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アフガニスタン現代史

2020-12-05 18:39:48 | そのほか
昨日(12月4日)はアフガニスタンで亡くなった中村哲氏の一周忌だったそうな。
才能のある佐田さんとかは、素晴らしい貢献をしている。

中村哲さんは「武器持たぬ英雄」 さだまさしさんが翻訳
https://www.asahi.com/articles/ASND53TWJND4UHBI01K.html


私のような凡才でろくでもない人は、そんなことはできないものの、
自分なりの能力の範囲で貢献することが、社会をよくして、未来につながることだろうと思う。

というこtで、偽善的な社会貢献をしてみたいと思う。

私の能力の中でアフガニスタンに関係することと言えば・・・

・・・放送大学の「アフガニスタン現代史」で
   まるA(Aの上、最上級の評価)とった

ってことで、わけのわからない「アフガニスタン現代史」書きます!
ほとんどは授業のうけうり+Wikipediaだけど、
すっきりまとめてみた。このまとめがあるかないかで、かなり理解違うと思う。
・・・ただ自分でもわかんないところがある(タリバンとムジャーヒディーンの違い)
まあ、その辺はかんべんしてもらうとして、アフガニスタン現代史はじまりまじまり~




【概要:王政→共産主義→イスラーム主義→部族のまとまり】

アフガニスタンの今に続く流れは、こんなかんじ。

1978~ 共産主義(軍事クーデターからソ連侵攻、撤退)
1992~ ムシャヒディン政権(1992/4樹立)→内戦へ
1995~ タリバーン(1994/11蜂起)
2002~ カルザイ・ガーニ大統領

 このうち、ムシャヒディンとタリバーンの時代はイスラーム主義と大きくまとめられる。また、1979年の前は、1919年にイギリス保護国から独立して、アフガニスタン王国が作られた(=王政)ので、ざっくりまとめると、王政→共産主義→イスラーム主義→部族のまとまり(大統領による暫定統治)と政治が動いたことになる。




【王政の時代】

 王政は単純に王が支配していた時代かというとそうではない。第二次世界大戦においては中立だったため、戦争の直接の影響はないものの、戦後の民族独立運動の社会の流れは、1949年~52年の「自由国会運動」という形で起こった。

 1953年、ダーウードが首相になると、「イスラムは進歩を妨げる」ということで、イスラムを弾圧する。しかし、宗教は弾圧してなくなるものではないので、イスラム主義という形で残り続ける。当時、アメリカはパキスタンを支援したので、隣国であるアフガニスタンはソ連と結び付き(計画経済に魅力を感じていた)軍の近代化を推進した。が、急にソ連になれと言われてもねえ~なれるわけないわけで、当然、この改革は失敗

 1963年 ザヒール国王はダーウード首相を退陣させて、憲法を発布、人民民主党ができ、議会選挙に向かった。このころ、1965年ごろ。日本もそうだし、アメリカもそうだったように、アフガニスタンも労働争議、学生紛争などが起こる。1966年「ハルク」創刊、68年「パルチャム」創刊




【共産主義】

 1973年、あの63年に退陣したダーウードが軍事クーデターを起こす。ザヒール国王はイタリアに亡命、王政は終了した。前述した通りダーウードは親ソ連、計画経済導入したい。一方、この土地に住んでいる人はイスラムを守りたい。ダーウードはイスラムを弾圧し、反ソ・イスラムの人はまとまってくる。このまとまりがムジャーヒディーン。

 1978年4月の4月革命(軍事クーデター)でダーウードは殺害。タラーキが大統領になるが、その間「私、ま~つ~わ」といっていた(ウソ!もちろん)あみんが大統領になって(これほんと。アミーンなのかな)タラーキを逮捕、殺害。あみんは、宗教弾圧したからムジャーヒディーン(イスラムの人たち)は反発、これをおさえるため、あみんはソ連に鎮圧を依頼。なのになのに、嵐333号作戦により、ソ連はあみんを殺害。あみんはハルク派だったんだけど、そのあと、ソ連はパルチャム派のカールマルが革命評議会議長に擁立された。これ1979年12月29日。この2年間でどんだけ政治変わってるんだ(@_@)

 で、ここで話は終わらない。宗教弾圧してもイスラム教の信仰は変わるものではない。ムジャーヒディーン(イスラムの人たち)の反発は続き、カールマルは事態を納められないということで、ナジーブッラーに政権を譲る(1986年) 
 
 このころ、ソ連はゴルバチョフ(なつかしい!)が政権をとっていて、う~ん、撤退したいな~と思い、1988年4月ジュネーブでアフガニスタン和平協定が結ばれ、89年、ソ連軍は撤退する。ソ連の後ろ盾を失ったナジーブッラーは政権を保てるわけもなく、1992年に崩壊する。これにて、共産主義、ソ連支配から、イスラムへ、時代は移る




【イスラーム主義】

 ごめん、放送大学でまるAをもらったくらいでは、ここ、よくわかんない。はじめは、イスラムの勢力であるムジャーヒディーンの政権(ただし、いろいろの派閥ある)が1992年に樹立するんだけど、その中でタリバーンがでてきて、いや、このタリバーン、よく聞くんだけど、これとムジャーヒディーンの違いがよくわかんない。とにかく、1996年にはタリバーンの政権ができる。悪い!ここは本気でわからない。今後の研究課題にさせてくれ!




【カルザイ・ガーニ大統領】

 2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、アメリカは北部同盟とともに、タリバーンと戦うことになる。アメリカはさらに、地元の人たちで緊急大部族会合を2002年に召集、この中で、(人柄がいいらしい?)カルザイ氏を大統領にするように話が最終的には進んでいく。その後カルザイ氏からガー二氏へと大統領は変わる。




 ごめん、この背後にあるイスラムの考え方VS西洋の考え方とかには触れることができなかった・・・
これは、来年・・・ですかね(^^;)

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