スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(4年 来年はこんな疑問を)

2021-12-25 11:29:40 | 日記
12月25日(土)
 昨年、今年はこんな疑問を解決したいと思って、箇条書きにした。再掲すると
「 来年はこんな疑問を、少しでも分かればと。
1、なぜ天皇陵を掘らないのか。日本史の学者の力が弱いのか。
2、何故古代の街道は三浦半島から上総に渡ったのか。船の方が遥かに危険であろうに。
3、古代の尾張地方は本当に海であったのか。これは各地の古代遺跡の場所を地図に落とせば、海の中に遺跡は出来ないから、割と簡単に古代の海岸線が判明しよう。
4、同様に奈良盆地は本当に湖であったのだろうか。
5、何故出雲に国譲りを強要したのに、天孫は無関係な日向に天下ったのか。またどうしてそんな不合理な話がずっと続いたのか。
6、何故赤穂浪士は木戸を通過できたのか。或はその当時木戸はなかったのか。
7、明治維新とは、武士階級が自分で自分を殺した革命と思えるが、何でそんな自殺的な事が起こったのか。
8、何故西郷隆盛は新政府辞任直後に、西南戦争を起こさなかったのか。その時なら、新政府の軍備がまだ整わないから、勝てたかもしれない。
9、張作霖爆殺は、本当に河本大作の仕業か。儀我少佐の、張作霖は「なに大丈夫だ」と言って迎えの車に乗ったとの証言は、嘘なのか。
10、何故蒋介石は西安での約束を守ったのか。脅迫されてした約束など反古に出来るのに。
11、蒋介石が黄河を爆破した際の、日本軍による中国民衆の救助、劉震雲により書かれた昭和17年時点での河南省飢餓に対する日本軍による食糧供給など、蒋介石より侵略した日本軍の方が善政を布いたと思うのに、何故点と線の支配に終わったのだ。
12、武藤章は「支那は一撃で倒れる」との見解から、上司である石原莞爾を追い出す事までして支那事変を拡大したが、結局泥沼化した。それでいて陸軍軍務局長という要職に就いた。私なら「支那事変を泥沼化させた私には戦略眼がなかった。従って軍務局長の資格がない」と言って辞退するところだ。何故武藤はそんなに反省心がないのだろうか。
13、日米戦は誰もが避けようとしたのに、なぜ戦争になってしまったのか。行き掛かりからだと思うが、その行き掛かりとは何か。
14、真珠湾の不通告攻撃は、本当に現地大使館員の怠慢が、原因であろうか。来栖のカバンの中に、不通告攻撃をする、との日本政府の決定文が入っていたのではないか。
15、何故大本はあんなに弾圧されたのか。共産党は天皇打倒を言うのだから、弾圧されたのは分かる。大本は天皇打倒を言ったのだろうか。
16、四苦八苦というが生まれることが「苦」であるとはどうにも理解できない。むしろ「老」「病」「死」は「生」を去る事で生じる苦とした方が理解できる。こんな理解できない仏教がどうして日本に浸透したのであろうか。
17、国体明徴運動は単なる美濃部説排撃の為のものではないだろう。日本の精神史の上でもっと積極的・肯定的な面はなかったのだろうか。
18、大東亜戦争で日本人は気違いじみたまでの闘争をしたが、今後もあんな激しい闘争心を出せるだろうか。フランスは第一次大戦ではドイツと激しく戦ったが、第二次大戦では闘争心なく負けた。そんな風にならないだろうか。
 これらを完全に解明できたら博士である。自分なりの納得で十分だが、それでもどれだけ出来るであろうか。一つでも出来たら上出来か。」

 結果は何一つ解明できないで終わった。結局上記の疑問は教科書的な答えが出ている問題ではないのだろう。だから本を一冊読んだりネットを探るとかしたくらいでは、答えは見つけられないのだ。
 まあすべて来年に持ち越しだが、来年中には解明できそうだなと期待感があるものが、13の何故日米戦になったかとの疑問である。日本は明治維新後、自主独立の道を選んだ。アメリカのポチである現在とは180度違う進路を選んだのだ。日本がアジアで自主独立の道を進むのに、アメリカも又アジアで自主独立の政策を持って臨んできているのだから、衝突をするのは当然である。アメリカは強国である。日本はアメリカの13分の1くらいの国力である。アメリカが日本に譲るという事は考えられない。日本が自主独立の政策を貫く限り、戦争は避けられなかったと、だいぶ分かってきた。


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