東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

甘志遠(かん・しえん)著,蒲豊彦(うら・とよひこ)編,『南海の軍閥 甘志遠』,凱風社,2000

2006-08-25 22:43:06 | コスモポリス
おもしろい!痛快!波乱万丈!
おもしろすぎて、これはホントか!?といいたくなるほど。
わたしは、本書の内容は、こまかい記憶ちがいは別にして、すべてホントのこととして読んだ。

www.gaifu.co.jp/books/2408/mokuji.html

に、目次もまえがきもあとがきも全文載っている。無料!

高島俊男,『中国の大盗賊 完全版』,講談社現代新書,2004
で、中国の盗賊(匪賊、馬賊、海賊)と正規軍は紙一重であり、ある一団が盗賊にもなるし正規軍にもなるし革命軍にもなる、という歴史が述べられている。
その高島俊男さんが描く大盗賊の海賊版が、本書の著者である甘志遠。
本書は日中戦争期の海賊、甘志遠の前半生の自伝。

最初に書いたように、おもしろすぎるが、編者の浦豊彦(うら・とよひこ)さんが、歴史的バックグラウンドと中国側資料・日本側資料を照合し、詳細な注と年表をつけている。
また、本人に日本語でインタヴューをし、また、甘志遠が経歴を中国語で語った録音テープと英文の略歴を参考にしている。
なお、本文は日本語、原稿を整理していた元海軍府武官・北嶋茂雄(きたじま・しげお)氏は1997年死去、浦氏が後を引き継ぐ。

凱風社ホームページのまえがきを読めば、本書の内容がつかめるので、詳しい説明はしないが、重要な点は、本書の著者である甘志遠だけが、匪賊・海賊であったわけではなく、当時の地方軍閥、国民党、共産党、日本軍、さらに御用商社もすべて匪賊として行動していたということだ。
少なくとも、大部分の民衆はそうとらえていたし、本人たちも、匪賊や海賊ということばを使おうが使うまいが、行動原理というか生き方は、盗賊である。
だから、国民国家の軍規とか国家間貿易の法規をまもることを彼らに期待してもムダだし、裏切りや寝返りを非難してもはじまらない。
だまされたやつ(本書で甘志遠自身がだまされた例があげられているが、この例もだまされたほうがマヌケだったという記述として読めないこともない。)が悪いし、先を読めなかったやつが悪い。
うっかり国民党派や日本陸軍派や海軍派に深入りして命をおとした盗賊がいっぱいいるわけだ。
本書の著者は、この自伝を書くまで生きのびたわけだから、当然バランス感覚と将来をみすえる勘がさえている。(まあ、本人の自慢話もまじっているようで、「日本が英米に参戦すれば、中国にとって海外勢力を一掃するチャンスだ」なんてのは、後知恵ではなかろうか?)

軍閥とはどういうやつらかを描くエピソードは本書全体にいっぱいあるが、停戦直前の甘志遠の作戦を例にしよう。

海防軍司令官(日本軍監部公認の海上戦力)として経費を捻出するため、アヘン密売を画策するが、途絶(児玉誉士夫の実弟と組むが、飛行機事故で死亡)。
次に米産地を奪還しようとする。

この攻撃目標が中山県(ちゅうざんけん)第八区・万頃沙(ばんけいさ)を支配する匪賊。
この万頃沙は、珠江デルタの低地で20世紀になって開発されたところだ。
本書によれば、100万畝(ムー)約600平方キロの土地で年10万トンの収穫があった。
この地を支配する匪賊は農民から20~30パーセントの保護費(年貢ともかんがえられるし、脅し取っていたといってもよい)を徴集していた。

地図でみると、広大なデルタのほんの一部であり、しかも反当り収量が多い土地ではない。
それでも10万トンの米産地なのだ。(甘志遠が書いている、年3回の収穫というのは、三期作ができるという意味ではなく、土地の具合で、播種・収穫の時期が異なることだと思う)
10万トンといえば、5人家族10万家族、海防軍が1万トンの収入があるとしても、屈強な男3万人は雇える。

つまりだ、戦国の小さい大名くらいの支配、動員力があるのだ。
開拓地の用心棒、匪賊、軍閥、独立政権、何と呼んでもいいがとにかく、そういうやつらがいたのだ。(念のためにいいますが、ここは「日本軍占領地」です。)

土地に寄生する匪賊対海賊の戦いである。
海賊・甘志遠は、米をマカオ政庁の倉庫に保管し、その米を担保に中国人銀行と合同で自分の(甘志遠の海防軍の)紙幣を発行する計画をたてる。
う~ん、こんなこと可能なのか?
残念ながら海防軍が作戦開始したとき日本降伏の報。

このように、東南アジアの港市やフロンティア社会で、流通・交易を担い、武力ももちいるし、交渉も妥協もするし、住民や手下の保護もするし、より強い勢力の先棒をかつぐこともするのが、「海賊」である。
今書いているわたしの記事でも、ほかの記事でも、「海賊」ということばには、なんらネガティヴなニュアンスはありません。
先日レヴューした『ハッタ回想録』の家族も、運送・商売をし、地域の中核家族という意味では、この「海賊」の要素をもっていたわけである。
両方とも、教養あるインテリでもある。(しかし!どうして彼らは、こう易々と、いくつもの言語をおぼえられるのか?)

そんなわけで、海域ネットワーク社会を生きぬいたひとりの男の生涯として、じつにおもしろい。
大推薦!
台湾に移住してからの人生、あるいは奥様との結婚生活など、もっと知りたいことがたくさんあるが、この記録が残り出版されただけでも、よしとしよう。

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あっと、副題「日中戦争化の香港・マカオ」とあるように、香港とマカオという、まったく異なる体制下の戦時状況が描かれている。
ただし、本書の記述をもってしても、中立地マカオのまかふしぎな状況は、よくわからん。
たてまえは中立で自由貿易港であったはずだが、まわりが全部日本占領地もしくは戦闘地帯になっている自由貿易港というのは、いったいどんなものだったのか?
また、ヤクザ、スパイ、逃亡者が集まるマカオ社会とはどんなものだったのか?

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まえがきから、少々引用。

さらに広州と汕頭(スワトウ)のなかほどにある海豊(かいほう)という海沿いの地域では、こんなことがあった。ある日、洋傘をさした婦人が日本軍の陣地にやってきた。そして、「あなた方の仲間がにきて物をもっていくが、非常に迷惑しているのでやめてほしい」と苦情を言う。郷長に頼まれて来たものらしい。たどたどしい日本語だったが、その語るところによれば、彼女は熊本県天草(あまくさ)出身で、日露戦争直後にシンガポールに渡り、華僑と結婚してこの地に住み着いた。名前は「山下おふく」だという。ところが驚いたことに彼女は、ここに駐留中の部隊を正規の日本軍ではなく海賊だと考えていた。部隊の中尉が、今、日本と中国とが戦っているのだと説明しても、山下さんにはそれが分からないらしい。
 これは彼女だけが理解しなかったのではなく、その村の人全部が分かっていなかった可能性が高い。

かっこでくくった振りがなは、本の中でふってあるルビ。
このように、地名・人名には親切にルビがふってある。(ウェブ・サイトにはフリガナなし)
「天草」もよめないのか?という方もおられようが、わたしはこのように、初出の地名すべてにルビをふる編者の方針に大変たすけられた。(さすが北京、南京にはルビなし)
一般に戦時の歴史にかんする書物はふりがなが少なすぎる。
ふりがながないと、辞典・事典をひくにもまずよみを調べなければならないし、まちがいをそのまま覚えていくんではないでしょうか?
地名・人名なんてよめないのがあたりまえなのだから、しっかりルビをふってほしい。