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ホアン・カルロス・フェレーロ サイン テニス

フェレーロについては、サインも所有しているので、そちらも紹介しておこう。テニス選手のサイン全般に言えることは、サインがかなりアバウトであか抜けない形状のものが多いということだ。このサインなどもその典型である。テニス選手の場合、フル・スペルのサインをする選手はほとんどおらず、彼のように頭文字だけのサインという選手が多いように思われる。例えば、これまでに紹介してきた主なテニス選手のサインをみていただきたい。
 ビヨルン・ボルグ(2007年7月10日)
 アンドレ・アガシ(2007年7月10日)
 マルチナ・ヒンギス(2007年10月22日)
 マルチナ・ナブラチロア(2008年3月17日)
 ジョン・ニューカム(2008年3月18日)
 カプリアティ(2008年3月23日)
いずれもテニスのビッグネームだが、総じてサインが稚拙であることが判る。
これはまず第1に、テニス選手の場合、テニスボールにサインすることが多いということと関係があるだろう。まず、テニスのボールは、バスケットやサッカーと比べて小さい。小さい点では野球のボールも同じだが、テニスボールの表面は毛で覆われているので、野球の硬球のようにはスムーズにサインができない。要するに、サインする立場になって考えると、テニスプレーヤーは、最もサインしにくいものへのサインを日常的に強いられていることになる。そこで、選手として、サインの質を安定させるためにはどうしても、簡単なサインにせざるをえなくなる。一方、テニスという競技のファンの特性を分析すると、データがあるわけではないが、おそらく他の競技に比べて、年齢層はやや高めで所得の多い層が多いということになるのではないだろうか。年齢がやや高めで所得が多い人のファンが多いということは、裏を返すと、試合前後に熱狂的な少年少女ファンに取り囲まれて、何十ものサインをねだられるという場面は一般的にはあまり多くはないのではないかと思われる。そのため、テニス選手の場合は、サインを練習する機会が少なく、サインの方も洗練されてこないというか、あか抜けない形状のままになっている選手が多いのではないかと推察される。
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ホアン・カルロス・フェレーロ ウェア テニス

男子プロテニスのプレーヤー、スペインのホアン・カルロス・フェレーロのコレクティブルである。彼も、男子シングルスの世界ランキング1位の経験者である。ツアー優勝は11勝で、4大大会の成績は2003年全仏優勝、同年全米準優勝などが主だったところである。スペインの選手はクレーコートに強いが芝コートは今一つといわれるが彼もそうした選手の1人で、実際ウインブルドンではベスト8が最高だった。
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アンネ・フランクの記憶 小川洋子

こういう本はなかなか手に取る機会がないのだが、角川文庫「夏の100冊」のコーナーにあるのを見つけて、読んでみた。私自身は「アンネ・フランクの日記」そのものを読んだことがない。なんとなくアンネ・フランクの日記は少年少女のための読み物だというイメージを持っていて、読む機会のないまま歳をとってしまったからだと思う。大昔に同じ題名の映画をみた記憶はあるが、詳細は覚えていない。隠れ家での生活の小さな諍いのシーンなどをぼんやりと覚えている程度である。また、それがどの程度原作に忠実なのかも判らない。本書のなかで作者が訪問していくアンネ・フランクゆかりの人々がどういう人なのかも事前の知識は全くなかった。本書で作者が実際の現場で思い起こすエピソードなども知らないものばかりだ。そういうことなので、正直「日記」を読んでいればもっと深く感じることができるのかもしれないと思ったりもしたが、私としては十分に作者に共感できたように思う。「日記」を読んだことがないにもかかわらず、そのことをほとんど気にせずに読むことができたのは、この本の作者がそうした読者も想定し、人物の背景や日記の内容を短い解説、時には1つ2つの形容詞で判りやすく書いてくれているお陰だったのだろう。その点で、作者は、どっぷりとアンネ・フランクの記憶を辿る旅の世界に浸りながら、文章そのものと自分を見つめる目は極めて冷静であることが判る。思わぬ形で残された文学作品と文学を生業とする作者の時空を越えた交流の深さには本当に胸を打たれる。(「アンネ・フランクの記憶」小川洋子、角川文庫)
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マット・ヴィランデル サイン テニス

男子テニスのシングルス世界ランキング1位に輝いた選手を紹介しているが、まだ大物のマッツ・ビランデルが未紹介だったので紹介しておく。彼は、私の記憶の中では本当に強いという印象がある。実際彼の成績を見ると、ツアー優勝40勝でうち33勝がシングルス、7勝がダブルスで、シングルス33勝のうち4大大会優勝が7回という輝かしい戦績だ。また彼は、テニス史上3人しかいない芝・クレー・ハードの3種類の全てのコートでメジャータイトルを取った選手の1人である。残りの2人が、ジミー・コナーズとアンドレ・アガシ(2007年7月10日にサインを紹介済み)である。しかしこの3人の現時点での知名度を考えると、何故かビランデルは、コナーズやアガシといったスター選手に比べてやや低いような気がする。メジャータイトル獲得回数も、ビランデルは7回、コナーズ、アガシが8回だから、ほとんど一緒である。ものすごく強かったという印象はあるのだが、かれの場合は消えるのも速かったと記憶している。年代的には、ビヨルン・ボルグ(2007年7月10日サイン紹介済み)とピート・サンプラス(2007年12月20日紹介済み)というカリスマ的な選手の間の時期だったのが、知名度が今一つの理由かも知れない。
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カルロス・モーヤ ウェア テニス

ウインブルドンではナダルが念願の初優勝を果たした。フェデラーは大会6連覇ならず、ボルグ(2007年7月10日紹介)を越えることはできなかった。さて、これはスペインの名テニスプレーヤー、カルロス・モーヤのコレクティブル。1999年に2週間だけだが、当時無敵だったピートサンプラスを退け、世界の男子シングルスのランキング1位になった選手である。4大大会での成績は、1997年全豪準優勝、1998年全仏優勝が主だったところだが、ツアー優勝23回(開催国で数えると11か国の試合で優勝)は立派である。2004年のデビスカップでは、スペインの優勝に貢献した。年齢は31歳、毎年必ず1勝をあげるなど行きの永い活躍を続けており、まだまだ楽しみな選手である。
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レイトン・フューイット ウェア テニス

オーストラリア出身の男子プロテニスプレーヤー、レイトン・ヒューイットのウェアのコレクティブル。彼も、男子シングルスの世界ランキング1位の実績を持つ選手であり、2001年、2002年には、2年連続で年間ランキング1位となり、一時代を築いた大選手である。ツアー28勝で、そのうち4大大会制覇は2002年ウインブルドン、2001年全米オープンの2勝である。ストローク・プレーヤーと称され、どんなボールにも食らいつくメンタル面での強さが信条という選手だが、暴言問題やマナーの悪さも時々指摘される。またその強さが、逆に好不調の波の大きさに表れるタイプの選手でもあるようだ。彼には申し訳ないが、彼の試合で最も良く知られているのは、2003年のウインブルドンの1回戦で敗れた試合で、前年のチャンピオンが翌年1回戦で負けたのが36年振りということで、大いに話題になった。
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マラト・サフィン ウェア テニス

ロシア出身の男子プロテニスのスター選手、マラト・サフィンのコレクティブル。こちらも、フェデラー選手と同世代であることで割を食っている選手の1人である。4大大会では、全豪1回、全米1回の2殿優勝経験を持ち、こちらも、シングルスの世界ランキング1位だったことがある選手である。本来であれば、もっと多くの4大大会で優勝していてもおかしくない選手だ。特筆すべきは、2002年、2006年の2回、ロシア代表としてデビスカップを制していることだ。彼もご多分に漏れず「ビッグサーバー」の1人と言って良いだろう。ここ1・2年は怪我気味で、あまり活躍していないのが残念だ。
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嘘つきアーニャの真っ赤な真実 米原万里

子供の頃にチェコ・プラハのソビエト学校で知り合った、ギリシャ・ルーマニア・ユーゴスラビアから来ていた同級生との30年後の出会いが語られる3編のノンフィクション。プラハの春、中ソ対立、ソ連崩壊、各国の動乱といった騒乱を経ての再会で初めて明らかになる同級生が抱えていた様々な事情に愕然とする作者の驚きは、読み手である我々にとっても驚きと感動の連続だ。プラハのソビエト学校、私はその存在すら知らなかったが、そこには1960年代に50か国から政治家の子弟が学ぶソ連が運営する学校があったという。50か国の中には、その後で戦争の敵対国になった国もあれば、民主革命で大きく国情が揺れた国もあった。そうしたなかでそこで一緒に学んだ子供たちの友情がどう守られ、どう変質したのか。この本を読むと、20世紀というものが政治の時代だったことを改めて痛感させられるし、敗戦後総じて平和だった日本で生まれたことの有難さが本当に身にしみて感じられる。ノンフィクションの傑作だ。(「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」米原万里、角川文庫)
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リピート 乾くるみ

著者の作品を読むのは、かなり衝撃的な読書体験だった「イニシエーション・ラブ」(2008年1月25日紹介)に次いで2冊目だが、こちらも前作に劣らずすごい小説だ。読んでいる最中の面白さという点ではこちらの方が断然上だ。前作は最後の最後に「してやられた」という感じだが、本書は最初から最後までパワー全開で本の中の世界に引き込まれてしまった。それにしてもこの作者ほど、読者の心理を判っていて、それを上手に誘導していく作家はいない。読んでいて完全に手玉に取られている(あるいは取られた)という感触が、その面白さの根源にあるように思われる。帯に書かれた宣伝文句には、「リプレイ」+「そして誰もいなくなった」となっている。私は「リプレイ」という作品を読んだことも聞いたことも無いのだが、おそらく「時間ものSF」の傑作なのだろう。なお、娘に聞いたら、大学の友達にも「乾くるみ」ファンは多いそうだ。若者の読書離れと言われるが、面白い本はやはりちゃんと読まれているのだ。(「リピート」乾くるみ、文春文庫)
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アンディ・ロディック ウェア テニス

ウィンブルドン開催中ということで、少しテニス選手のものを紹介する。最初は、アメリカ出身の男子プロテニスのスター選手、アンディ・ロディックのコレクティブル。4大大会の優勝は2003年の全米オープン優勝の1回のみだが、シングルでは世界ランキングの1位の時期もあった名選手である。現在の男子テニスはフェデラーという傑出した選手がいるので、他の選手が随分割を食っている感がある。このロディック選手などは、シングルスの優勝25回、ダブルスの優勝3回の合計28回の優勝を遂げながらメジャーはたったの1勝ということで、割を食っている選手の最たるものだろう。しかし、テニスを観て楽しむだけの素人の人間としては、あまりロディック選手の試合は面白くないように感じる。男子テニス界では、かつて「ビッグ・サーバー」という言葉があったと思うが、圧倒的なサーブ力で勝利してしまうという、見ている方としてはやや面白くない状況があった。このロディック選手のプレースタイルは、まさに世界最速のサーブ(しかもかなり正確)を武器にしたものであった。因みに、彼の時速155マイルのサーブは、史上最速ということで、ギネス記録に載っているとのことである。テニスのルールによれば、計算上、3回に1回絶対に取れないサーブを打つことができれば、2回に1回はエースをとれてサーブ権を落とさないということで、絶対に負けないということになる。仮に、そうした考えのビッグサーバー同士が対決したとすると、延々とサービスエースの応酬が続くことになり、さすがに観ていて面白くないだろう等と考えたりする。
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ロバート・アレンビー サイン GOLF

オーストラリアのプロゴルファー、ロバート・アレンビーのサイン。PGAツアー4勝、ヨーロッパツアー4勝、オーストラリア・ツアー12勝で合計20勝と、オーストラリアを拠点としつつも世界中で好成績を上げている。世界ランキングでもTOP10の経験がある選手だ。但し、4大メジャー大会では2004年USオープンの7位が最高。36歳、年齢的にもここらでブレイクしたいところではある。サインは、飄々としていて力みのない筆致だが、まとまりのある悪くないサインだ。
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マーティー・ターコ サイン NHL

カナダ生まれのNHLダラス・スターズの正ゴールキーパー、マーティ・ターコのサインである。所属チームが強豪チームであるということが幸いしている面があると思うが、コンスタントにシーズン40勝をあげ、通算200勝に迫る名ゴールキーパーに成長してきている。現在32歳で脂ののりきった時期にあり、今後ますますの活躍が期待される。サインは上手にまとまっていて小気味良い感じのするサインである。
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ビリー・アンドレイド サイン GOLF

アメリカ出身のPGAゴルファー、ビリーアンドレイドのサイン。PGAツアーの優勝は4回を数えるが、コースとの相性が良いのか、そのうち2回がビュイック・オープンでの勝利である。ビュイック・オープンは、毎年ニューヨーク州郊外のウェストチェスター・カントリー・クラブで開催される公式戦だが、ウェストチェスターにはマンハッタンで勤務する日本人駐在員の多くが居住しており、この時期になると、ゴルフを観戦するのが楽しみの1つになる。私もNY駐在中に何度かこのコースに観戦に行った。当時は、男子では尾崎選手、女子では小林選手などが積極的に米ツアーに参戦しており、彼らを日本人として応援した記憶がある。
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