眠りを奪われたある女性のエピソードでした。
もうだいぶ以前のことですが、あるテレビ番組でその人のことを知りました。その人はロシアの女性で、そのとき、彼女はすでに九十歳近い年齢で、老人ホームで暮らしていました。


そのころには眠ることができるようになっていましたが、かつては一睡もできない状態のまま、四十七年間も生きてきたといいます。夜、横になると気分が悪くなり、どうしても眠れなかったそうです。そこで、家族が寝静まったあとも、一人でロッキングチェアに座り、本を読んだり、編み物をしたりして過ごしていたというのです。
テレビのインタビューに答えた彼女のコメントは、非常に印象的なものでした。たしか次のような感じだったと思います。


「いま振り返ってみると、それはどんな病気よりもつらいものでした。眠れないということは、肉体的な痛みや苦しみよりもっと深いつらさです。それは孤独というつらさです。単に夜の闇に閉ざされた中で、たった一人目を覚ましているという孤独感ではありません。はてしない、たとえようのない深い深い孤独でした。
どうしてこれほど深い孤独を味わうのか、それはあとでわかりました。眠りを奪われた孤独とは、他の人から完全に断ち切られた孤独だったからなのです。


人間は、寝ているあいだに、深い意識を超えた世界に入ります。その世界では、人間同士が現実やエゴの世界から離れて、単に人間としての存在の世界に入っていきます。そして、みんなが同じ状態で眠りを通して共通の生命を生きるのです。そこには生命のつながりがあって、みんなが無意識の中であたたかい思いを交換しあっているのです。


だからよく眠れた朝は、どの人も蘇ったようにはつらつとして目覚めます。それは単に眠りによってからだの疲れを癒したというだけでなく、もっと深い意味があるのです。魂の栄養を、眠っているあいだに、無数の人びとと分かちあっているのです。眠りという状態の中で、生命のつながっている無数の人びとと愛を分かちあい、エネルギーをもらい、心とからだの疲れを癒し、新しい息吹に満たされて目覚めるからです。これがほんとうの眠りの意味です。


そうした愛のつながりを断ち切られた状態が、四十七年続き、真の孤独を体験した私は、いま、ふたたび眠りを取り戻すことによって、愛というものがどんなにすばらしいものか、理解することができました。
それは行為ではなく、生きているとういうだけで無償で与えられるものです。互いに結ばれた人間同士が、伝えあえる愛の大きさ、かぎりなさを、私は深く理解したのです。
いま眠りを取り戻した私は、やがてこの世を去って、眠りよりもっと深い、愛のつながりの世界に帰っていける。それが毎日のかぎりない希望と喜び、生きる源泉です」


彼女がそう語り終えたとき、私は修道院の真夜中の祈りのことを思い出していました。
昔から、修道院では徹夜の祈りをする伝統があり、いまでも続いています。私も修練しているころ、よく真夜中に祈っていました。その修行の意味が始めてわかったような気がしたのです。


いま、世界各地で、徹夜の祈りを続けている修道者が大勢います。日中、他者のために祈りつづけている無数の人がいます。


祈りとはおそらく、人びとが眠っているあいだに、愛を波動のようにめぐらせていくものなのでしょう。また、日中、人間として生きていくうえでの支えとなっている見えない力なのでしょう。


それは、この世の中で、池の底に湧きいずる清水のような役割を果たしているのではないでしょうか。池の底にある清水は、目に見えない水面下で濁(にご)った水を浄化し、生命をいつくしんでいるのです。

 

  今夜もおやすみなさ~い     

   

 

              最後まで読んでくださって ありがとう 

 

 

                                つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                           

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『あの世はどこにあるのか』

2009-02-14 | スピリチュアル
あの世はどこにあるのか  『 あの世はどこにあるのか 』

                  森田 健 著 

 もりけんさんのこれまでの体験が一冊にまとめられています。不思議体験がおもしろーい。

 

 アインシュタインの言った言葉で面白いのがあるんです。彼が、こんな質問をされた時のことです。
「もし自分が殺されそうになって、助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられるとしたら何をしますか」
アインシュタインの答えはこうです。
最初の五五分は適切な問いを探すのに費やすだろう」
彼の考え方は、適切な問いが見つかれば、答えは自動的に見つかるというものなんですよね。だけど、我々は逆をやっている。答えを見つけようと必死にもがく。でも、答えではなく、どういう問いを持つか、それが重要なんだと、アインシュタインはそう言っているんです。
時空は問われたい。
とすると、神も自分自身をわかっていないのかもしれない。だから我々という知的生命体をつくって、
「あなたは誰?」と問わせたのではないでしょうか。
私の人生について言えば、自分で言うのも何なんですけども、自由について非常に強い問いを持ったんですね。さらに、この時空はどうなっているのかという問いも。
そういう問いを持ったからこそ、いろいろなヒントが降ってきたのだという気がします。
それは占いだったり、モンロー研究所だったり、生まれ変わりの村だったり・・・・・・。
だけど、多くの人は、問いではなく目的を持っちゃている。たぶん、それでは何も答えてくれないと思うのです。
だから、時空は問いを持っている人を意外と重要視してくれているかなというのが私の仮説です。
なぜなら、問いが発せられることによって、元々の運命が変わるからじゃないかという気がしているんですよ。神は自分がつくちゃった運命を自分でも変えたいんだと。しかし、それって問われないと出来ない。問いがあるから置物を置いたりして変えることが可能になる。
とすると、あの世が天の上にあって、そこで裁きが待っていて、
「お前のやったことはこういう価値しかない。五〇点だな。人間卒業なんて一〇〇年早い」とか決められるとすれば、それって問いがない世界じゃないですか。相手によって決められちゃっているわけだから。それってたぶんないだろうな、と私は思います。
あの世は隣にあって、水平の関係で同格であって、こっちからもあの世を変えることが出来る。そういう関係だとすると、もうどうなるかわからない世界に入っていくと思うんですね。時空ももしかしたら、やっぱり自由を欲しているんじゃないかという気がするんですよ。
だから、何度も言っているように、価値観を持った神のような存在がいて、それが(我々)どこかに導いていくというのは違うかなと。

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これから地球はどうなるかと占ったことがあります。コインの情報によれば、楽しみとか快楽というのが災害を消す大事なファクターになっているみたいですよ。
一般的に言えば、マイナス要素を減らすことで何かを救おうとしますよね。地球の温暖化が進んでそれが原因で水害が起こるとすれば、温室効果ガスをなくすとか。人間のエゴがいけなかったのだと、反省をうながしたりもすると思います。
でも、コインは、
「そういう手を使うとかえって災害を大きくする」と言ってます。
快楽というものは、普通は否定されるほうが多いですよね?
「自分の好きなことばかりしてないで、もっと社会のことを考えろ」なんて言われたり。
まして今や地球が危機に瀕しているのは誰の目にも明らかで、そんな時に自分の快楽に溺れていていいのか、と。
しかし、コインの出したこと、ということはつまり地球の出した回答は違いました。楽しみとか快楽が大切なんです。
これは、外応を使って考えれば簡単なんです。
たとえば、不思議研究所は笑いが絶えないところです。私自身が大きな声で笑うのも原因です。仕事の相手から、
「このプロジェクトがうまくいくかどうか、コインを振らないのですか?」と聞かれたことがあります。その時笑い声がしました。それでコインすら振る必要がなくなったんです。
そう。みんなが緊張している職場だとどうでしょうか。全員がピリピリしていて、笑いなんか出ない。時には怒鳴り声が聞こえるかもしれない。そういうときに問いを発するとどうなるでしょうか?運命は悪いほうに変わりますよ。
ありがとうと言うのが大切だとか、笑顔が大事だとか、ポジティブに生きたほうが運命が好転すると書かれた本はとても多いですよね。その理由は、外応
にあったのです。笑いの絶えない環境に自分を置けば、すべては自然とうまくいくと思います。

 

   あの世に関してのとらえ方がもしかしたら変わるかも。

    もりけんさんありがとう 

      

     不思議研究所HP⇒http://www.fushigikenkyujo.com/menu.asp

 

          今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

 

                                つながっているすべての人に ありがとう    

 

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『無条件の愛とゆるし』

2009-02-10 | 心理
 『 無条件の愛とゆるし 』

                  E・R・スタウファー著 

                   国谷誠朗・平松園枝・共同訳 

  

 古代エッセネ派による八つのトランスパーソナルな態度が紹介されています。今回は、第七の態度---平和に奉仕する者の態度からです。

 

  平和の秘密

昔々、生まれつきおだやかで、情け深く、親切な王様がおりました。その王様の物語です。

 

隣の国の王様は戦争と征服に熱心で、おだやかな王様にとっては悩みの種でした。
彼は、戦争好きの王様に和平交渉を提案する使者を送りました。一方、自分の国民に対して、いざという時の準備をしておくように命じました。
国民の心は、恐れと悲しみで、重苦しくなっていました。
その王様は、確固たる信念をもって、平和な解決をもたらす何らかの手段が与えられるようにとお祈りをしていました。

 

ある日、家臣の妻が王様のもとに来て、一つの秘密を打ち明けたいと願い出たのです。
この女性は、王様の耳に、彼にだけ聞こえるよう何かを告げると、王様はほほえみました。王様はその女に、出かけて行って町で他の女たちに、彼女の秘密を打ち明け、その知らせを町中に、国中にひろめるよう命じました。
王様は自分の妻のもとにいき、この秘密を打ち明けました。彼女もお城から出て、国中、いたる所で出会った女性にこの大きな秘密を告げ知らせました。そこで、女性たちが旅をし、このメッセージを次から次へと伝えていくにつれて、この王国の隅々まで、喜びの歌が聞こえるようになり、人びとの顔に笑顔が戻りました。

 

 ある日、戦争好きな王様のもとに送った使者から、和平条約が結ばれたという知らせが届きました。
平和好きの王様は、戦争の準備はすべてやめて、平和な時の仕事に戻るよう国民に命じました。
すると、人びとは「すでにもう、そのようにしているし、そのために喜びや幸福が国中に広がっているのです」と王様に言いました。
この奇跡的な変化の理由は何でしょうか、と家臣たちがわけを知りたがると、王様は女性たちが一人ひとり、次々に流した秘密を明らかにしました。
それはこういうことでした。

 

「毎日、短い時間、一人きりになって沈黙の時を持ちなさい。自分の心の底に深く入り、神に祈りなさい。ただし、平和を求めて祈るのではない。神様には祈りの中で何も求めてはいけない。ただ沈黙して座り、自分自身の中に平和を見出しなさい。これを毎日実行しなさい」

 

二つの王国の間に喜びと平和をとり戻した大きな秘密とはこういうことだったのです。効果的な奉仕というものはすべて、どこで提供されても、特定の態度を必要とするのです。平和は戦いをして勝つという積極的な行動の結果としてもたらされるものではありません。私たちの心の扉を開き、そこに無条件の愛を流すことが平和をもたらすのです。平和のあるところに、不安はありません。平和を創り出す人は幸福です。

 

    平安の中での休息。心地よさそう・・・・・

   

                 今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 

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