水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

品があって、セクシー

2011年08月21日 | おすすめの本・CD

 ナイナイが初めて「笑っていいとも」へのゲスト出演が決まったとき、彼らが考えたのは、タモリさんにいかにいいパスを送るかだったという。二人がまだ、その他大勢を抜けだしかけた時代の話だ。
 ふつうは自分たちがいかに目立つかを考えるのが若手芸人たちだ。
 タモリさんをおもしろくみせよう作戦を考える岡村さんの様子をみて、マネージャーさんは、絶対にこのコンビはビッグになると確信したという。
 という話を中谷彰宏氏の本(『品があって、セクシー』)で読み、学校の先生の仕事も、いかにパスを出すかだなあと思った。
 パス出しどころか、グランド整備して、ユニフォームを着せてあげて、ルールを教えて、「いい? ちゃんと蹴るんだよ、せーの」って声かけてあげて、それでシュートミスならまだしも、球が足下に来てるのに「かったるいから」と蹴らない子もいたり、なんて場面がうかんでしまった。
 それでも、パスを送り続けないと。
 自分では決してシュートできないのだから。
 どんなにだんどりしても、シュートをうってもらえなかったら、仕事してないことになるのがちょっと辛い。
 でも「よくそんな体勢からシュートうって決めれたな、おかげで失敗のはずのオレのパスにアシストついたよ、ありがとう」なんてこともあるものだ。

 車のなかは、文化祭で演奏するflumpool「君の届け」が繰り返し流れている。

 ♪ 来年も 再来年も 今以上に君が好きで
   それぐらい 僕のすべてで 僕にしか言えない言葉を 今 君に届けたい

 そうだね。言葉を届けること。
 同じ言葉でも、その人が言えばその人にしか言えない言葉になる。
 一つの言葉が、予想もしない形のアシストになることもある。
 人に何かを届けること、与えることに喜びを感じられるうちは、この商売は続けてていいかなと思う(何、しみじみしてんの? 涼しくなったから?)。

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よこはまたそがれ

2011年08月20日 | 国語のお勉強(漢文)

 漢文の講習4日目。今日はいっちょ漢詩をやってみようと意気込んで教室に入ると、参加人数が減っていた。
 がっかり。
 でも内容はばっちり。
 入試に出る漢詩は律詩が圧倒的に多い。さすがに四句しかない絶句では20点、30点の問題を作るのは大変なのでしょう。全部で8句あるけど、2句ずつの「聯」を単位として意味をとっていこう。限られた言葉で言いたいことを表そうとするので、普通の漢文よりも簡潔に書かれています。イメージとしては単語の羅列です … と説明しようとして、そうだ「よこはまたそがれ」だと思いついた。
 日本の歌謡史に燦然と輝く五木ひろしの名曲「よこはまたそがれ」は、もちろん今日の受講者15名、誰も知らなかった。しょうがないので、歌詞を黒板に書いてひととおり歌う。

 ♪ よこはま たそがれ ホテルの小部屋
   くちづけ 残り香 煙草のけむり
   ブルース 口笛 女の涙
   あの人は 行って行ってしまった
   あの人は 行って行ってしまった
   もう帰らない

 単語の羅列だけど、情景が浮かんできませんか。
 そして最後の最後に気持ちを歌う。
 漢詩も基本構造は同じで、第一聯(1・2句)から第3聯までは、情景描写。
 そして第4聯つまり尾聯(7・8句)で一気に自分の心情を述べる。
 前半の叙景と最後の叙情の部分を重ね合わせて、全体の意味を読み取っていけばいいのです。
 絶句は、律詩の後半4句分だと思えばいいですね。
 最高の説明と思ったのだが、伝わったかな。漢詩にしてみょうか。
  
  横 浜 黄 昏 宿 舎 房
  接 吻 残 香 煙 草 烟
  哀 歌 口 笛 女 之 涙
  彼 人 已 去 不 復 還

 お、なんか、それっぽいが韻は踏めなかった。

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出稽古

2011年08月19日 | 日々のあれこれ

 昨日の合奏はわたなべ先生にお願いしたので、今日はじめて新メンバー合奏の指揮台に立った。
 例年のことながら、またここからはじまるんだよなあと感慨深い。
 来年のコンクール時にはどうなっているのだろう。
 一つ言えるのは、今までよりもさらに早めの成長を遂げてもらわないといけないということだ。
 部員一人一人の意識を変えることと、教える時間を長くすること、この二つを無理矢理やっていくしかないのだろうと思う。
 とにかく今はみなさん好きに吹く。それはうらやましいくらいに。
 楽しそうにも見えるので、とめずにそのまま進もうかとも思うけど、やはりたえられないところ、許せないところはとめてしまう。
 おそらくそれでも、許せないレベルというか閾値がものすごく高いと自分でも思う。
 審査員席の○○先生だったら、0.2秒もたないのではないか。
 十数秒我慢できてしまう自分を、今後は変えていく必要はあるんじゃないか、そう思った。
 そのためにも、外部との接触をもっていきたい。
 自分の学校だけ見てたら、つい「この間楽器もったのによくがんばったね」的目線になってしまうから。
 さしあたり来月合同演奏をしてもらう星野高校さんとの練習機会は大事にしたい。
 その他、なりふりかまわず、いろんな学校さんに出稽古に行かせてもらおう。

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暑かった

2011年08月18日 | 日々のあれこれ

 吉野屋さんがカレー販売を再開したのは朗報である。以前は280円だったが、今回は330円。
 牛丼の低価格競争では、すき屋さんや松屋さんの後塵を拝するものの、カレーは少し安い(たしか)。
 牛丼がそうであるように、味的な完成度はやはり吉野屋さんが一枚上なのではないか。
 ここで言うファーストフードにおける完成度は、繰り返し食べられる度合いの大きさが重要だ。
 そういう意味で、もっともふつうぽいカレーで、前より50円高いけど、じゃがいもがごろっと入っている分、より家庭的な味わいになった。
 惜しむらくは、甘口と辛口の差が小さいことか。
 よくうちのバンドはダイナミクスレンジが小さいと指摘される。
 小さく演奏すべき部分はもっと繊細に、大きく演奏すべきところはもっとしっかり鳴らそう、全編mpとmfしかないのはだめだよ、と。
 甘口の方はもっとバーモンドカレーぽくし、辛口の方はさらにスパイスをきかせてくれるなら、と両方食べてみて思った。
 ちなみに辛口カレーでは、夏しかやってないけど山田うどんの辛口カレーが、しっかり辛くておいしい。
 辛さはココイチの2辛と同じくらいかな。辛み成分だけを通常のカレーに足しました的なカレーではなく、全身で辛くなっている。とても450円とは思えない仕上がりだ。
 これを汗かきまくりながら食べるのが、夏の個人的風物詩なのだが、さすがに今日の暑さはその気持ちさえうせるものだった。
 顧問も気をつけているだろうけど、運動部の生徒さんで保健室で休まざるを得なくなった子が今日はいた。
 明日からほんとに暑さ落ち着くかな。

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クロエ・グレース・モレッツ

2011年08月17日 | 演奏会・映画など

 今年観た映画をふりかえってみると、邦画のベストは「奇跡」、洋画ではお正月にみた「キック・アス」が一番で、なんといってもヒットガール役のクロエ・グレース・モレッツ嬢が頭から離れず、「モールス」という普通なら絶対観ないであろうヴァンパイヤ映画を観てきた。
 いわゆる「ボーイミーツガール」の一種で、少年が女の子と出会い惹かれていく、ただしその気持ちの成就には困難がともない、それをどう乗り越えるかというストーリーが骨格だ。
 対象が身分の違う相手ではなく、幽霊でもなく、白血病でもなく、人妻でもなく、異星人でもなくバンパイヤ(吸血鬼)だった。
 これは困難度高いよね。
 困難度の高さを少年少女の世界にすることで純度を高め、切なさを描き出すことに成功している。
 つい一年前にできた北欧の映画のリメイクらしいが、そんなにすぐにも創りたいと監督さんに思わしめたのはクロエ嬢にちがいなく、今回も魅力的だけど、この先どうなるか楽しみだ(って完全におやじ目線だけど)。
 「こちら亀有公園前派出所」に出てた深田恭子さんの娘役の子もよかったなあ。
 深田恭子さんもはじめて女優さんぽく見えた。

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8月15日

2011年08月15日 | 日々のあれこれ

 終戦記念日を新聞休刊日にするって、いったいどういう感覚なんだろ。
 日本人は劣化していると一般論で言われてもしょうがないかもしれない。
 午前中に墓参りをし、前夜の宴会の残りのおかずでごはんを食べ、駅でスポーツ新聞と越前茶購入して帰りのしらさぎに乗り込む。
 新日本プロレス夏の風物詩G1選手権で、中邑選手が優勝という記事が載っている。
 両国国技館、観衆1万500人。話半分としても、それなりのお客さんが集っているのを知るとほっとするのは、昔熱中したプロレスの灯が完全に消えてしまうのはさみしいからだろう。
 女子プロレスの方は、ほぼ灯が消えかけていると言わざるを得ないのがさびしい。
 横浜アリーナでの団体対抗戦を深夜1時すぎまで観たのはいい思い出だが、あの頃がピークだった。
 一昨日観た女子のバレーボール。木村さおりちゃんでさえベテランの風格がただようくらい、新しいメンバーが入ってきていることに驚くが、狩野舞子さんが活躍しているではないか。
 引退かもという話もあった選手ではなかっただろうか。
 ギザかわゆす。このビジュアルと体格で、この身体能力の高さは奇跡だ。
 女子プロレスの世界に入ったなら、どれほどの選手になれるだろう。
 女子プロレスにかぎらないけど、根本的にフィジカルのすぐれた素材が集まらなくなったスポーツは衰えていくのだろう。にわとりと卵の関係ではあるけれど。 
 それにしても、もったいないな。
 木村沙織・狩野舞子ペアができたなら、長与・神取ペアでもかなわないのではないか。
 アジャコング・ダンプ松本組らと、異種格闘技選手権をやったら、女子プロレスは一気に盛り返すことだろう。
 異種だから、塚田・谷本組とか、いっそ澤・丸山組、復活オグシオコンビ、浅尾美和・山崎静代混合チームにオファーを行ってもいいのか。どう戦うかはわからないけど、福原愛・石川佳純組にも出てもらおうか(吹奏楽界からの代表も思いついたけど自粛します)。盛り上がるだろうなあ。そうしたら出口クリスタさんも女子プロレス入りを考えてくれるかもしれない。
 などと夢想していがら、片方では、「対句、比喩、反語」をメインにして話していこうと頭は働いている。

 

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法事

2011年08月14日 | 日々のあれこれ

 8月14日。帰省のため東京駅へ。ホームで発着する東武東上線より本数の多い新幹線の発着にいつもながら驚く。お隣の大国には絶対不可能なダイヤ編成だろう。
 これだけの技術をもつ日本人が、なぜ原発だけはあんだけヘタをうったのか。
 民営化して商業ベースでの競争の存在する企業と、一見民間企業でありながら、政府・役人・メディアが一体となって誰も責任をとらなくてすむ、それでいて関係する人達にはざくざくお金は入ってくるシステムとの違いにしか、その原因はもとめられない。
 原発だけをとりあげて、日本はだめだってやはり言いたくないもの。
 安全な新幹線に乗って、米原へ。
 車中、いろいろ予習の予定だったが、一本だけいただいたビールのせいで、予定は変更となった。
 米原から北陸線に乗り継いで芦原温泉駅で下車。かなり暑い。
 34度ぐらいかな。「暑いやろ」と弟が言うので「いや、埼玉では30度台は暑いうちに入らない」と強がる。
 祖母の七回忌をすませ、宴会、麻雀。帰省の折にしか食べられないムツの照り焼きをがっつりいただけた。

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8月13日

2011年08月13日 | 日々のあれこれ

 駿台の教員研修で現代文を学ぶ。
 稲垣先生の講座はこれで3回目になるだろうか。
 東大の過去問をどう解くか、現代文とは何を教えるべきかを学ぶ。
 だいぶ分かってきた気がする。
 教員になって間もないころから数年、普通に予備校生に交じっていろんな講座を受けてきたのは、何を教えていいかがあまりにもわからないからだった。
 「ま、おれはそんなに苦労せずに国語ができたからなあ」というおごりが根本にあったのだが、代ゼミの土屋先生、船口先生、笹井先生、宮下先生、駿台の関谷先生、霜先生のお話をうかがいながら、自分にいかに中身がないことを思い知らされた。
 むろんその自覚が生まれたのは、数年後だが。
 さすがに今は中身はだいぶそなわってきたし、ビジュアル的にも予備校生として通うのはきびしくなった。
 それで教員研修会の方に時折参加させてもらっているが、同じ先生の話を繰り返し聴いても、新しい発見はある。
 一方で、自分のやり方に間違いがないことの確認にもなる。
 自分の解き方の方がいいのではないかと思うときも少し出てきたのだが、謙虚が服を着て歩いているようなおれさまなので、そのへんは慎重に言おうと思う。 
 ただこの日、現代文のお話を聞きながら、頭には講習後期に担当する漢文のことが常にあった。
 文章はなぜ書かれるのかという本質に思いを寄せるならば、現代文の評論も、漢文もまったく同じではないか、ただ手段方法に若干の違いがあるだけではないかと思った。
 漢文の講習では、もちろんふつうに問題を解いて解説していくのだけど、解説を読めばわかるようなことだけではなく、「それはどういうことか」「本質は何か」にせまっていきたいと、急に前向きになってきた。
 研修にでかけるのは、バンドレッスンを受けるのと似ている。
 「ピッチを合わせる」という作業で、そのハーモニーに曲の中での役割を学ぶとか、その先生がこだわる箇所を知ることで、その曲の音楽的に大事な要素が見えてくるというように。
 この部分が対句であると指摘することで、つまりそこが対句という修辞をつかってまで筆者が述べたい部分だと気づかせたいのだ。
 帰りがけ味噌ラーメンの有名店「くるり」の高田馬場店に寄る。
 さすがにお盆時期の夕方とあって、行列はなかった。通りの向う側ある「純連」でさえ空いていた。
 噂どおり濃厚でパンチのきいた味。にんにくの量がはんぱないので、営業の途中の人とかにはためらわれるかもしれない。

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B部門

2011年08月12日 | 日々のあれこれ

 B部門で武蔵越生さんが西関東に進めなかったことは、自分の中でもけっこう驚きだ。
 年に1、2回接する機会のある武蔵越生さんの演奏は、それはもう圧倒的なサウンドだから。
 これで「部員が多いのにBに出ているからそんなことになるんだ」的なことを言う輩がまた出そうだな。
 たしかに大人数の学校はAに出た方がいいと思うが、その部のおかれた状況のなかで、顧問が最終的に決めることであって、ルールの範囲内で行われていることである以上、周りがとやかく言うことではない。
 残念なのは、いい大人の人からも同じ主旨の話を聞くこともあるからだ。
 人数が多いからAに出るなんて、そんな簡単なものでないことは、ちょっと考えればわかりそうなものなのに。 ちなみに本校は、部員が増えたのでAに出た(笑)。
 でもね、多いときで100人を超える部員がいても、50人のAメンバーをそろえられた年はない。
 今年だって47人だし。どうしても55人にしようと思ったら、楽器を持って三ヶ月の子に入ってもらって、吹くまねだけしててなんてことにもなる。
 自分たちのやりたい音楽、自分たちの達したいレベル、部活としての目標をどう設定するか、部員のモチベーション、そして部のおかれた学校の状況。
 いろんな要素がからみあってくる。
 部員が多いからAに出よう、Aで結果を出すために伊奈学園と同じくらいの練習をしようと無理してみたら、Bにも苦しいくらいの人数になってしまうなんてこともありうる。
 コンクールには出ることが一番教育的とおれ的には思っているけど、楽器の取り扱いもままならない状態でステージに無理に上がるべきではないと考える人も当然いるだろう。
 選ばれしメンバーでいい結果を出すことが一番教育的なのだと考えもあるだろう。
 一方で楽器や練習場所を提供している学校側が、無理にでもAに出なさいと言うなら、部員がBに出たいと思ってても、顧問は生徒を説得しAに出る方向にもっていくのが仕事だ。
 ほとんどが楽器初心者の男子校バンドと、経験者がほとんどの学校さんとを、部員の数だけで単純に比較するのも意味がない。
 多くのスポーツみたいに男女別にする方法、ボクシングみたいに体重別にする方法、少林寺拳法みたいに経験年数による部門をつくる方法もある。
 部員が80人いて30人しか出られないのはかわいそうと意見もあるが、野球やサッカーの名門校はのきなみ100人を超える部員がいて、選手としてベンチ入りできるのはせいぜい20人だ。
 それについては誰も文句を言わない。
 吹奏楽でそれが問題になるのは部門が複数あるからで、吹奏楽コンクールは45人で編成する部門だけにすると決めてしまえばすべて解決する。
 今の体制で実施するなら、ルールの範囲内で、各学校の状況に応じて参加の仕方を決めればいいだけのことだ。
 ま、子どもはしょうがないけどね、いろいろ言うのは。
 でも吹奏楽連盟が「多くの部員が在籍しているにもかかわらず、Bの部に出場を行うため、過度な出演者選考を行い … 」などとオフィシャルの冊子で書いちゃだめでしょ。
 自分たちの決めたルールを逸脱してない団体に対し、自分たちの無策ぶりを棚にあげてそんなことを一方的に宣言する。うちのことかなと思ってしまう団体さんはたしかにあるだろうけど、もちろん反論の場などあるはずがない。メディアによる暴力とどこが違うだろう。
 だいたい200人から55人選ぶバンドの方がよほど「過度な出演者選考」じゃないのか。
 そういうの一回やってみたいよ。
 
 昨夜は、盟友の先生と大宮で残念会。
 ともに県大会出場ならずヘコんでいるのに、気がつくと次に向けてどうするかという話をしている。
 業というしかない。

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ジェノサイド

2011年08月11日 | おすすめの本・CD

 コンクールの当日、某久喜高の先生といっしょに待ち時間に繙いていた高野和明『ジェノサイド』。
 久喜校さんより一足先に余裕ができてしまったので(涙)、昨日じっくり読み切ることができた。

 ホワイトハウスのミーティングの場面から始まる物語は、特殊な任務を帯びてコンゴに投入される傭兵たち、同時に東京の大学院生が父の急死とともに不思議な事件に巻き込まれていく様子を描く。
 東京。突然の父の死。その父が残したのは「肺胞上皮細胞硬化症の治療薬をつくれ」というメッセージだった。 不審に思いながらも、それに従って行動しようとした古賀研人は、何者かに身柄を拘束しようとされる。
 なんとか逃げおおせたものの自分がどんな状況におかれたのかを把握することができない。
 公安警察の追ってをかいくぐり父が用意してあった隠れ家で薬を完成させようとしながら、研人は自分の使命に気付いていく。

 「人類を救うためにコンゴのある部族を殲滅させよ」と命令された傭兵部隊は、数週間の準備ののち現地に向かう。そのうちの一人イエーガーは、肺胞上皮細胞硬化症に侵された息子の治療費を稼ぐために、高額の報酬を得られるこの特殊任務に参加していた。
 作戦遂行中「見たこともない生き物」を目撃したときにはすぐに抹殺せよとの命令も同時に受けていたが、その意味が今一つわからないままにいた。
 ホワイトハウスの真の意図に気付いたイエーガーたちは、「見たこともない生き物」をつれてアフリカ脱出をはかろうとし、それに気付いたホワイトハウスとの闘いが活写される。

 望んで選んだわけではない苦境に立たされている二人の男を中心にした物語がリンクしていくが、それを意図的につなげてていたのが、「見たこともない生き物」であることがだんだんとわかってくる。
 「見たこともない生き物」がどういうものであるかは是非お読みいただきたい。
 アメリカ映画ではつくりだせない存在だ。

 それにしても東京編もアフリカ編もディテールの書き込みがはんぱない。
 研人が薬を開発する過程も、イエーガーたちを「処理」しようとする通信衛星やら最新の武器も。
 登場人物が、しかも一見ごく普通の人間が、特殊な状況に追い込まれ、その苦境をなんとか乗り切ろうとする過程のなかで、自分の存在価値ややるべきことに気付いていくのはエンタメ小説の基本骨格どおりだ。
 そのプロットをささえているのは、筆者が圧倒的な筆力で書き込んだディテールの積み重ねだ。

 大切なものを守るために命をかけてきたこの二人が出会う場面が、物語の終わりの方に用意されている。
 終わるのがもったいなくて、南古谷ウニクスのタリーズで本日のコーヒーのショートを注文し、この場面にたどりついたときには涙をこらえられなかった。
 でもこれ、なんで直木賞とれなかったのだろう。

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