東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

高島俊男,『独断!中国関係名著案内』,東方書店,1991

2009-01-18 22:39:16 | 実用ガイド・虚用ガイド
ちくま文庫から出ている『本と中国と日本人と』,2004
は、この改訂版。
東方書店のPR誌『東方』の連載エッセイから収録しているが、追加と削除があり、『独断!』と『本と中国と日本人と』の内容は3割から4割ほど一致しない。


本書には絶大にお世話になっている。
内容は各自、本書でも文庫版でも読んでくれ。

著者・高島さんは、「お言葉ですが」のシリーズが有名で、ウェブに散乱するのもその傾向のものが大半だが、本書『独断!……』で紹介された書籍・書物をちゃんと読みたいもんだ。と、いいつつ、わたし自身も水滸伝関係はまったく読んでいないのだが。
高島さんには、元気なうちに書いてもらいたかったことがある。

たとえば白川静のこと。
この白川学のどこがヘンなのか、シロウトにもよくわかるように、ちゃんと批判して欲しかった。

あるいは、岩波文庫や平凡社・東洋文庫の中で、この校本はおかしい、この訳はおかしい、ということをはっきり書いてもらいたかった。
別に権威ある出版をけなしてよろこぶ、ということではないし、学者の間のもめごとを楽しむというわけでもない。

たとえば最近、ロレンスの『知恵の七柱』の〈完全版〉と称するものの翻訳が東洋文庫から出ているでしょう。それじゃ、以前の翻訳はどうだったんだ?ということになる。さいわいにして、わたしは旧『知恵の七柱』を読んでないが、もし読んでいたら、ああ、時間を無駄にした、ってことになるではないか。

同様に、日本語文献の翻刻でも、漢語からの翻訳でも、シロウトにうかがいしれないヘンなものがあるかもしれない。

本書に紹介されたものの中でいえば、
河口慧海,『西蔵旅行記』 である。

この現行の書籍版は、講談社学術文庫も白水社版も、(今では入手がむずかしい)旺文社文庫版も、みんないいかげんなテキストである。
これは本書で例が示されているのでシロウトにもわかる。岩波文庫か東洋文庫あたりで、原文発表時のテキストを収録してくれないもんだろうか。

こんな具合に古典翻訳・校本・再刊本について、高島さんに一刀両断してもらいたかったな。

******

ただ、現在の高島さんのファンや出版社の姿勢からすると、そんな話題をとりあげる本は出そうにないな。

宮崎市定、桑原隲蔵、内藤湖南、津田左右吉、こんなビッグネームこそ、高島俊男を通じて知るべき巨峰であるはずなんだが。

えっと、誤解をまねくといけないが、本書で紹介している本はそんなビッグネームの重厚な業績ばかりではない。
その反対に、バックパッカーの旅行記や(高島さんもバックパッカーって言葉つかっているんだよ)、学生や女性の滞在記や現代アジア事情の本がいっぱいある。

そのオバサンの滞在記として、おっと、オバサンなんて呼ぶとたちまち抗議の声がとんでくるだろうが、高島さんが紹介している本がある。
一冊一項として扱った紹介ではなく、

「ちょっと横道」 中国レポートの移りかわり と題した中でふれている。

松井やより『人民の沈黙』,すずさわ書店,1980

である。
ええ!?
高島さんが松井やよりの本を褒めるわけがない。けちょんけちょんに貶しているんだろうって、思うでしょう。
違う違う、ちゃんと評価している。
アンチ松井やより派にも、アンチ高島俊男派にも、松井シンパにも高島先生の弟子にも意外だろうが、ちゃんと紹介しているんですよ!

<腰抜けレポートからまともなレポートへの転換点に位置するのが、松井やよりさんの『人民の沈黙』ではないかとわたしは思う。
<この本は、転換点だけあって複雑な本である。
<ひどい話だが、そのころまでの大部分の日本の新聞というのは、中国関係記事に関するかぎり、中華人民共和国の宣伝機関みあたいなものであった。(まともなのはサンケイと赤旗だけ、などと言われたものだ)。
<この本を読めばわかるように、松井やよりさんというのは、いたって正直な、率直なかたである。そういう人に、その新聞社の記者として見たまま感じたままを語られては、ぐあいがわるかったのであろう。
<つぎに、松井さん自身が複雑――というより、混乱している。それはこの本のエピグラムに如実にあらわれている。

 祖国の解放と、人民が主人公の新しい社会のために命を捧げた数百万の烈士たちに
真の社会主義を目ざして、投獄も迫害も恐れず闘い続ける民主と人権の闘士たちにこの書を
 捧げる

<前段では今の中国を「人民が主人公の新しい社会」とたたえ、後段ではその社会を解体しようとしている人たちに声援を送っている。

 中略

<当時の日本にはまだ、社会主義である以上必ず資本主義より進んだ社会にちがいない、という神話が強固に生きていた。それに、一つの国が総ぐるみで外来者にいつわりのイメージを描いて見せるというような大じかけなペテンに、これまで日本人は出くわしたことがなかった。
<松井さんはその神話にすっぽりとからまれながら、それを抜け出そうともがいている。『人民の沈黙』はそのもがきの姿を正直に示した記念碑的な中国レポートだ。

<松井さんと同じ日本のジャーナリストである西倉一喜氏もまた、同じ神話にからまれ、同じもがきを経た人である。そして、西倉氏が一年の留学生活でついに神話から脱し切った時、『中国・グラスルーツ』の爽快な視野がひらけたのである。


どうです。
読みたくなるでしょう。
で、読んでみた。
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