「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「由岐神社」(ゆきじんじゃ)

2006年12月28日 07時32分49秒 | 古都逍遥「京都篇」
 鞍馬寺の仁王門を入るとロープウェーの乗り場がある。片道100円、僅か3~4分足らずでの行程であるが、終点で降り鞍馬寺の本堂への参道となる。奥の院を巡り下山は徒歩にすると、出発点となった仁王門にほど近いところに、今回案内する「由岐神社」がある。早い話が、ロープウェーに乗らず鞍馬寺の本堂へ向かうと初めに当社と出会う。

 徒歩で登れば当社を経て鞍馬寺本堂、そして奥の院を経由して下山すると2時間~3時間のコースとなる。登りはたっぷり汗をかいて「よいよい」気分だが、下山のときは、さすがに膝が笑い出す。もう一つの手立ては、下山を奥の院から木の根道を「貴船」へと下り、叡山電鉄貴船口から出町柳に向かうことができ、こちらのルートの方が登山気分にひたれる。だが、女性の一人歩きは危険だから奨めたくはない。また獣(熊など)も出没することがあるから注意を要する。

 さて、由岐大明神は御所に祀つられていたが、天慶元年(938)に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に、当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所の北方にあたる鞍馬に地に天下泰平と万民幸福を祈念し遷宮された。遷宮の時、京の鴨川に生えていた葦で松明を造り道々には篝火を焚き神道具を先頭に行列の長さ10町(1km)という国家的一大儀式により勧請された。
鞍馬の住民はこれに感激し、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが火祭りの起源とされている。その後豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年には豊臣秀頼によって本殿と拝殿を再建、特に拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で、桃山時代の代表的建造物として国の重要文化財に指定されている。

 祭神は国を治め、人民の生活の道を教えになり、特に医薬の道を授けた医薬の祖神とされている。二柱神共に、天上神である皇孫に国土の統治権を献上され(国譲り)の大業を成し遂げられたことから事業の守護神と仰がれるようになり、会社経営の隆昌を祈念する人々の信仰があつい。

 当社の例祭である「鞍馬の火祭」は、京都三大奇祭の一つで、午後6時、神振の合図「神事に「まいらっしゃれ」の合図で鞍馬の各戸に積み重ねられた篝(エジ)が一斉に点火され、幼少年が小松明を担いで練り歩き、次第に燃えさかる大松明を担いだ青年たちがこれに加わり、「サイレイ、サイリョウ」を繰り返して囃しながらねり歩く。
 8時頃に菊・桐・蝶・葵・鳳・百足・寺の鉾や鎧を着た武者が出てくると、山門前には大小の松明を担いだ若者が集合してひしめき合い壮観の頂点に達する。やがて合図の太鼓と共に青葉の精進竹に張った注連切りの儀が行われ、大松明は石段の所に殺到し一箇所に焼き捨てられる。御輿の前で神幸の儀があり八所大明神の御輿から参道を下りる。
 女性が参加することもこの祭りの異色の一つで、神輿の綱を引くと安産がになると昔から伝えられていることから若い女性が多い。
 山門を下ったところから御輿は車に乗せられ鞍馬町を巡幸されて旅所に戻ったところで御輿は再び担がれて神楽、神楽松明が境内をまわり安置され、午前零時頃に祭りが終わる。当社の狛犬は虎である。鞍馬に毘沙門天を拝したのが寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻だったことから、お守りは「あうんの寅」を授けている。

 所在地:京都市左京区鞍馬本町1073  
交通:JR京都駅からバス、京阪電鉄出町柳下車、叡山電鉄出町柳駅に乗り換え鞍馬線下車、徒歩15分。


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