スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(芸術家集団 基本概念)

2021-07-21 15:00:09 | 日記
7月21日(水)
 メディアが左翼に乗っ取られているとは常識であろう。自民党の中にさえ左翼が浸透しているし、まともに看板通りの目的に努力する市民団体など、ほんの僅か(ほとんどが政治活動をする左翼集団)という状況なのも常識だ。こんな中でどうして芸術家集団だけが左翼から免れていると、考えられようか。
 芸術家集団と言っても例えば陶芸家とか画家などの集団は、あまり左翼の汚染を受けていないと思う。左翼にとってはそこに浸透しても、金を得られる旨味がないからだ。それに日本人は陶芸とか絵画については本物かどうか見分ける、鋭い審美眼を持っている。金目的で左翼が入ってきても奴らは修業が嫌いだから、作る作品はボロで、有名になることはできない。
 しかしデザインとかアメリカ風な音楽の分野には金が充満している。また残念ながら日本人はこれらに対する確かな鑑賞眼を持っていない。海外の流行と、業界が作り出す風に、煽られて靡いているばかりだ。まさに左翼には格好の活躍分野だ。口とパフォーマンスの達者なものが、広告代理店と手を取り合って、業界で重きをなす存在になれるのだ。だから例えば津田大介みたいな何も芸術作品を作れない男でも、重鎮と呼ばれるようになる。長年に亘ってこの業界には左翼が浸透しており、一つのカラーを植え付けているのだ。
 ではそのカラーとは何か。人間の我儘な振る舞いを発揮するのが芸術だ、というものである。或いは自分が良いと思ったものが、人の見にはどんなに格好悪く写ろうとも、芸術作品だ、というものである。現代芸術と言われているものは、ざっくばらんに言えば、そんな製作者の主観だけのものである。日本を潰したい左翼にとって、まさに応援すべき人たちではないか。そういう頭の狂った自称芸術家たちでも食ってゆかねばならぬから、業界や自治体から金を取ってくる事の出来る、例えば津田大介などの子分になって、天皇を燃やす写真を献上するのだ。
 現代芸術と言われる分野はだいたいこんなものである。その分野の人間が推薦してくるのだから、小山田圭吾は生じるであろう。
 

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