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『「自分」から自由になる沈黙入門』

2009-03-28 | 仏教
『 「自分」から自由になる沈黙入門 』

                  小池 龍之介 著  

  

 なかなかおもしろい内容です。自分観察している方にはグットですね。意識を探る、味わう世界が修行僧的?に書かれておりまする。今回は「否定の魔力」からピックアップ!

 

 

  自分語りの呪文

 

批判にしろ、悪口にしろ、つまるところ何かを「否定」することには、怪しげな魔力があるのやもしれませぬ。
すなわち「否定」とは、「私ってステキでしょー!こんな私を見て」てふ呪文。「あいつはダメだ」と否定すると、その「あいつ」と比べて自分がとても素晴らしい人間になったかのような魔法がかかるのであります。

 


多くの人は、自分語りをしたい、自慢したい。だけれど、自分のことをストレートに自慢するのは恥ずかしい。
それでも、人の心てふものは放っておくと無駄に気持ちよくなりたくなりますゆえに、ついつい「じゃぁ、ちょっとバレにくいやり方で自慢してみようか!」と、否定トリックの魔術にはまってしまう。

 


否定が自慢だとは気づかなかったとしても、残念ながら、否定ばかりする人の周りにいると、よい気持ちはいたしませぬ。これすなわち、否定の魔術に含まれる自慢のトリックがうっすらと感じられるからにこそ候へ。

 

 

 「阿呆」

 

以下に挙げますは、私自身を観察していて気づいた、些細な呪文サンプルになむ侍る。
ある日の昼どき、女友達と自転車をこぎながら話をしていたら、銭湯の女湯に、小学校高学年か中学生くらいに見える男子が入ってきて恥ずかしくてしょうがなかった、という話題になりました。親子で入ると無料の日だか何だかだったらしく、母君が連れて入った模様。


それを聞いていて、「母君と一緒に入っちゃうその子もその子だけど、母君は何考えてんだろうね。アホじゃん?」と私。あ~いけねぇや、また偉そうなこと言っちまった、と自分を観察してみると、たしかに「アホじゃん?」と言った瞬間に気持ちよくなっているのであります。


ここでは、「阿呆」「アホじゃん?」が、私が気持ちよくなる呪文なり。

 

 みんな魔術師

 

普段から悪口をあまり言わないように意識している私でも、ふと気をゆるめるとこのありさま。後から思うとドウデモイイことを、わざわざ否定して盛り上がることが、しばしばあり候ふ。
これくらいの軽い話題ならまだしも、否定する内容がドギツすぎたり回数があまりにも多すぎたりいたしますと、会話そのものがロクなものにならないであろうことは、容易に想像がつくことであります。

 


自分はそんなに文句言ったり悪口言ったりしないよ、という人もいるやもしれませぬが、それは絶対に嘘だと言い切る自身があり候ふ。
嫁がウットウシイだとか、姑が頑固だとか、社会が間違ってるとか、政治がおかしいとか、都会はタガが外れてるからよくないとか、今の若者はイカレてるとか、誰々のファッションは変だとか、イスラム教徒は狂信的だとか、次から次に。

 


ほとんどの人は、自分でも気づいていないくらいしょっちゅう、何かに対する否定的な文句を連発している、否定の魔術師であります。文句の数が増えれば増えるほど、ネガティブな感情を自己暗示して自分の潜在意識(ムイシキ)に刷り込むことになりますゆえに、大きなストレスとなり、心身の健康を損なうことにもなり候ふ。

 


そのうえ、会話の内容もロクデモナイものになりますれば、せっかく良い人と出会ったとしても敬遠されてしまったり、いろいろな縁を逃してしまうことにもなりかねませぬ。


かく申しますと、当然、「批判もときには重要」「必要なときに、あまり気をつけすぎてまったく批判できないのはよくない」てふ意見もありませうが、それはまったく心配なきことであります。

 


仏道を日々実践している人ですら、否定をゼロにするのはなかなかに無理なこと。フツウの人がちょっと意識したくらいで批判・悪口をやめられるなんてことは、絶対になし。


ゆえに安心して、否定に費やす無駄なエネルギィをダイエットすることに励み給へ。 

 

 

  ウエブサイト「家出空間(イエデクーカン)」もどうぞ

現在、イエデクーカン庵主は、山口県で坐禅セッション合宿のお稽古指導に専念しているらしいです。

    ⇒  http://iede.cc/

   

      今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

 

             つながっているすべての人に  ありがとう    

 



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