スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(天皇の有用性4「何故天皇なのか」)

2019-12-19 16:52:51 | 日記
12月19日(木)
goo、老人を苛めるな。

 天皇が民族神であるとして、ではなぜ日本の場合、民族神は天皇なのかという、最後の問いが起こる。ヨーロッパにも王国は多いがその国の国王が民族神であるとは思えない。キリスト教+国王のセットで、民族神的なものになっていると思う。タイとかブータンでも国王だけでは民族神たり得ず、仏教とか何らかの宗教とセットになっているのではないか。ただこの辺についての知識はないから想像だが。
 日本の場合天皇は人であり且つ神である。これは恐らく世界中で日本だけの特異例ではないかと思う。普通、人が神を続けることはできない。だから神は非人格的な存在に昇華してゆく。非人格的な存在なら日和ることなく、裏切ることなく、永遠にその民族の為だけの存在に、なる事が出来る。カトリックの偉いさんが実は子供に対する性的暴行者だったという例は、人間の限界を示す良い実例である。
 こういう困難さの中で日本の天皇は人であり且つ神という奇跡を、続けているのだ。世界に稀な存在を、なくすなど許されないことだ。
 神が抽象的な理念ではなく生身の人間として現象することは、その国のナショナリズムを人間的なもの、すなわち穏やかなものにする。西洋人のように世界中を神の栄光の為に神の国にするとか、ISのように己の宗派の教えを全世界に強制するとか、中国のように中華帝国の栄光を世界に広げるとかの、極端に走るナショナリズムは日本に存在し得ない。それは日本の民族神が人であるからだ。
 八紘一宇は日本の神の押し付けではないかとの反論があろう。また朝鮮や台湾に神社を建てたのは日本の神の押し付けではないかとの疑問もあろう。それはその通りだが違いがある。神が理念ではなく人である日本の場合には、日本を広げる、すなわち朝鮮も台湾も中国の占領地も、日本にするとの意識でないと、外国を支配する作業が出来なかったと思う。理念を先行させることができないから、生身の人間を持って行ってそこを日本化する、そういう遣り方を取ったのだ。
 日本でも外地を占領すればそこを日本化する。ただ理念の先行はないから、他の理由で、例えば国防とか経済的利権の確保とかの理由があってその土地を占領するという、先立つ事態があってからの日本化である。キリスト教やISや中華帝国という理念を表立てて他国を支配するという作業は、日本人には出来ない。これが人間的で穏やかなナショナリズムと言う所以である。
 もし世界が帝国主義の時代を脱しているのなら、この穏やかなナショナリズムこそが、世界に適合した、世界が見習う思想であろう。それは日本が天皇制であるから、世界の範たり得るのである。

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