ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

日本での「アメリカ」イメージ

2006-10-23 01:19:50 | 社会問題
日本において見たり聞いたりする「アメリカ」のイメージは、ニューヨークやDCの中心部(ホワイトハウスなど)の東海岸の一部と、カリフォルニアに偏っているのではないかということを前回書いた。
その後、『『リトルバーズ~イラク 戦火の家族たち』というイラク戦争についての日本のドキュメンタリー映画のDVDを人から借りたので観る機会があった。

監督が危険なイラクに行って、病院などで起きている現実を撮影したり、3人の子どもを無くした父親や、クラスター爆弾の破片で眼を負傷した少女とその親や、不発弾による事故で手を失った少年やその親の悲しみや怒りを追った映像。イラクについて私たちが知ることができない、現実を撮った映像は確かにパワフルで、意味深いものだったと思った。

ただ、ひっかかった点がある。監督さんが、イラクの街を警備するアメリカ軍の兵士たちにむかって、責め、詰問するシーンがよくでてくるのだ。アメリカ軍の兵士たちは、大きな戦車に乗っていたり、銃を掲げて警備していたり、笑いながら記念撮影していたり。映像からは何も考えてない人たちのように見えてしまった。監督さんの詰問にも、「イラクの人たちを解放するのが目的だ」と教科書的回答を言ってみたり、あるいは都合が悪くなってくると「答えられない」となったりしていた。

だが、、正直いえば、街を警備する末端の兵士たちを、日本から行った映画監督が詰問していることへの違和感ももってしまったのだ。多くが人種的マイノリティであり、白人でもおそらく貧困にあえぐ階層で、貧困地域出身であろう兵士たち。末端兵士たちがなぜ軍隊に入らざるを得ず、イラクに送られ、自らの死ととなりあわせの状況で、矛盾だらけの現実の中で教科書的答えをせざるをえないのか。無事帰国できても、負傷やPTSDを抱えたりする可能性も高いだろう。

「How many children have you killed? Go to the hospital and see the people dying!」そう叫びながら制圧したバグダット市内を巡回する米軍の前に立ちはだかる一人の女性。


この「人間の盾」であるという女性はアラブ系の人のように見えたが、話す英語がいかにも高い教育を受けたというイギリス英語だった。高い教育をイギリスで受けられたおそらくエリートであろう女性が、末端の、アメリカでおそらく貧困にあえいでいて、軍隊にはいらないと高等教育も受けられない状況にあるだろう兵士たちにむけてこの言葉を叫ぶことにも、この女性は「正しい」ことを言っていて、行動にも移していてすごい人であることはわかるのだが、やりきれないものも感じた。

アメリカの政府や軍のあり方は問題だらけで、この無意味な戦争は一刻も早くやめてほしいと思う。(共和党、中間選挙でぼろ負け希望!)だが、どうしようもない状況に置かれている末端兵士たち(それでも、帰国してから反戦運動に関わりイラクの現状を伝えたり、現地でも反戦メッセージがこめられた手紙を書いていたりする人たちはいるが)が、どうしてイラクに軍の一員として行き、教科書的なメッセージを外部に伝えねばならないのかという背景について考えることも重要だと思う。
この背景部分が、日本に伝わっている「アメリカ」イメージとギャップが大きすぎて、伝わってないのかなという気もした。

背景は、荒れ果てたシカゴ市のサウスサイドであるとか、ほとんど店がつぶれてなくなっている元商店街の中にぽつんぽつんとある、檻で囲まれまくっている商店(ほとんど酒屋)とか、意味もなくふらふらしている人たちの多さとか、デトロイトの廃墟ビルや放火されて焼けこげ状態の家が何年も放置されている状況とか、セントルイスの窓の破れた廃墟ビルが並ぶ様子とか、ミシシッピの地域全体が壮絶に貧しい状況とか、そういうところから見えてくるのではないだろうか。macskaさんの言及しているバッファローも、私も数年前に行ったが、ダウンタウンの荒廃ぶりはかなりすごかった。

だが、こういう「荒れたアメリカ」の映像って日本にはほとんど流れてないような気がする。思いつくのは、マイケル・ムーアの『Roger and Me』や『華氏911』でうつる、ミシガン州フリントくらいか。エミネムの『8 Mile』もデトロイトの様子が描かれていたが、ハリウッド映画系は普通、危ない場所で撮影なんかしないしな。去年のニューオリンズの様子はどのくらい日本のニュースでうつったのだろう。もし、私が住むシカゴ南部で、ああいう自然災害が起きたら、ニューオリンズとまったく同じような状況に陥るだろうと思う。それほどに、貧困問題は深刻だ。私が住むところからほんの数ブロック離れたところは、アメリカでも有数の貧困地域だ。

貧困地域の高校などを狙いうって、ミリタリーのリクルートは行われる。ミリタリーにはいれば、いい服も着られて、大学にも行かせてもらえるかもしれず、尊敬もされるし、、といいことばかり言って。仕事もなく、いつ銃弾がとんできて殺されるかもしれない日々の生活からしたら、戦争に行くのもあまり変わらないのかもしれない。『華氏911』でミシガン州フリントの人たちが、イラクも自分たちが住むフリントもあまり変わらない、といってたのは、当時ミシガンに住んでいた私には、確かにそうかもしれないと思えるものがあった。

こういうアメリカの負の姿、もっと伝えて行ってほしいと思う。でも日本の特派員さんたちや、テレビ会社の人たちは、たいてい東海岸か西海岸の裕福地帯にしかいないからなあ。。


「男女混合さわりあい教育」と男女別名簿の千葉管理教育

2006-07-13 10:56:31 | 社会問題
chikiさんのトラカレ http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060712 経由で
【ジェンダーフリー】「わあー気持ちいい」・・小中学校で男女混合さわりあい教育」なる記事を読んだ。で、元々この記事が載ったらしい『世界日報」みてみれば、「混乱の原因は男女混合名簿」だとか。何でも混合名簿のせいにするのが流行っているようで。。

私がジェンダーフリー導入よりはるか以前、80年代初頭に経験した、体罰と管理の度合いだけは「ジェンダーフリー」だが、あとは男女別名簿を筆頭に、全部バリバリ男女別な世界で、ついでに日の丸掲揚毎日、君が代練習しまくりだった千葉県八千■市の小学校でも、ここで紹介されている「男女が互いに、相手の体を回したりゆすったり」なる、柔軟体操の類い、しょっちゅうやらされていたぞ。

とくに雨の日の朝の運動や業間体育では、必ず男女ペアになっての柔軟やってましたよ。身体密着しまくりだったのではないかと。「男女がペアになって相手の股(また)下をくぐったり、背中合わせでしゃがむ場面、
相手の足を踏み合う」なる活動もやらされていたような。

私が5年生だか6年生だかのときに、柔軟体操のペアになっていたTくんも私も、背中あわせストレッチが苦手で(非力なため、相手をちゃんと背中に乗せることができなかった)、お互いに床や地面にふるい落として青あざ作ったりと、ひどく痛い思いをしょっちゅうしていたので、よーく覚えているのだ。

やっぱり、どう考えても「ジェンダーフリー」関係ないぞ。。
debyu-boさんも言われているが、本家「都市伝説のレベル、高すぎ。
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060617/p1


ケンシロウ議員は毎日スキヤキ?

2006-06-05 01:47:00 | 社会問題
annntonioさんのブログに、松浪健四郎議員のトンデモ発言が紹介されております。
http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060603

露骨なアナクロ性別役割分担意識とか、女性教員の存在をどう考えているのか、とか、まあつっこみどころ満載なわけですが(annntonioさんのエントリにコメントやトラバされている方々の鋭いつっこみもぜひご覧ください)、細かいことなれど私が気になってしまったのは、松浪議員による「スキヤキ」に関する一節。

私の家は、相撲部屋のチャンコ鍋よろしく、毎晩のごとくスキヤキを中心とするナベ料理ばかりだった。男4人兄弟の食事なんて、量が問われたうえ、全員が格闘技に打ち込まされたから相撲部屋そのもの。


毎晩のごとくスキヤキ中心って、、しかも、量が多いという。「家はリッチだったんだぞ~」と威張りたいのかな?ついでに、育児への「大変な努力」を楽しむべきというコンテクストで、鍋料理ばかりというのが紹介されているっぽいんだけど、鍋料理って材料切るだけでいいし、いちばん「大変な努力」を必要としない料理ともいえるんだよなあ。。「大変な中で知恵を出す」という例が鍋料理?わけわからん。。

ああ、しかしこんなのが国会議員で、しかも教基法特別委員会の委員ですか。。