ナイナイが初めて「笑っていいとも」へのゲスト出演が決まったとき、彼らが考えたのは、タモリさんにいかにいいパスを送るかだったという。二人がまだ、その他大勢を抜けだしかけた時代の話だ。
ふつうは自分たちがいかに目立つかを考えるのが若手芸人たちだ。
タモリさんをおもしろくみせよう作戦を考える岡村さんの様子をみて、マネージャーさんは、絶対にこのコンビはビッグになると確信したという。
という話を中谷彰宏氏の本(『品があって、セクシー』)で読み、学校の先生の仕事も、いかにパスを出すかだなあと思った。
パス出しどころか、グランド整備して、ユニフォームを着せてあげて、ルールを教えて、「いい? ちゃんと蹴るんだよ、せーの」って声かけてあげて、それでシュートミスならまだしも、球が足下に来てるのに「かったるいから」と蹴らない子もいたり、なんて場面がうかんでしまった。
それでも、パスを送り続けないと。
自分では決してシュートできないのだから。
どんなにだんどりしても、シュートをうってもらえなかったら、仕事してないことになるのがちょっと辛い。
でも「よくそんな体勢からシュートうって決めれたな、おかげで失敗のはずのオレのパスにアシストついたよ、ありがとう」なんてこともあるものだ。
車のなかは、文化祭で演奏するflumpool「君の届け」が繰り返し流れている。
♪ 来年も 再来年も 今以上に君が好きで
それぐらい 僕のすべてで 僕にしか言えない言葉を 今 君に届けたい
そうだね。言葉を届けること。
同じ言葉でも、その人が言えばその人にしか言えない言葉になる。
一つの言葉が、予想もしない形のアシストになることもある。
人に何かを届けること、与えることに喜びを感じられるうちは、この商売は続けてていいかなと思う(何、しみじみしてんの? 涼しくなったから?)。