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♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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スズメの死骸

2018-04-16 14:33:53 | 日記

 

 

ベランダにスズメの死骸があった。

 

よく見ると、

頭にケガをしていた。

 

猫か大きな鳥か襲われたのだろう。

 

そして、大地一人がたまにスズメに餌をやっているので、

ベランダに逃げ込んできたんだろうか?

 

なんか、愛しかった。

 

遺体を何重もの袋に丁重に包んだ。

 

どんな生き物もいつかは死を迎える。

 

 

 

 

 

 


天赦日(てんしゃにち)

2018-04-16 08:28:29 | 日記

 

 

今日は天赦日という吉日だが、

そもそもこの世は勝ち負けの世界。

 

万人にプラスの日ということはありえない。

 

しかし、どんなに悪い日でも、

気持ちの持ちようで、

毎日を天赦日とすることができる。

 

それは天=神様を毎日毎秒信じることだ。

 

毎日を、天赦日(てんしゃにち)にしましょう!

 

 

 


本当の女性の気持ち・・・

2018-04-16 02:14:30 | 日記

 

 

男と女、どっちが、相手を求めているか?

 

大地一人、間違いなく、女だと思う。

 

確かに男は、女を求める。

 

しかし、かなりは肉体的なものだ。

 

もちろん精神的に女性を求める場合もあるが、

肉体の割合が大きいだろう。

 

ところが女性の場合は、

心も体も男を求めている。

 

女にとって「男は本源的に必要なものなんだ」と思う。

たとえ一人で暮らしていても、

「心の支えになっている男はいる」と思う。

(もちろん、そうは思わない女性もいますが、少数派でしょう)

 

逆に男にとって、「女は、必要な存在ではあるものの、

本源的に必要とまでは言えない」と思う。

 

たとえば、ある死刑囚に対して、

裁判官が「生かしてやるから、無人島で一人で生きよ」

と言われると、

男は「ま、仕方ないか」と思うだろうが、

女性は、「え?たった一人で?無理・・・」と思うんじゃないだろうか?

 

グアム島で、残留日本兵の横井庄一さんは一人で生きていたが、

あれが女性なら、まず無理なんじゃないだろうか?


大変申し訳ないが、碓井真史教授の「女性偏見差別論」は、頭の悪い心理学者の見本と思う

2018-04-16 01:56:20 | 日記

 

 

碓井真史教授は社会心理学の専門家ということであるが、

彼の文章を読むと、

大変申し訳ないが、

「頭の悪い心理学者の見本だな」と思った。

 

これは決して、彼を貶めるためではなく、

こういう間違った見方で社会が動いてはたまらん

…と思うので、

面倒くさいが、反論を書くことにしました。

 

彼は「土俵に女児を上げないのは偏見差別の見本:男と女の社会心理学

と言う文章の中で、

「男女差よりも、個人差の方が大きい」ので、

女児も、土俵に上げるべきだ

・・・と言っている。

 

しかし、世の中と言うのは、

明確に、男女差で動いている。

 

男女は体の作りが違うのは当然として、着るものも違うし、

声や髪型や化粧や言葉遣いも違うし、

会社でも学校でも病院でもホテルでもトイレもお風呂も、

遊び仲間も、全部、区別されている。

 

戸籍や免許証などの書類でも、

ほぼ必ず「男女の別」が書かれている。

 

スポーツもほぼすべて、男女別である。

(馬術だけが例外)

 

ちなみにヨーロッパの多くの言語では、

男性名詞、女性名詞と分かれている。

 

 

碓井真史教授は「男女差はあるものではなく、作るもの」

と言っているが、以下の事実はどうするか?

 

「なでしこジャパンの実力が、日本の男子中学生より弱い」

「五輪における羽生選手の317.5点とザギトワの239.57の違い」

「重量挙げの記録では、69キロ級で、男子:359キロ、女子:286キロ」

「日本の職人やエンジニアの数は、女子が圧倒的に少ない」

「将棋の世界では、女子は、一人も、実力4段以上がいない」

・・・という厳然たる事実は、やはり非常に重い。

 

また女子グループの中でも、

個性は決して重んじられるのではなく、

「女性はかくあるべし」

というルールがあり、

たとえば、あるお母さんが言っていたが、

「うちの娘は中一だが、胸は全くのペシャンコ。

なのに学校からは、ブラジャーを着けるように言われている。

全くのペシャンコなのに、ブラジャー・・・なんか変な気がする」

と画一ルールの犠牲になっている。

 

また世の中は、原則論だらけで、

6歳で小学校入学」

18歳で成人」

65歳で年金もらえる」

「小中学生には落第ナシ」

…と言うように決まっている。

個性で決まるのではない。

 

外国に行くにも、

「日本人はアメリカにはビザなし、インドはビザ必要」

・・・と決まっているのであって、

個性で決まるのではない。

 

道徳や観念でも、

「女性の体(特に顔)は傷つけてはならないもの」

という原則も根強い。

 

そして、もう一つ。

世の中には、子供たちや女児への禁忌は山ほどある。

「他人の家に入っちゃいけない」

「スーパーでは、目の前に美味しい食べ物があっても、

食べちゃいけない」

「授業中は大きな声を出しちゃいけない」

女の子なら、

「胡坐をかいちゃいけない」

「むやみにパンツを見せちゃいけない」

「女の子らしい言葉遣いをするように」

 

そういう山ほどある禁忌の中で、

「土俵に上がれない苦痛は、

まったくもって、取るに足らないものだろう。

 

 

さらに、もう一つ。

世の中を動かしているのは、

理論ではなく、「責任論」である。

 

「誰がどう責任にを取るか?」

・・・これが最も重要な問題なのだ。

 

たとえば、女児をケガさせた場合、

どのように責任を取るか?

・・・相撲協会はそれを言っているのだ。

 

 

碓井真史教授は学校中心の生活なので、

実際に、世の中がどのように動いているのか、

全然わかっていないようだ。

 

こういう愚かな人の理想論を聞くのは、

一般日本人にとって、苦痛だし、害悪だろう。

 

正直、世の中を知っている人にとって、

彼の論文には、失笑を禁じ得ません。

 

そこで、教授には、申し訳ありませんが、

怒り&忠告の文章を書かせていただきました。

 

ただし碓井教授の言うことも、

正しいところは、少なからず、ある。

 

たとえば・・・

女性を劣ったもの・・・というのは、絶対に間違っていて、

いかなる場合も、男女は平等である!

 

男女の違いとは、かなりの部分、役割の違いだからである。

 

また最初から「これは女性には無理だ」

と限界を決めつけるのも間違っている!

 

「どうしてもしたい」という女性がいれば、

たとえ不器用でも、

できるだけ、女性たちに、チャンスを与えてあげるべきだ。

 

ただ女児が土俵でケガしたらどうなるか?

セクハラなどと言われたらどうなるか?

・・・などを考えるとき、

女児禁止は、相撲協会が決めることだ。

なぜなら責任を取るのは、相撲協会だからだ。

手っ取り早く言えば「部外者は黙っていろ」というわけだ。

 

碓井教授は、「相撲をやっている女子もいる」と言っているが、

相撲協会は、「一般的な女児をダメ」と言っているわけで、

そもそも「相撲をやっている女子」なんて、

滅多にいないではないか!

1%もいないだろう。

学者はすぐに例外的なことを持ち出す。

 

「世の中は全体として、どのように動いているか?」

・・・が一番大切なのです。

 

いろいろ書きましたが、

碓井教授の言っていることは、

申し訳ないが、

20代のウブな若者が言っているようなことで、

話になりません。

 

だから大学教授は「世間知らず」とバカにされるのですよ。