ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

言霊の幸う国

2013年03月10日 | 東日本大震災
のっけから漫画の話で恐縮だが、
購読しているレディースコミックに、山岸凉子氏の「言霊」という漫画が短期連載されていた、
山岸凉子といえば、バレエ漫画「アラベスク」や聖徳太子を描いた「日出処の天子」など、
若い頃、いずれも連載の漫画誌を毎号楽しみに読んだものだ。
今回の短期連載も、バレリーナを夢見る少女が主人公。

 主人公が通っているバレエスクールには、ちょっと意地悪なライバルの少女がいる。
 主人公の少女はテクニックも表現力もあるのだけれど、本番に弱い。
 そこがライバルにかなわないので、いつも悔しい思いをしていた。
 彼女は次第に、ライバルの失敗を願うようになり、そういう自分の心を恐ろしくも感じてしまう。
 ライバルの少女と親しい、国際コンクールレベルの男の子にもほのかな恋心も抱き、
 それもライバルの少女への嫉妬心を募らせ、苦しい日々を過ごす。
 でも、主人公もその男の子と親しくなるきっかけができ、その彼の励ましで、彼女は自分を取り戻す。
 コンクールの時に、出番前に緊張しているライバルの少女に、「頑張って!」と思わず声をかける。
 いままでその子の失敗を願っていた自分が、「頑張って」と思わず声をかけた、
 その瞬間に、自分の心も何かから解き放たれたように軽くなり、本番では大成功。
 晴れて主人公が優勝した。

・・・というストーリー。

主人公の少女は、それまで自分の失敗はライバルのせい、あの子がいなくなればいい、
といったマイナスの思いを心にためこんでいた。
でも実は、自分の失敗はそのマイナスの思いのためだった、
自分の思い(言葉)が自分の失敗を招いていたのだ、ということに気付く、
という設定になっている。
言葉に宿る力というのは、人をいかようにも操ってしまうことがある、ということかな。

だから「言霊」というタイトルなんだ、と読んだあとにわかった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、前置きが長くなった。

何が本当のことなのかがわからない、という質問をこれまでたくさん受けてきた。
最初の頃は、ひとつひとつを説明していたのだけれど、
これだけではだめだ、と感じることが多かった。
具体的なことばかりではなくて、もっと哲学的(という表現もへんなのだが)に伝える必要もあると思った。
悲しいことに哲学者でもなんでもない凡人のわたしは語彙も乏しく、こんなことしか言えなかった。

 ここで暮らしているわたしたちが、聞いて不快・不安になる情報は、
 あれ? なにかおかしいんじゃないか? そう思って下さい。
 そして、ほかの情報もいろいろ調べて、冷静に判断するのがいいと思います。

先日、ネコさんのブログのコメントに、糸井重里氏の言葉が紹介されていた。
そうそう、こういうことだよ、とわたしも思ったので、ここにも紹介する。

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ほぼ日刊イトイ新聞ー「しがらみ」を「科学」してみた
http://www.1101.com/shigarami/2012-03-21.html

以下は、このシリーズの「震災リテラシ-」の中の言葉。
長くなるが、糸井氏の言葉を抜粋する。

   やはり「戦う」にはテクニックも必要で、
   闇雲に体当たりすればいいというわけじゃない。
   ときには、逃げることだって必要です。

   ぼくは、自分が参考にする意見としては
   「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
   「より脅かしてないほう」を選びます。
   「より正義を語らないほう」を選びます。
   「より失礼でないほう」を選びます。
   そして
   「よりユーモアのあるほう」を選びます。
    ・・・
   つまり、人の選択肢を狭めようとしていたり、
   考えることをやめさせようという
   意図のある言葉には、
   「あ、気をつけよう」と思うようにしていて。
   ・・・
   たとえば「スキャンダラス」というのは、
   「最近、鼻血が出るのは放射能の影響だ」
   みたいな、
   「大変だぞ!」と思わせて
   人を動かそうとする発言のことです。

   でも、少し調べれば
   それが「嘘、あるいは嘘の可能性が高い」と
   すぐにわかるんです。
   ・・・
   だから、あまりにスキャンダラスだなと
   感じた場合は、
   「本当なのかもしれないけど、
   ちょっと落ち着こう」
   と、思うようにしているんです。
   ・・・
   「より脅かしてないほう」というのも、同じ。

   「こうしないと、大変なことになる!」
   と、ぼくらを脅してくる言葉とは一線を置く。
   ・・・
   また「正義」の名のもとに
   ひとつの選択肢を
   選ばせようとする言いかたも、違うと思う。

   選択肢というのは、たくさんあるわけだし、
   だから
   「より正義を語らないほう」を選ぶんです。
   ・・・
   つまり、人の選択肢を狭めようとしていたり、
   考えることをやめさせようという
   意図のある言葉には、
  「あ、気をつけよう」と思うようにしていて。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本語は美しくも複雑で、漢字と平仮名と片仮名で成り立つ。

  「福島」「ふくしま」「フクシマ」

どれもイメージが異なる。
どの表記をどのような時に誰を相手に用いるかは、その使い手の心ひとつによる。
たかがブログのコメントでさえも、優しさが伝わったり悪意を感じたりする。
そこに表情や口調が加われば、さらに「言葉」の持つ力は大きくなる。
そこが「言霊」といわれる所以でもあろう。

いつも負のイメージの言葉ばかり心に浮かべ口に出していれば、
その人の心も体にも、それは「負」がかかるのではないか。
そしてそれは、その人にかかわる人たちへも伝わってしまう。
不安などのストレスが活性酸素を増やし遺伝子を傷つけることもあるという、
これは、何度も書くけれども、医学・科学的にも証明されていることだ。

人の不幸を願ってはいけないのだ。

もっとも、「福島の人達を助けてあげます」と信念を持って活動なさっておられる方々は、
それがここで暮らすわたしたちにどれだけの負荷を与えているかということに、
気付いていない。
(もしわかっていてやっている人がいるとしたら、それは人ではない)

このことについても、同じブログのコメントで紹介されてたので、ここにも紹介。

放射能被害の発生を声高に訴えてきたオオカミ少年は、悲劇を望むようになる - 開米 瑞浩
http://blogos.com/article/57796/?axis=g:0

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表題は、「ことだまの さきわうくに」と読む。
古代の日本では、言葉には呪術的な力があり、言葉にしたことは現実になる、と考えられてきたそうな。
現代においては科学的ではないけれども、心の在り方には言葉の影響は大きい。
一度口をついて出た言葉は、もうその人だけのものではない。
時々遭遇してしまう品性のないコメントなどは、その人の内性を表しているともいえる。
せめて自分は、人を不快にさせたり悲しませる言葉を口にしたくはないと思う。

 ・・・と思いつつ、前の記事の「奴ら」は品性がないかも。反省。



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40 コメント

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先生の言霊に惹かれて (なおみ)
2013-03-11 11:40:08
たくさんの人が集まってきたんです。

>悲しいことに哲学者でもなんでもない凡人のわたしは語彙も乏しく

すでにすごい力をお持ちなんですよ。

>ほぼ日刊イトイ新聞ー「しがらみ」を「科学」してみた
http://www.1101.com/shigarami/2012-03-21.html

こういうかっこいい大人がたくさんいるはずなんです。
(ほら・・・
♪地上の星(中島みゆき)が聴こえてきませんか?)


種を撒く


こちらのブログもタイトルに「種」がついてますが
種は撒いてもすぐには芽が出ないんです。

糸井さんもそうだし
多くの心ある大人がずっと巻き続けている。

大丈夫。


・・・・って口に出していれば
いつか願いは叶うって(実際そうなってます)
私は言霊の力を信じています。
返信する
Unknown (パエトーン)
2013-03-12 22:05:30
ちなみに山岸さんは随分前にパエトーンという
反原発を訴える作品を書いておられますが
ご存じですか?
この国において良心的な作家、アーティストは
大体において反原発を訴えておられます。

難しい理屈や、もっともらしいレトリック以前に
反原発は人として当たり前の気持ちだと思います。

糸井氏のことばはいかにも今時の文化人らしい
無理がありすぎの自己正当化ですね

返信する
種を播く (ひまわり)
2013-03-12 23:09:04
なおみさん

誰かがが何気に発したつもりの言葉でも、
その言葉に助けられたこと、ってありませんか?
わたしはたくさんあるんです。

なおみさんの言葉も、きっと多くの人たちの心に
「しあわせになる種」を撒いてると思います。
わたしも撒いてもらったひとり。

大丈夫。

わたしも、いつも自分自身にも言い聞かせてます。

(次の方のコメントは、糸井氏の理論でいえばスルーに限りますね。苦笑)



返信する
反原発 (Non)
2013-03-12 23:15:15
バエトーンさん
>反原発は人として当たり前の気持ちだと思います。
おっしゃるとおりです。

放射性廃棄物の処理も出来ない、ひとたび事故を起こせば、廃炉にするだけでも40年もかかる、ふるさとで暮らせない人も出てくる等、犠牲は大きすぎますね。
一刻も早く、原子力発電に頼らない代替エネルギーを実用化して欲しいと願っています。

でもそのことと、
>ここで暮らしているわたしたちが、聞いて不快・不安になる情報は、
>あれ? なにかおかしいんじゃないか? そう思って下さい。
>そして、ほかの情報もいろいろ調べて、冷静に判断するのがいいと思います。
と言うことはなにも矛盾しないと思います。
ひまわり先生も、決して原発推進なんてどこでもおっしゃってはいないと思いますよ。

反原発を声高に訴える方々って、何故か今の福島を危険だと煽ることと抱き合わせでないと気が済まないように思うのは私の考え過ぎでしょうか?

私のように、今の福島はそれほど危険ではない。
でも原発は犠牲が大きすぎる。
と考えている人間もいます。
返信する
原発の是非と放射線問題は別 (ひまわり)
2013-03-12 23:25:43
パエトーンさん

わたしに山岸凉子氏の漫画の○○を知ってるか?
とご質問とは・・・。(苦笑)

はい。もちろん、知ってますとも。
チェルノブイリの原発事故が起きた後に書かれたものですよね。
ギリシャ神話にからめて書かれてます。

それと今回の「言霊」という漫画がどうつながるのでしょうか?
山岸涼子氏が反原発思想をお持ちだとして、だから何ですか?
そういう作家の作品をブログで紹介することはおかしいとでも?
作品は作品でしょう。

何度かブログ記事にもあちこちのコメントにも書いたつもりですが、
「原子力発電の是非」と
「今回の福島原発事故による放射線被ばくの影響」とは、
同じ土俵で論じて欲しくはありません。

わたしは個人的には原発なんて金輪際いらないと思ってますが、
だからといって、
「福島で放射線被ばくによる一般市民への健康影響が出る」
という理屈は間違いです。

また、原発はいらないと思っているわたしですが、
いますぐなくすことが現実的ではないことは十分理解していますし、
反原発活動に加わる気持ちは「これっぽちも」ありません。
まして、反原発活動のために福島の子ども達をダシにすることは、
許せない思いでおります。

あなたのおっしゃることは論理のすり替えです。
返信する
NONさん (ひまわり)
2013-03-12 23:38:18
コメントありがとうございました。
わたしの、なおみさんへの返信コメントで用いた「次のコメント」は、
なおみさんの次のコメント、という意味で、
パエトーンさんのコメントを指したものでした。

送信のタイミングが悪くて、
NONさんのコメントみたいな印象になってしまい、申し訳ございません。

 >反原発を声高に訴える方々って、何故か今の福島を危険だと煽ることと抱き合わせでないと気が済まない

そうなんです。
これがとても困っていることなんです。

 >私のように、今の福島はそれほど危険ではない。
 >でも原発は犠牲が大きすぎる。
 >と考えている人間もいます。

ありがとうございます。



返信する
ヨコですが (IKA)
2013-03-12 23:42:37
>パエトーンさん
>この国において良心的な作家、アーティストは 大体において反原発を訴えておられます。

…私はあなたの言う「良心的」な人間が無神経で、あまつさえ福島に住む人を踏みにじってきた事も少なからずあるように思いますけど。

と言いますか、ここのブログ(とこのエントリ)は「原発の是非」を問うものではないと思うのですが。
何が言いたいのでしょう?(確か、ひまわり先生は「原発は無いに越したことはない」みたいな事をおっしゃっていたと思うんですが…)

ええと、こういうのは…トンチンカン、でいいのかな。

>難しい理屈や、もっともらしいレトリック以前に 反原発は人として当たり前の気持ちだと思います。

原発は難しい理屈で動いています。まあ、それを全て理解する必要はないでしょうけど、「気持ち」と「理屈」(科学性とか合理性とでも言い変えた方が良いかもですが)どちらで考えるべきか、と問われるとどうでしょう?多くの人の生活がかかっている問題でもありますし、「気持ち」って百人百様ですから、ある程度「理屈(合理性)」で判断した方が話はまとまりやすくないですか?
って言いますか、「 反原発は人として当たり前の気持ちだと思います」って、反原発じゃない人は「当たり前」ではないと言いたいんですかね。
原発推進とか容認とか言っちゃうと、「人でなし」って事?

ってか、再度言いますが、このブログとエントリは「原発の是非」を問題にしていませんよ。

>糸井氏のことばはいかにも今時の文化人らしい 無理がありすぎの自己正当化ですね

まあ、どんな感想をお持ちになっても自由だとは思いますが、何処に「無理が」あって、何処が「自己正当化」なのかご指摘していただけませんか?私は何処が該当するのかよくわかりませんでしたので。

ってか、パエトーンさんのコメントは「いかにも今時の自称反原発らしい 無理がありすぎの自己正当化ですね」

厳しい事言いますけど、主語や一部の言葉を入れ換えるだけでブーメランできる批判って、批判になってませんよ。どちらかと言うと誹謗中傷に近いですね。

もっとこのブログを読み込んで(くどいですが、原発の是非を問題にしていませんからね)、具体的に、かつ論理的に話をするようにした方がいいですね。
現状では全く説得力がありません。



>ひまわり先生
私も原発事故以後、この「糸井メソッド」を知り、かなり救われた記憶があります。

私なりのメソッド加えるなら
「私は、言ってもいないことを批判する人を信用しません」
「良心的、当たり前の気持ちなどを盾にする人を信用しません」
って感じですか(笑)。



それにしても「デマ、ウソ」を批判すると、言ってもいない「反原発批判」って受けとる人が多いんですかね。
それって「デマ、ウソ=反原発」って認識を自分達で認めちゃってるって事になるんですけどね(笑)。
返信する
IKAさん (ひまわり)
2013-03-13 01:33:33
わたしが申し上げたかったことを、
詳しくご説明いただき、ありがとうございました。

糸井氏の言葉の、
 >何処に「無理が」あって、何処が「自己正当化」なのか

これ、わたしも知りたいところですね。具体的に。

>「私は、言ってもいないことを批判する人を信用しません」
>「良心的、当たり前の気持ちなどを盾にする人を信用しません」

御意。

>「デマ、ウソ」を批判すると、言ってもいない「反原発批判」って受けとる人が多い

ほんとに、今回の記事がどうして反原発批判ってことになるのか、理解に苦しみます。
わたしは「心のあり方」について書いたつもりなんですけどね。(苦笑)

それに、指摘された漫画は25年も前のものだし。
当の作者が今の事態をどう考えてらっしゃるかなんてわからないのに。

あの漫画にはね、「広瀬某」の本も登場するんですよ、たしか。
で、当時わたしも、読みました。その某の本。(立ち読みですが)
だってその当時、わたしは乳飲み子の母でしたから。
そりゃあ、関心はありましたよ。
なるほど、って思った記憶がある。
でも、あんまりおどろおどろしくて、いい気持ちはしませんでした。

で、今回の事故を受けて、また著作を出したんですね。彼は。
今回も立ち読みでしたけど、いざ当事者として読むと、
なんだか違うな、というのが第一印象でした。
事故当時はメディアの露出も多かったですね。
「このままじゃ、死にますよ」とか言ってましたね。
こんなこと平気で言えるヤツは信用できない、と思いました。

やっぱり糸井メソッドですね。





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いつまで被災地っていわれるのかな・・・ (なおみ)
2013-03-15 16:41:19
神戸の時はいつまで言われてたの?
と子どもに聞かれました。

なんか・・・思うことあったんだろうなと思って
真剣に思い出そうとしたんだけど
いつまでその言葉で神戸を呼んでいたかを
思い出すことはできませんでした。

地震があったことがわからなくなるくらい
街が整ってきたら
言われなくなるのかなあ・・・。

忘れて欲しくはないけれど
時間が止まっているのも嫌。

この場合言霊はどのように作用するのか???

そこに住んでる人は
自分のいる場所を被災地なんて言わない

遠く離れた人が
親しい知り合いもいないような人が
その場所を「評論」する時に
「被災地では」とか言いそうな気がする。

やっぱり距離を感じる言葉なのかもしれません。
返信する
Unknown (boomboom)
2013-03-18 01:03:38
  いつも読んでいるのですが,コメントは,少し控えていました。

  この糸井氏のメソッドは,なかなか良いところをついている,と,ネコさんのブログで感じておりました。

それと,IKAさんの
>私なりのメソッド加えるなら
>「私は、言ってもいないことを批判する人を信用しま>せん」
>「良心的、当たり前の気持ちなどを盾にする人を信>用しません」

も,なるほど,と思います。

言ってもいないことを批判されたら,たまらないものですが,往々にして,ありますね。

自分は,感情をむき出しにされると,一歩二歩ひいてしまうので,逃げずにIKAさんのように冷静に受け止めるべきなのだと思います。

私も,かつてはいわゆる「反原発」でしたが,今は,それを称するのは,やめました。

今騒がれている「原発やめろ」と「放射線こわい」(いまだに騒いでいるんですが,それに最近はPM2.5が怖いと沖縄あたりに避難した人達が不安がっているとか)などという人達の底に,悪意または,なにかしら「悲劇のヒロインまたはヒーローになりたい」「気の毒な人と寄り添う自分は素晴らしい」というような気持ちを,なんとなく,本能的に感じるからでしょうか。

そんな悪意は,ここのブログにはふさわしくないです。ひまわり先生の言葉は,あたたかくて,おもいやりがあって,クールですから。
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