昨日は本校会場での指揮法レッスンの日。
時間がかかっていた課題を、いちおう合格させていただけて、ほっとした。
進んでいる先生方が、次々と美しい曲をレッスンされているのだが、一歩でも近づけてうれしい。
県外からも見学の方が来られて、すぐに入会を決意されていた。
でも、みんな、なんで?
とくに県立高校の場合、理想に近い環境で長年指導されている先生もいらっしゃれば、ほとんど部員がいない学校さんに異動になることもある。
吹奏楽部の顧問になれるとはかぎらないし、そういう意味では指揮法を身につけて、それを直接いかせないままになってしまう先生もいらっしゃるかもしれない。
そっか、考えてみれば、おれ自身、来年も同じように顧問でいられるかと言えば100%ではないのだった。
そしたら、こうやって勉強していることはムダだろうか。
そうとも思えない。
習い事が基本的に好きというのもある。
斉藤メソッドの指揮法という、芸術と論理とが両立する不思議なものに接することができる喜びがある。
何かを身につけるための方法論を身体で実感できる。
レッスンの先生、参加されている先生方といろんな話ができることがまたありがたい。
話は音楽のことにはかぎらないが、会話している内容と全然別のところでインスピレーションがわいてきて、あれもやろうこれもやろうと思うことがあるのだ。
世に山ほどある自己啓発本のうち、どういうのをいい本かというと、あたりまえのことだが「ヤル気の出る本」だ。
それが目的の本だから。その本に書いてある勉強法とか仕事術とかを、読後にいろいろ試してみたくなるのが、ふつうにいい本。
読んでいる途中に、もう読むのをやめて全然関係のないことを、いろいろやりたくなってしまうしまうのが、さらにいい本だと思う。
そのことによって何を学んだか。
そのことによって何をしたくなったか。
本を読むことで、自分の何が変わったか。
指揮法を学びながら、自分の何が変わったか。
何かがもし変わるとしたら、指揮自体がうまくなってなくても、月謝なんて安いものだ。
こういう場で知り合えた先生方、つまり自腹をきって何かを学ぼうと集ってくる殊勝な方々との出会いもまた、お金にはかえがたい。
けっきょく誰と接触できるかなのだろうか。
勉強でも部活でも仕事でも、そこで誰に出会えるかは大事だから、できるだけ困難をともなう集団を目指してがんばった方がいいという話を、こんど学年で話してみよう。