◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎追悼・鈴木邦男様/そして・・・これから◎

2023年01月28日 | 末松建比古
◎《鈴木邦男さん死去/新右翼団体「一水会」創設/79歳》
※1月28日(土)早朝。朝日新聞を開くと 鈴木邦男氏の逝去が報じられていた。
「作家・評論家の鈴木邦男さんが、11日、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去した。/葬儀は家族で営んだ。/一水会が後日、お別れの会を開く。/18年頃からはパーキンソン病などで療養していた・・・」
※ここ数年 鈴木サンの消息が気になっていた。ネットで検索しても 古い記事しか現われない。
表舞台から消えたのは何故か?。ご病気だろうと推察はしていたが(私より若いのだから)元気に復帰すると信じていた。

※1974(昭和49)年。鈴木邦男氏と末松太平は「やまと新聞・記者」と「私の昭和史・著者」という立場で 初めて出会った。鈴木氏は「その日の印象」を 機会あるごとに語ってきた。例えば「末松太平を全く知らない人=坂本龍一氏」に・・・。
例えば「末松太平を◎◎である人=保阪正康氏」に・・・。

  

※当ブログを少し遡ると《◎鈴木邦男編著「証言・昭和維新運動」のことなど》という記事に辿り着く。2021年4月9日に記している。
4月17日には《◎再び 鈴木邦男編著「証言・昭和維新運動・・・》を記している。写真は その際のものを再掲した。末松太平の視線の先に鈴木氏が居るのだと思うと 感慨無量である。鈴木氏の御冥福を祈りながら どうぞ再読していただきたい。
こうして「末松太平と交流した人」が またひとり減ってしまった。無念なことである。
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◎話は ここからガラリと変わる。
※「・・・私事ですので、本文を公開しないように、お願い申し上げます」というコメントが「初めての方」から届いた。対応はどうする?。
私事ですので」というのは(末松太平と直接関係のない)△△についての質問のことである。
今まで△△について考えたことはなかった。それでも「判る範囲のこと」を「初めての方」のメールアドレスに送信した。
「ある大学」で「事件関係の研究」をしている方からの依頼である。無視する訳にはいかない。

※その翌日に「初めての方」から 次の質問がメールで届いた。
●質問「・・・次の研究対象を視野に入れて 仏心会の幹部に連絡してみようと思います。仏心会のホームページに連絡先が記してないので、差し支えなければ教えていただきたく・・・」
●返答「・・・連絡先のない《不思議なホームページ》である理由は 個々の問合せに対応する余裕がないためだと思います。仏心会の所在地は《賢崇寺内》ですが 仏心会専任の担当者は居ません。電話を取るのは僧侶の方々です。問合せに対しては《世話人の誰か》の連絡先を伝えるしかなく・・・」
仏心会のホームページは 世話人代表の香田サンが《自費》で開設したものと聞いている。送り手からの一方通行になるのも無理ないことだと思う。
※要するに 余程の重大事でない限りは《仏心会=遺族の会》への質問は慎むべき・・・ということである。
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◎ここから先は「冗談」の領域である。苦笑と共に読み捨てていただきたい。
   
※「二・二六事件研究の第一級史料。決定版。」と謳われたからには 研究者からの問合せに応える責務がある。なにしろ「資料」から「史料」に格上げされたのである。著作権継承者が嬉しくなるのも当然ではないか。とはいえ 全ての質問に応えることはできない。その時その時 気分次第ということになる。
※質問者の「住所・電話番号・メールアドレス」を記したコメントは「私信」である限り「非公開」とする。
但し「私信」扱いにするのは 原則として「初回だけ」である。公開・非公開の判断は 一任していただきたい。
「二・二六事件関係者の談話室」である以上は 質疑応答の内容も「共有」したいのだ。(末松)
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