東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

岩田慶治,『日本文化のふるさと 東南アジアの民族を訪ねて』,1966

2008-12-14 19:02:28 | フィールド・ワーカーたちの物語
偉大なる先駆者であるから、 誰も批判はしないし、細かい間違いを指摘するよりも基本的な思想を学びとるべき学者であろう。しかし、本書はやはり……。
初版は角川新書で1966年。
角川選書としての再刊が1991年。
岩田慶治著作集第1巻『日本文化の源流 比較民族学の試み』,1995に収録。

もし今、〈日本文化のふるさと〉などという書名を見たら一瞥もせずに無視するだろう。しかし、これは1960年代の話。この書名も時代の流れとして許容しよう。

著者がはじめて東南アジアを訪れたのは、1957年の有名な第一次東南アジア稲作民族文化総合調査団のメンバーとして、タイ、ラオス、カンボジアを調査したのが最初。その後、1960年代前半までに、

東北タイ・スリン県プルアン村(クメール人の村)
北タイ・チェンマイ近くのメーコン村(シャン族の村)
北ラオスのサム・ヌーア地方、ヴァンヴィアンから20kmのパ・タン村(タイ・ヌーア族の村)

に当時としては長期の滞在調査をする。
その成果を一般向けに書いたものが本書である。

文中、なんども安易な比較をしてはいけない、という警告と自制の言葉が述べられるが、やっぱり、安易な比較になっていると思う。

ただし、1960年代前半では、決定的に資料が不足している。東南アジアに滞在して研究する学者も、今では数百倍になっているだろう。
今ではあたりまえの知識になった衣食住に関すること、稲作、精霊(ピー)信仰、祭りなど、当時としては貴重な知識であったはずだ。読者も未知の情報、おもしろい話を求めていただろう。安易に現在の目から批判はできない。
しかし、岩田慶治を責めることはできないが、その後の東南アジアを見る歪みを生んだことも否定できないのでは。

つまりだ、20世紀のタイやラオスの事情と、古事記や魏志倭人伝、あるいは柳田國男や折口信夫の著作の断片と比較して、似ているとか共通点があるなどというのは無意味なのだ。
同じ人間なんだから、エチオピアだろうとアイルランドだろうと、共通する点があるのは当然だ。
そして、稲作、婚姻、通過儀礼、ピー信仰など、恣意的に選択された事項を、断片的な日本の事情と比較する、というのが、間違いなのだ。
たとえば、婚姻の儀礼をことこまかく描写しているが、では、離婚に関してはどうなのかというと、まったく触れていない。
稲作に関して、こまかい儀礼を紹介しているが、トウモロコシやキャッサバに関してまったく触れていない。
こういう具合に、あらかじめ選択された枠組があるのだ。

おそらく、現在の多くの研究者は、以上のような比較の誘惑を退け、日本との共通点を探したくなる気持ちを抑え、禁欲的に調査をしていると思う。また、どっちが新しい、古いという判断にしても、ひじょうに慎重である。東南アジアに日本と同じ要素があったとしても、東南アジアのほうが新しい場合も少なくない。

以上、著者の岩田慶治を批判するわけではない。
ただ、彼の調査から半世紀たってもあいかわらず〈日本文化のふるさと〉だの〈日本民族の故郷〉だのというステレオ・タイプが生きているのは、どうにも腹が立つことである。


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