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「六波羅蜜寺」(ろくはらみつじ)

2006年12月21日 00時38分18秒 | 古都逍遥「京都篇」
 「祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。沙羅双樹ノ花ノ色、盛者必衰ノ理
ヲ顕ス。驕レル人モ不久。春ノ夜ノ夢尚長シ。猛キ者モ終ニ滅ヌ…」(平家物語)。

 六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、観音像を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮めたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月3日間授与している)
 現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりと伝えられる。

 上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだという。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。

 源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
 現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。
 なお、解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三鈷、独鈷模様の瓦をはじめ、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔8000基が出土し、当寺は藤原、鎌倉期の宝庫と言われている。

 第60代醍醐天皇の皇子で、若くして5畿7道を巡り苦修練行、尾張国分寺で出家し、空也と称した。再び諸国を遍歴し、一切経をひもとき、教義の奥義を極める。天暦2年(946)叡山座主延勝より大乗戒を授かって光勝の照合を受けた。森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を唱え、人々から「市の聖」と呼ばれた。
 上人が鞍馬山に閑居後、常々心の友としてその鳴声を愛した鹿を、定盛なる猟師が射殺したと知り、大変悲しんでその皮と角を請い受け、皮をかわごろもとし、角を杖頭につけて生涯我が身から離さなかったという。定盛も自らの殺生を悔いて上人の弟子となり、瓢をたたき、法曲を唱し、寒い夜もいとわず京中を巡行して衆生の能化につとめた。定盛は上人の遺風を伝えて茶筌を作り、これを世に広め、子孫は有髪の姿に黒衣をまとって踊り、念仏しながら瓢をたたいて市中を徘徊した。これが今六斎念仏として伝わっている。 当山の空也踊躍念仏はさらにその源流と伝えられている。

 当寺に安置される重要文化財は実に豊富で、たび重なる兵火をのがれ、藤原・鎌倉期の木像彫刻を代表とする名宝が数多く安置されている。

◇十一面観音立像 藤原時代(国宝) ◇増長天立像 鎌倉時代(重文)
◇薬師如来坐像 藤原時代(重文) ◇地蔵菩薩坐像 鎌倉時代(重文)
◇地蔵菩薩立像 藤原時代(重文) ◇吉祥天女像 鎌倉時代(重文)
◇多聞天立像 藤原時代(重文) ◇閻魔大王像 鎌倉時代(重文)
◇広目天立像 藤原時代(重文) ◇弘法大師像 鎌倉時代(重文)
◇持国天立像 藤原時代(重文) ◇空也上人像 鎌倉時代(重文)
◇平清盛坐像 鎌倉時代(重文) ◇運慶坐像 鎌倉時代(重文)
◇湛慶坐像 鎌倉時代(重文)

 この他、重要有形民族文化財では、
◇泥塔 ◇皇服茶碗 ◇版木
◇萬燈会関係用具2千百余点などがある。当寺を訪ねる折は、藤原・鎌倉時代の匠の美を鑑賞されるとよい。

「空也上人立像」鎌倉時代(重要文化財)、「平清盛坐像」鎌倉時代(重要文化財)はともに、運慶の四男康勝の作。胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露に草鞋をはき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに洗練された写実彫刻である。
 経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を覚える。一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の太政大臣浄海入道清盛公の像である。

 では最後に六波羅蜜寺の意味、6つの教えをご紹介しておこう。

□「布施」:布施行にとって最も大事なことは応分の施しをした時、その施しをした事 を心に止めず、その対象を求めないことである。もちろん布施は物質のみではない。

□「持戒」:道徳・法律・条令等は、時代によって人が作り、現代ますます複雑になって
いく。我々は常に高度な常識をもち如何なることにも対処できるよう自らを戒めることである。

□「忍辱」:仮に辱めをうけても、本当に耐え忍ぶならば、苦の多い現代に生かされてい
る事がわかり、すべての人の心を心とする、仏の慈悲に通ずる。

□「精進」:不断の努力である。人はそれぞれ立場、立場で努力し誠心誠意を尽くすこと
である。

□「禅定」:静かな心で自分自身を客観的に見ることである。

□「智慧」:助け合い、ルールを守り、耐えしのび、はげみ、自己をみつめ、苦楽を乗り
越えて、どちらへもかたよらない中道を、此の岸から彼の岸へ(菩薩へ)。

 交通:JR京都駅市バス206系統で清水道下車、徒歩7分。京阪電車五条駅下車、徒 歩7分


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