東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

赤松啓介,『非常民の民俗文化』,ちくま学芸文庫,2006

2006-08-29 23:50:45 | 基礎知識とバックグラウンド
親本は1986年刊、明石書店。

なんとなく、赤松啓介という人の著作は、近代化以前の日本におけるおおらかな性、夜這いや若衆宿の風習を肯定的に論じたものだろう、と思っていた。
誤解、いや、予断であった。

本書では、柳田國男派民俗学に対する異議・批判が遠慮なく説かれている。
しかし、よく読むと、著者赤松啓介の描く農村も、やはり窮屈で閉鎖的な社会である。(なお、本書全体は、都市の生活も描かれている。兵庫県を中心とした近畿地方の20世紀前半の生活である。したがって、東北や北海道には、ちょっと合致しない面も多いような気がするが、専門的にも常識的にもよくわからないので判断保留。)

夜這いにしても、これは本百姓、中農の間の閉鎖的なグループ交際であるようだ。
あるいは、農村のオナゴ連中の自立的な共同作業にしても、これはやはり、中核的な本百姓のヨメのグループだ。
コドモ集団にしても同様である。
柳田一派の、教育勅語を信奉するような、去勢された農村イメージとは正反対だが、やはり閉鎖的で、おそろしく窮屈な世間なのだ。
こうしてみると、この農村からはみ出た、あるいは追い出された者たちが、東南アジアあるいは満洲に向かった(あるいは、追い出された)、モーメントがわかる。

こまかいことをとりあげて、タイトな農村共同体をみくだすのもなんであるが、一例をあげる。
本書ではじめて知った、本膳のセット、つまり冠婚葬祭用の食器セットである。
これが高価なものであり、豪農は上中下数種類のセットを所有し、一般の農民は貸し借りしていた。水呑や日雇いは、借りることもできない。
わたしは、食器オンチで、伊万里焼が東南アジアに輸出されたとか、青磁が世界商品であったとかという話をきいてもピンとこない男であるが、日本の農村での食器セットも大きな財産であったのだ。
冠婚葬祭のふるまいも、ムラのなかでは最大の出費であり、利権をともなうものだった。

あるいは、著者自身の体験として、猥談がみんな同じようなもので、2,3回聞くともう飽きてくるという話がある。
同じような体験を、文化人類学者の体験で読んだことがある。
おおらかな猥談を楽しむというと、いかにも自由な共同体らしいが、じっさいは、退屈で退屈でたまらない生活じゃあなかろうか。

こうしてみると、戦前・戦中、満洲・東南アジア、あるいはアメリカ大陸に、積極的にとびだした人々、むりやり連れて行かれた人々、なにがなにやらわからず行ってしまった人々にも同情する。
むこうに行った人々がさまざまなインパクトを与えのは、これまた別問題であるが……