俳句だけではないのかもしれないが、少なくとも俳句は作っただけでは俳句とならない文学だそうです。
そう読み手がいないとだめなんだそうです。
その読み手がこれは俳句だと認めて初めて俳句と認知される文学なんです
それがわかると、独りよがりの句は書けないですよね
誰がどう思うと私はこういう意味で作ったというのは何の言い訳にもならない
2004年のテレビ番組で金子兜太さんと稲畑汀子さんの論争があって、鷹羽狩行さんが割って入った形があったそうで
鷹羽「俳句はつねに選者の立場で採るんじゃないですか? どう深く解釈して採るか採れるかということで…」と。鷹羽さんが持ち出したのは俳句における作者と鑑賞者の関係の論議でした。季語論争はおあずけになり「俳句とは作者が作ったら、それは一人歩きをする」という考え方について三人の間に違いのないことが確認されました。
稲畑「作者と選者が1句を認めるわけだから…」、金子「そうそう
そう。そういうことです」、鷹羽「共同作業なんです」、稲畑「作者が
作ったら、それは一人歩きするんです。それを選者が選ぶということ。
そこで一つの作品として成立するわけですからね」、金子「選者の選が
違うのはそういうとこですね」、鷹羽「選ばれてこそ俳句なんです。
作ったものが皆俳句じゃないんですよ」
だそうです
これをときどき思い出している
そう読み手がいないとだめなんだそうです。
その読み手がこれは俳句だと認めて初めて俳句と認知される文学なんです
それがわかると、独りよがりの句は書けないですよね
誰がどう思うと私はこういう意味で作ったというのは何の言い訳にもならない
2004年のテレビ番組で金子兜太さんと稲畑汀子さんの論争があって、鷹羽狩行さんが割って入った形があったそうで
鷹羽「俳句はつねに選者の立場で採るんじゃないですか? どう深く解釈して採るか採れるかということで…」と。鷹羽さんが持ち出したのは俳句における作者と鑑賞者の関係の論議でした。季語論争はおあずけになり「俳句とは作者が作ったら、それは一人歩きをする」という考え方について三人の間に違いのないことが確認されました。
稲畑「作者と選者が1句を認めるわけだから…」、金子「そうそう
そう。そういうことです」、鷹羽「共同作業なんです」、稲畑「作者が
作ったら、それは一人歩きするんです。それを選者が選ぶということ。
そこで一つの作品として成立するわけですからね」、金子「選者の選が
違うのはそういうとこですね」、鷹羽「選ばれてこそ俳句なんです。
作ったものが皆俳句じゃないんですよ」
だそうです
これをときどき思い出している