東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

『岩波講座 アジア・太平洋戦争 4 帝国の戦争経験』,岩波書店,2006

2006-08-23 14:55:41 | 20世紀;日本からの人々
編者の杉原達(すぎはら・とおる)さんが以下のように述べている。

ここで気をつけておきたいことは、帝国の残滓や帝国の痕跡ということによって、日本人による日本人のための帝国論になりかねないという陥穽である。近年の歴史研究をめぐる動向を考慮するとき問題にすべきは、帝国の「内部」における歴史認識の欠落や帝国意識の蔓延であるが、その事態を批判的に浮き彫りにするために、帝国の「外部」を利用するのは筋違いというものである。

もってまわった言い方でわかりにくいが、要するに、大日本帝国の領域だった地域に生じた20世紀のさまざまな事件・経験を、大日本帝国側の要因からのみとらえると、裏返しの帝国中心史観になってしまう、ということであろう。

そういう意味で、収録された論文の中で、

早瀬晋三(はやせ・しんぞう),「植民者の戦争経験 海軍「民政」下の西ボルネオ」
は、西ボルネオ、ポンティアナックの北マンドールでおきた虐殺事件を扱うが、日本軍占領以前からのフロンティア社会、多民族社会の西ボルネオを歴史的に(歴史的にというのは、完成した静的社会ではなく、過去から積み重なった流動的な見方で)とらえている。

そのなかで、マンドール虐殺事件も、過去いくどもくりかえされた抗争の一例だと、とらえられないこともない。
しかし、間接的にせよ直接的にせよ、地域の慣習と交易システムを無視した日本人各組織の闖入が、原因になっていることは否定できない。
ただし、関係書類(公文書)が焼却処分され、関係者が戦犯として処刑されているので、真相究明はもはや不可能であるようだ。(現地の新聞でさえ満足に残っていない。)
日本人対現地人、あるいは日本企業対華人企業という対立ばかりではく、日本人のあいだの、海軍・民政部・民間商社、そして戦前からの移住日本人のあいだに対立とトラブルがあった。彼ら日本人がさまざまな民族と対立する。
その結果、マンドール事件の首謀者は、現地土候(ダトゥーのこと?)、郡長(ウェダナ?)、オランダ人と同等の権利を有する(?キリスト教徒ということ?)アンボン人・スンダ人・メナド人・オランダ生まれの中国人、あるいは中国人・バタック人・メナド人・ジャワ人・パダン人・インド系など、と報道されている。

以上、早瀬論文とマンドール事件のことは、おいておく。

本巻収録の論文、一応ざっと全部よんでみたが、短すぎるのと、具体的事実を追いかけるのに精一杯で、どれもものたりない。
四方八方に気を配ったような論文が多いなか、

傳貽(フ・チイ),「台湾原住民族における植民地化と脱植民地化」

が、読んでいて元気がわいてくるような一編だ。
霧社事件、「旧慣打破」、「皇民化」など、原住民の立場から、ばっさばっさと断定していく。
反論も湧いてくるし、著者のいうほど伝統再生が実っているのか疑問な点もあるが、このきっぱりとした筆致がいい。

そのほか、一番若い著者、高媛(こう・えん 1972年生まれ)の満洲観光を扱った「ポストコロニアルな「再会」」もよかった。
別に他の著者の論文が悪いわけではないが、なにせ短すぎる。こんなこともありました、ということがわかるだけ。

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どうでもいいこと。
ええと、この本は図書館で借りました。
目録でしらべて、新刊書として購入されていることは知っていたが、現物が棚にない。
「へえ、こんな硬い本でも、けっこう利用があるんだなあ……」
と思っていたが、分類番号をチェックすればわかるように、この本は「日本史」に分類されるのですね。
わたしは普通、日本史の棚は見ない。
NDC(日本十進分類法)の細則はよくしらないが(何度も改訂されているし)、やはり、このシリーズは「日本史」に分類されるんでしょうね。

この講座の著者・編集委員のみなさま、読者のみなさま、どう思いますか?

(NDCとは、棚に並べる順序を便宜的に決めるものだから、内容にこだわることはない、という意見があることも、わたしは知っていますが……)