「ルーム」から脱出した親子には、当然世間の好奇の目が向けられる。とくに母親に対して。
本当に逃げ出せなかったのか、それならせめて子どもだけでも逃がしてと懇願すべきではなかったのか、と。
朝霞の女子中学生に対して同じ疑問をなげかける声があったのと似ている。ばかとしか言いようがないけど(ていうか、とらわれていることに気づいてないのはおまえだ、と言いたい)。
マスコミのインタビューに応じた母親が、インタビュアーから「父親についてどう思うか」と問われ、「この子の親はあたしだけです」と答えても、「生物学的にはそうはいえない」と言われる。彼女の実の父親までが、犯人の血をひく子どもをけがらわしいものを見るかのような視線をおくる。
街を歩けば、どんな目で見られるか。こうして母親はどんどん追い詰められていくのだが、犯罪の被害者になるということは、助かったあとでさえも、「悪意のない」一般人たちによって追い込まれていくのだ。
とくに今はネットというたちの悪いメディアが存在する。ネットを利用しながら、こんなことを言うのは矛盾しているかもしれないが、実名を出さないネット上の意見は、そのすべてはクズ扱いするのが正しいと思っている。
精神的に追い込まれた母親を救うのは、五歳の息子だ。誕生日のケーキにろうそくがないと泣き叫ぶ冒頭のシーンから、犯人を欺いて脱出し、「外」の世界に順応していく過程で、顔つきがどんどん変わっていく。
監督さんがえらいのか、子役の子が天才なのか、おそらく両方だろうが、大人を救うのは子どもの成長であることをまざまざと知らされ、それが髪を切るシーンで見事に象徴される。傑作という言葉はこういう作品に使う言葉だろうと思った。