◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎2013年の因果/公表が遅れたことなど◎

2013年01月09日 | 末松建比古


今年の年賀ハガキは、2種類作成した。画像左側のハガキが今年の年賀状で、右側のハガキは“Hサン”宛に1通だけ印刷したものである。Hサン宛の限定版は、末松太平の描いた平和観音像を使用している。
この観音像は前年度に「喪中葉書=末松敏子死去」で用いているから、2年続けて(同じ方に)出すわけにはいかない。Hサンに年賀状を送るのは今年が始めてだから、あえて「末松太平作品」を用いたわけである。末松太平の絵をHサンに見ておいていただきたい、という思いもあった。

Hサンの名前が当ブログに登場したのは、2011年12月26日に記した「ひとつの終幕・その後」である。
「2011年12月22日。末松敏子の逝去から丁度3ヶ月が経過した日に、Hサンという未知の方から、心の和む御手紙を戴いた。まだ詳しいことは書かないが、手紙の用件は皆様にも推測できると思う」

2011年12月から現在までの経過報告は後回しにして、2013年1月7日に送信したメールを紹介しておく。宛先は、Hサン=中公文庫編集部の橋爪史芳サンである。
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略啓
1・田村重見編「大岸・末松・交友と遺文」について。

この本は、田村サンの個人的な出版物で、出版社は関与していません。
地元(仙台市)の小規模印刷会社に直接発注した書籍で、発行部数も多くない筈です。

1993年8月16日付で、田村サンから戴いた手紙の一部。
「印刷部数を決める必要で、末松家の必要数をお知らせ下さい。お家族全員と親戚知己への贈呈分を含めて。経費についてはどうぞ御心配なきよう願います」
当初から、発行部数は多くなかったと思います。私も必要最小限の部数を拝受しました。
というわけで、現在、私の手元には、書棚の1冊+保存用の1冊=計2冊しかありません。多分、田村サンのご遺族(私との交流はありません)の手元にも「遺品」として存在するだけだと思います。

手元にある「保存用の1冊」を手放す気持は皆無です。しかし、ご要望があれば「無期貸与」しても良いと思います。無期貸与=不必要になったら返却ください。要するに「無期懲役=終身ではない」と同じ意味ですね。返却は数年後でも構わないということです。

2・写真資料について。

「みすず書房版」に掲載されている写真は、選択基準が私にも理解できません。
「中公文庫版」には不要だと思います。

以上、取り急ぎ用件のみ。(末松)
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思うことがあって今まで詳細を公表しなかったが、橋爪サンのご尽力によって、末松太平著「私の昭和史」が中公文庫から2月下旬に発刊予定になっている。(末松)
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