◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎2020年7月12日の選択◎

2020年07月12日 | 末松建比古
緊急事態宣言は かなり《以前》に解除されたが
新型コロナウイルスの蹂躙は《依然》として続いている。
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※不要不急の外出自粛を意識しながらも 自宅周辺のウオーキング(生活必需品購入歩行)は続けている。
直行すれば往復30分程度で済む店舗巡りを 大きく迂回させて《数時間のコース》に仕立てるのが ベテランウオーカー(私)の技である。エコバッグ2個をかついだ汗汗歩行は 傘寿老人の健康保持には有効である。
※信じられないことだが「東京都ウオーキング協会」は それまで自粛中止してきた「例会」を6月下旬から再開している。言うまでもなく 私は不参加を続けている。都内で開催される例会参加には 通勤通学の交通機関の利用が必要になる。 通勤通学のため(感染を気にしながら)やむなく交通機関を利用している方々にとって「不要不急の遊興の徒」は許しがたい存在であろう。
※多少の釈明を加えれば 毎年11月初旬に埼玉県東松山市周辺で行われる「日本スリーデーマーチ」は 早い時点で開催中止を(海外にも)発信している。千葉県ウオーキング協会も 埼玉県ウオーキング協会も(取り敢えず秋頃までの)例会や大会を中止している。ウオーキング愛好家の全てが「非常識な輩」というわけではない。

◎2020年7月12日(日)。久しぶりの梅雨の晴れ間。
※長い間閉鎖されていた映画館や劇場も営業再開して 巷の空気も多少和らいできたようなので 遠出を試みることにした。
折しも《7月12日》である。「賢崇寺の法要」に参列するべきかか 「末松家の墓参」に行くべきかと 外出直前まで迷いに迷った。  
そして実行したのは 数ヶ月ぶりの県境(江戸川)越えである。
 
 

※末松太平(&敏子)の墓は 千葉市若葉区の平和公園内にある。管理の行き届いた市営霊園で 年間管理料=4930円にも感謝である。  
画像参照。マスク姿の墓参風景を「ウイズコロナ時代の記録」として 家人に撮ってもらった。
※東金街道を離れ 平和公園の入口に向かう途中に「特養施設・清和園」がある。認知症(介護5)で息子(私)の存在も判らなくなった母は この施設で息を引き取っている。
当時 毎週一回以上は(片道2時間半をかけて)この「特養施設」に通っていた。
現在 私の知人は(コロナ禍の影響で)老親の見舞いに行けない日々を送っている。暗澹たる思いに 掛けるべき言葉はない。



※時空を遡って 1994年7月10日の平和公園。
この日は末松太平(1993年1月17日逝去)の納骨式で まだ矍鑠としていた《未亡人》が画面の中央にいる。
私(左端)の隣は 相沢正彦氏(相沢三郎中佐の御長男)である。 夏服姿の理由は 久しぶりに末松家に現れた日が《偶々納骨式の当日だった》からである。 末松敏子は日頃から「おばさま」と呼んで下さる正彦氏の突然の来訪を喜び 霊園まで同行していただいた。
因みに 2020年の現在まで 末松太平の墓を訪れた《事件関係者》は 相沢正彦氏ただ一人である。

※《法要》か《墓参》かの選択を迫られて 墓参を選んだ理由についても記しておきたい。
要するに 新型コロナウイルスの影響もあって 賢崇寺の法要が「どういう形で営まれるのか想定できなかった」ということである。
2月26日とは違って 7月12日は《十五士が処刑された命日》であって 限られた人々を中心に法要が営まれている。ソーシャルディスタンスが求められる状況にあって《十五士の遺族ではない者》の参列は迷惑かも知れない。そういうこともあって 賢崇寺には足を向けなかった。
※2月26日の法要も 7月12日の法要も 私に「案内」が届くことはない。自分なりに考え「顔を出す・出さない」を決めるしかない。それが現在に於ける「私の立場」なのである。(末松)
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