ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

避難してきた方々の現実

2011年04月11日 | 東日本大震災
先週あたりから、受診する方々の住所も、避難所から個別の住まいに変更した人たちが増えてきた。
といっても、まだ一部と思われるが。

まもなく小学校の入学式というお子さんが再診した。
カルテの避難所の近くの学校かなと思い、○○小学校なの? と聞くと、
避難所の学区の小学校ではなく、ここから20キロぐらい南の市の小学校だ。
その家族はその市にアパートを借りたとのこと。
まだ地理もわからないし、病院もわからないので、今回は当院を再診したのだそうだ。

どうしてまた、そんな遠くに? と尋ねると、

市の担当の方から紹介してもらった不動産屋を数件当たってみたが、
どこもすでに一杯、しかも、避難者は数ヶ月で出ていく可能性もあるので、貸せない、
とも言われたそうな。
それで仕方なく、あちこち探して、やっとその市のアパートを見つけたんだそうな。

 そんなのって、アリか?

わたしも看護師も、ごめんね、と謝った。

またある兄弟は、やはりカルテの住所とその学区ではない小学校に転校する。
どうしてかと聞いたら、これまた、ホントなの? と言いたくなる状況。

その家族は、近くの高校に避難していた。
転校手続きも、近くの小学校にとった。
数日前、その避難所から15キロほど離れた温泉地に避難するよう言われ、移動した。
その温泉地の学区の小学校に行けるのかと思ったが、
もう学校の変更はできないと言われた。
15キロも離れた温泉地から、最初の避難所の学区の小学校に通ってくれと。

どうにか掛け合って、やっと、転校先の小学校に少しは近いところを見つけてもらったそうだ。
それでも、小学生がひとりで通学はできない距離だ。

そのご家族には、持病のあるお祖父ちゃんがいるそうな。
病院に通う都合もあるし、ガソリンはどうにかなるにしても、毎日送迎は無理だ。
しかも親御さんは、被災した地区の教師だそうな。
自宅は避難勧告区域なので避難してきたが、勤務先の学校は避難勧告区域ではない。
だから、授業をしに行かねばならない。
ここから毎日通勤するのだそうだ。山を越えて、50キロぐらい。
子どもの学校の送迎と、親の通院と、自分の通勤と、
とにかくやるしかないです、と言う。

 こんなのって、アリか!?

詳しく訊けば、避難先のことは県の担当。
公立小中学校のことは、その地区と当市の教育委員会の管轄。

行政同士の連携が、バラバラだ。

あめつゆしのげることができるんで、贅沢は言えない。

避難してきた方々は、みんな、そう思ってる。

 でも、こんなの、アリか!?





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