ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

憲法記念日

2011年05月03日 | 東日本大震災
夏目漱石の「草枕」の冒頭は、このような出だしで始まる。

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 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角かどが立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
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今、法律で定められている基準を引き上げるとは何事か、という学者と、
平時の基準からは逸れるが過去のデータに基づけば心配はない、という医療者との間で、
国民は右往左往している。


 【智(ち)に働けば角かどが立つ。】

人のからだは、数学的な計算だけでは計り知れないものがある。
計算通りではないことも、多々ある。
人のからだに起こることが計算通りに決められる、それが正しいとするのなら、
それは人ではなくて「ロボット」だ。


 【情(じょう)に棹(さお)させば流される】。

「心配ない」「大丈夫」という医療現場での説明は、実は100%保証するという意味ではない。
なぜなら医療現場で人を相手にする場合、100%なんてことはあり得ないからだ。
でも、経験的に問題ない場合、わたしたちは「心配ない」「大丈夫」という表現をとる。
そこを誤解されると、嘘つき呼ばわりされてしまう・・・。


 【意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。】

学者と医療者の意見は、どちらも一理ある。
計算することが仕事の学者と、人のからだを扱う医療者の間には、大きな溝があるように思う。
人のからだに起こるかもしれないことを、物と同じに計算すれば、
【とかくに人の世は住みにくい。】となってしまう気がする。


今日は、憲法記念日。
法律を遵守することは大切だ。
でも、法を守ることが先に立ち、そのために人の心や生活を脅かしてはいけないと思う。
くどいけれど、
人のからだには、数字だけでは評価しきれない機能があるのだ。
学者さんたちにも、どうかそれを理解して欲しいと思う。

わたしたちは【人でなしの国】では暮らしたくない。




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