スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(憲法9条 芦田修正)

2020-12-20 11:12:27 | 日記
12月20日(日)
 11月25日に「憲法9条は戦争放棄していない」と、さも私の新発見のように書いたが、これは芦田修正によって言われている事であった。芦田修正という言葉は聞いたことがあったが、恥ずかしながら内容を知らなかったのである。ただ強調したいのは私が芦田修正を知っていて25日の文章を書いたのではない、あくまでも憲法9条を普通に読んでみたら、芦田修正が意図した所と同じ解釈になったという点である。
 芦田均についてはウキペディアを読んだくらいで全く知らないが、昭和21年に「新憲法解釈」なる本を出しているそうだ。それを引用したネットの解説では、芦田氏は明確な意思で、戦争放棄は侵略戦争に限った話で、自衛権に基づく戦争は当然するとの、修正をしたとのことである。GHQはその修正に異議を唱えなかった。理由はどうせ日本は独立したら憲法改正をするに決まっているから、今抑えても仕方がないと考えたと、ネットの人は書いている。
 しかし私は少し疑問がある。アメリカは今でも国民が銃を持つ事、すなわち自分で自分の身を守る事を、国是とする国である。そのアメリカ人からすると自衛の為の武装まで日本に禁じたことは、流石にやり過ぎだ、天に唾するものだと考えていたから、芦田修正がすんなり通ったのではないだろうか。
 日本政府は自衛の為の武装は憲法が禁じる「戦力」ではないとの解釈で自衛隊を認めているらしいが、まあ今日では言葉遊びに過ぎなくなった。かっては集団的自衛権を持たないと言っていたのに、持ってはいるが行使できないと、解釈を変えたではないか。侵略の為の武装(すなわち戦力)は持たないが、自衛の為の武装(これも戦力)はすると「戦力」の定義を変えても、おかしな話とは思えない。
 或いは科学技術の進歩で従来の「戦力」外の自衛力では、国が守れなくなった。国を守るためには従来の「戦力」と類似した武器を持たねば目的が達し得ない、こう理由づけしても良かろう。

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