ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

「革命」その2

2009年12月23日 | 音楽
前回の「革命のエチュード」についての内容、だからなに? ってな文章でした。
要は、ピアノが好き、ピアノは楽しい、ってことだけだったんですけどね。

今回はその続き。

小さい頃からピアノを習ってはいたけど、さほど上手にならなかったのは何度も書きました。
わたしは妙な子どもだったので、家で練習している時、誰かがそばで聴いていると思うと、
どんな曲でも練習曲のようにしか弾けなくなってしまいました。
ひとりで練習している時は、我ながら、この部分はいいなぁ、って感じながら弾けるのに。

「あんたの弾くのは、練習曲みたいで面白みがないねぇ・・・」
長じてからも、何度となく母から言われたりもして・・・。

(こういう言葉って、予想以上に子どもの心を傷つけます)

ピアノでも何でもそうですが、同じ曲でも、演奏家によってかなり印象が違います。
オーケストラでも、指揮者によってそれぞれに特徴があります。
いい、わるい、ではなく、それはあくまでも、演奏家や指揮者のその曲に対する解釈の違いです。
それは、演奏家や指揮者の感じ方や性格などが曲に現れてくるのだと思います。

そういう意味で、わたしの演奏は、たしかに、本当につまらないものでした。
真面目な性格では全然ないはずなのに。
特に、ピアノソナタのゆったりした2楽章とか、ショパンやシューマン、シューベルトといった、ロマン派の曲が苦手でした。
弾いていて楽しい、というより充実感があったのは、激しい曲。
ベートーヴェンの悲壮ソナタとか、モーツァルトの短調の速いピアノソナタ。

きっとそれは、その頃のわたしの置かれていた環境によるものだったのかなぁ、とも思います。
可愛らしい曲やうっとりするような旋律は、なにか自分には沿わない感じがしていました。
高校生までのわたしは、ピアノを弾くことで、ある種の鬱憤晴らしをしていたようにも思います。

大学の時についた先生に「音色」の響かせ方を教わり、今の先生にレッスンしていただくようになって、
この年齢になってようやく、旋律を歌うという心地よさを知ったような気がしています。

「革命のエチュード」は、そんなわたしのとって久しぶりの激しい曲です。
若かった頃の、やみくもに鍵盤を叩いていたのとは違う、オトナの演奏、
できたらいいなぁ・・・。何ヶ月かかってもいいから。

毎日赤ちゃんやお子さんを診ていて感じることは、
どんなに小さな赤ちゃんでも、持って生まれた性質があるということ。
これも、いい、わるい、ではなく。
その子の持って生まれた性質が、その後どんな少年・少女、大人を形作るかは、
その子が育つ過程で変わってきます。

小さい頃に家族を悩ませる子どもでも、節目ふしめで、子どもはステップアップします。
毎回、診察のたびに、泣き叫んで暴れていたお子さんも、ある日突然泣かなくなるように。

人見知りの激しい妙ちくりんな子どもだったわたしも、
今この仕事に就いて、人前でしゃべるのなんか全然平気になりました。
(今はしゃべりすぎて失敗してます)
ピアノの演奏だって、ちょっとはましになったと思います。

何年かかるか、何十年かかるか、それは人それそれだけれど、
気付かないぐらいの小さな革命を繰り返して、子どもは成長していくのだと思います。


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