◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

湯河原光風荘(1)

2008年12月05日 | 今泉章利
水上さんの湯河原襲撃に関する記述の確認のため、久しぶりに光風荘を訪問した。湯河原駅からバスで10分、光風荘保存会会長の山本寅太郎さんにご案内いただいた。
写真は、光風荘の入り口であるが、門の右奥に見えるのが玄関、左側の塀と家屋の間の狭い通路(自動車の写っているところではない)が、勝手口に続いていた。以前の間取りについては、もう少し検討を要するが、もりたなるおさんの「無名の盾」にも解説があり、勝手口の入り口は、自動車の見える道が舗装される前、板塀に沿って進んだところに裏木戸があったという。裁判記録にもあるのでよく読んでみようと思う。
勝手口をさらに進むと風呂場の脇に行き当たるが、急な崖がそびえていて、行き止まりになっている。この崖は、左側の山から右の藤木川方面に一気に下る急峻な坂の一部である。玄関の右側の部屋は、牧野伯爵の寝室で、その部屋の前を囲むようにして小さな庭が造られている。この土地は急な斜面を削ってできたようなところで、庭の下は急な崖になっていて人は近付けないし、逆に降りてもいけない。実際に立ってみると、崖の下に権現橋からつながっている細い道が見下ろせる。この庭は、家に沿って2-3メートルの幅で伸びているが、その先は、先ほどの急峻な崖につながり行き止まりになっている。
牧野伯爵たちは、火事で家を裸足のまま飛び出したものの行き止まりなので、雪の庭の隅にうずくまっていた。これを、救ったのは近くの旅館の主人、岩本亀太郎さんという人であった。岩本さんは、権現橋を過ぎた二つ目の角のところで警戒していた河野大尉の静止を振り切って火事の中、駆け付け、行き止まりの庭に彼らを発見したのだった。(続く)(今)
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