しばらくこのブログも完全に「ダイアリー」モードになっていましたが、いちおう少しは
真面目なこと(?)もしているんだよということで・・
斉藤正美さんといっしょに開設しているサイト。「女性学・行政・女性運動のサイトに、「ジェンダーを含む新聞記事件数および関連年表」と、「ジェンダーを含む新聞記事件数の経年変化のグラフ」をアップしました。年表やグラフに基づく考察もアップしていく予定です。皆様もコメントや、年表にこれを加えたらどうかなどのご提案がありましたら、ぜひお寄せください。
なぜ新聞記事件数を見てみようかと思ったかといえば、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」概念が、日本でどうやって紹介され、作り出されて行ったかを具体的に見てみたいと思ったから。新聞記事件数というのは、小さな一つの目安でしかありませんが、少なくとも学術雑誌でも何でもない、一般的に目にすることができる「新聞」というメディアで出てくる数を見ることで、この概念の一般的広がりを見るひとつの目安くらいにはできるかなあと思ったのでした。私の経験からくる記憶では、95年に日本に短期間に行ったときに、新聞などで「ジェンダー」という言葉が目立つようになったなあ、ということがあります。で、96年に日本に行ったときには、ますます目につくようになっていました。
「ジェンダー」の日本語訳でよく出てくるものに「社会的・文化的性差」というものがあります。以前もこのブログに書きましたが、私はこれにずっと違和感をもってきました。英語でいう「ジェンダー」は「性差」という意味ではなく、「社会的・文化的性のありよう」といったような意味合いだから。そして、問題は何かといえば、ジェンダー間の関係性、そこにおける権力が問題なはず。「性差」という訳は的外れもいいところで、バックラッシュ派にたたかれる格好のネタを提供しているともいえます。
この「ジェンダー=性差」説、どこから出てきたのだろう?というのが知りたかったのです。で、もともとこれは新聞記事あたりで、誤解がもとでこういう末ェでてきて、広がったのではないだろうか、と想像して、調べてみたのでした。でも、実際、この概念と女性学の関わりを見てみたら・・。女性学が広げていたんじゃないの!ということで、女性学における「ジェンダー=性差説」についてもまた書いてみようと思っています。
真面目なこと(?)もしているんだよということで・・
斉藤正美さんといっしょに開設しているサイト。「女性学・行政・女性運動のサイトに、「ジェンダーを含む新聞記事件数および関連年表」と、「ジェンダーを含む新聞記事件数の経年変化のグラフ」をアップしました。年表やグラフに基づく考察もアップしていく予定です。皆様もコメントや、年表にこれを加えたらどうかなどのご提案がありましたら、ぜひお寄せください。
なぜ新聞記事件数を見てみようかと思ったかといえば、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」概念が、日本でどうやって紹介され、作り出されて行ったかを具体的に見てみたいと思ったから。新聞記事件数というのは、小さな一つの目安でしかありませんが、少なくとも学術雑誌でも何でもない、一般的に目にすることができる「新聞」というメディアで出てくる数を見ることで、この概念の一般的広がりを見るひとつの目安くらいにはできるかなあと思ったのでした。私の経験からくる記憶では、95年に日本に短期間に行ったときに、新聞などで「ジェンダー」という言葉が目立つようになったなあ、ということがあります。で、96年に日本に行ったときには、ますます目につくようになっていました。
「ジェンダー」の日本語訳でよく出てくるものに「社会的・文化的性差」というものがあります。以前もこのブログに書きましたが、私はこれにずっと違和感をもってきました。英語でいう「ジェンダー」は「性差」という意味ではなく、「社会的・文化的性のありよう」といったような意味合いだから。そして、問題は何かといえば、ジェンダー間の関係性、そこにおける権力が問題なはず。「性差」という訳は的外れもいいところで、バックラッシュ派にたたかれる格好のネタを提供しているともいえます。
この「ジェンダー=性差」説、どこから出てきたのだろう?というのが知りたかったのです。で、もともとこれは新聞記事あたりで、誤解がもとでこういう末ェでてきて、広がったのではないだろうか、と想像して、調べてみたのでした。でも、実際、この概念と女性学の関わりを見てみたら・・。女性学が広げていたんじゃないの!ということで、女性学における「ジェンダー=性差説」についてもまた書いてみようと思っています。