是枝監督って、歌謡曲の歌詞を聴いてピンとくると、そのイメージを作品にまで結晶できるのだろうか。
ま、同じクリエイターとして、その感覚はわかるな(はぁ?)。
「麦の唄」を聞いてて、サビにつながるセリフが思いついた瞬間に、前回の定演の「え、信長ってだれだし?」のストーリーがさあっとわきあがってきたことがあったが、そんな感じだろう。うん、まちがいない。映画化してカンヌに出品しようかしら。
是枝監督も、テレサテン「別れの予感」がある日耳に入ってきて、そのとき何か降りてきたにちがいない。
泣き出してしまいそう 痛いほど好きだから
どこへも行かないで 息を止めてそばいて
身体からこの心 取り出してくれるなら
あなたに 見せたいの この胸の想いを
なんて、アツイ歌詞。これのどこが「別れの予感」と、お子ちゃまなら思ってしまうかもしれない。でも、ここまで好きだからこそ、思いたくもない「別れ」が頭をよぎってしまうのさ。
教えて 悲しくなるその理由 あなたに触れていても
信じること それだけだから
「好きすぎて悲しくなる」のはくろうさぎの気持ちと同じ。
海よりも まだ深く 空よりも まだ青く
あなたをこれ以上 愛するなんて わたしには出来ない
こんなに深く愛する気持ちを作品にしたのかと思ったら、ちがってた。
「そんなに深く愛する人なんていないのよ」と樹木希林は言う。
「そこまで愛せないからこそ、人は生きていけるんじゃないの」と。
阿部寛の別れた奥さん真木よう子さんの言葉もリアルだった。
「しなきゃ、決められないでしょ」
というセリフ。
「愛や好きだだけで、結婚なんてできないわよ」
現実を見つめる女性陣に対して、いつまでもふらふらしている阿部寛さんの姿は、男の象徴なのかもしれない。
「なりたいものになれたかどうかが問題なんじゃない。なろうとして生きることが大事なんだ」と小学6年の息子に語る。
自身、作家になるという夢を捨てずに生きているものの、本気で精進しているようには全く見えず、養育費もアパート代も滞っている状態で、小銭が入ると競輪ですってしまうダメ男。
あげくの果てに、団地に住む母親(樹木希林)のへそくりを探し出そうとする企みは、姉(小林聡美)に見透かされてしまう。
女性が見ていたら、「こんな男は別れて正解」と感じるのかもしれない。
いや、男でもだめだな。友だちになれるかといったら微妙だな。むしろ、こんなダメ男となんで一緒にいるの? と諭したくなる女性が現実にはかなりいそうだ。
真木よう子だって、決して阿部寛がきらいなわけじゃない。
一言もそんなこと言わないのに、それは伝わる。何か事件が起こって、二人はよりを戻すことができました、ぱちぱち … みたいな映画には絶対にならない。
よくよく考えてみれば、是枝作品はどれを何を思いだしてみても、別に大事件はおこらないのだ。「海街」はあの四人が一つ屋根の下にいること自体が事件ではあったが。
大事件がそうそうは起こらない日常を題材にしながら、その日常自体が愛おしいと思えるような奇跡を描く天才が、是枝監督だろうか。
セリフや表情はもとより、ちょっとした小道具一つとっても、気づいたら目頭があつくなっている作品だった。カルピスのシャーベットでさえ泣いたおっさんはいると思う。