東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

小田実,『義務としての旅』,岩波新書,1967

2009-03-31 22:36:32 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
初出は『世界』1966年4月から翌67年3月号まで。6回分の記事に加筆。
1965年9月からアメリカ合衆国、ソ連、ヨーロッパ、インドをまわった記録。というよりベトナム反戦運動をめぐる話である。

小田実はミシガン大学図書館で、21年前のニューヨーク・タイムズのマイクロフィルムを見る。隣では女子学生がクロサワの映画についてマイクロフィルムを見てレポートの準備をしているようだった。
21年前の記事には、OSAKAの空襲記事が載っていた。その記事で小田実は初めて、自分が防空壕に逃げ込んだり、真っ暗な炎と煙の中で右往左往した空襲のアメリカ側の記事を読む。

「日本帝国の中心地は、今や一つ一つ、焼夷弾、爆弾によって破壊されて行く。人口稠密で燃えやすい工業都市は ━ OSAKAはそのなかで最大の都市だ ━、わが超空の要塞が工場と労働者住宅にむけて何千トン、何万トンと投下しつつあるジェリー状ガソリン(これは現在ベトナムで使われているナパーム爆弾の原型である ━ 筆者注)の完璧な目標である。」

しかし、それ以上におどろくべきは、新聞自体の量である。平日で32ページ、日曜には『ブック・レビュー』と『サンデー・タイムズ』の付録がつく。
「おれの国では…… そのころ、新聞はタブロイド版一枚だった。」
彼は図書館でマイクロ・フィルム閲覧の便宜をはかってくれたアメリカ人学者に言う。しかし、その学者には小田実の言いたいことが伝わっていないようだ。

で、その学者というのが、ミシガン大学のマーシャル・サーリンズ(「サリンズ」と表記)なのだ!

サーリンズはベトナム反戦運動の創始者のひとり。「ティーチ・イン」ってものを開始したメンバーのひとりであったそうだ。
そのサーリンズにしても、8月15日の記憶はない。8月11日付ニューヨーク・タイムズに、日本が降伏受諾したという記事がある。それでは8月14日におれが逃げまわった空襲はなんだったんだ。
……というのが、小田実の基本姿勢、当時のキザなことばを使えば原点である。

*****

1967年発売の本書を中学2年のわたしが知っていたわけがない。理由はきわめて単純で岩波新書を置いてある書店なんてなかったから。
もちろん小田実の名もしらなかったし、〈まこと〉という読み方を知ったのはさらに後。
当然、マーシャル・サーリンズなんて知るよしもない。

本書もその後に読んだことがあるのかないのか記憶がない。あったとしても、すでにベトナム戦争は話題になっていない頃だろう。

インターネット上のプチウヨの間では、小田実というのはボケた左翼の遺物のように扱われているが、わたしの年代では、ちょっと違うのだな。
まず、左翼とか知識人とかという偉い感じがしなかった。若い連中の間でも、この小田実というヤツは、威勢のいいことばかりいうヤツ、同じようなことばかり繰り返して言うヤツ、という印象。理論的な左翼や運動家ではなく、こんなバカがひとりやふたりいなきゃ世間の目は覚めぬ、というようなムードの人物であった。
べ平連運動は、緻密な理論家から実務に長けた運動家、爆弾作ってテロに走ったこともある、というタイプまでいろいろな経歴の人物の集まりであったようだが、小田実は、おっちょこちょいの宣伝塔という役割。アジテーション係だ。

とはいうものの、現在読みかえしてわかるのは、エネルギッシュに飛びまわり、じつに熱のはいった読み手を魅了する文章をものにし(ワープロのない時代によくまあ、こんな流れるようなシャベクリ文を書けたものだ)、おもしろい話を書く人だってこと。

たとえば、(p90-95)

ジュネーブでの世界平和評議会(1966年)でのこと。
中ソ対立のまっただなか。
キューバの代表が自分たちの数少ない味方であるソ連を弁護し、中国を激烈に非難する。会場はキューバ代表の演説に沸き、拍手の渦。
あれでは中国はますます硬化する、いや、中国こそは……とさかんに議論をよぶ。

しかし、小田実がここで読者に訴えるのは、中ソ対立のことではない。
キューバ代表の後、プエリト・リコ代表が、アメリカ帝国主義の悪業を真正面から受けている状況を語るが……誰も関心がない。
みんな、ソ連・中国・キューバというホットな話題には盛り上がるが、プエルト・リコなんか知らない。

なんて不公平な関心の持たれかただ。
モザンビークとポルトガルのことも、ギリシャのことも、誰も知らない、知らないふりをする。
やはり、アメリカ合衆国なのだ。世界中が関心を持つのは。

今から思うと、小田実ばかりではないのだが、彼らべ平連周辺の書き手はアメリカ合衆国の多様性、最悪の部分と最良の部分を伝えてくれたのではないか、ということ。
本書にも、キング牧師やマルコムX、公民権運動、ビートニクス、第二次世界大戦中のことなど、アメリカ合衆国を理解するキーポイントがちりばめられている。
つまり、われわれの世代がアメリカを知ったのは、ベトナム戦争を通じてであったのだ。
結果的に、アメリカ合衆国のことは矛盾する要素や混乱も含めて知ることができた。

そして、当然ながら、ベトナムのことはまったく知りませんでした。


コメントを投稿