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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ちはやふる(下の句)

2016年05月05日 | 演奏会・映画など

 

 「何のためにカルタをするのか?」
 「自分のため以外に何かあるの?」とクイーンの若宮詩暢(しのぶ)は言う。
 学校対抗のチーム戦に青春をかける部員たちを、「カルタが好きなんやなくて、集まって何かするのが好きなだけの人たちや」と、詩暢は論評する。
 そして「本当にカルタを大切にしてるのがどっちかは、言わんでもわかるやろ」と続ける。
 ちなみに、原作が設定したキャラと実写のキャストとが、もっとも幸せな結びつきを見せているのは、詩暢を演じる松岡茉優さんではないだろうか。
 バラエティではキャぴきゃぴしてるけど、映画やドラマだと、どんな役も期待以上の仕事をしているように感じられる彼女は、二十歳そこそこにして大御所感がただよう。

 何のために音楽をするのか。
 何のために絵を描くのか。
 何のためにボールを蹴るのか。
 何のために部活をするのか。
 
 人生の効率で考えたなら、高校時代なんて不条理のかたまりだ。
 なぜに同世代でつるんであれこれやらねばならないのか。3年も。
 部活も、文化祭も、修学旅行も、合宿も、バーベキューも、学校の勉強にしたって、「絶対に」やらなければならないものなど何もない。
 堀江貴文さんなら、むだに高校生活をだらだらすごすより、一日も早く起業してやりたいことをやれと言うだろう。それはそれで一理ある。やりたいことがある子は、むしろどんどんやっていい。
 でも「何のために」については、自分的には答えをもっている。
 なんで、そんな面倒くさいことをするのか。した方が「きれいな心」になる可能性が高まるからだ。
 
 「思うように札がとれないとき、どうしても悪い流れに入ってしまったとき、何かいい方法はないか」と太一に尋ねられ、新(あらた)はこう答える。
 「イメージや。一番楽しかった頃のことをイメージするんや」
 部活も勉強も仕事も人間関係も人生も、うまくいかない時はある。
 しかし自分の人生をふりかえってみて、そのすべてがマイナスだったはずはない。どんなことにも、山もあれば谷もある。うまくいかない時はなぜか、今までもこれからも、ずっとうまくいかないモードに入ってしまい、抜け出せなくなっているのだ。
 そんなときは、深呼吸して、誰もが一つや二つはあるに違いない楽しかったシーンをイメージする。
 そして気づく。いいことも悪いことも、積み重なって今の自分をつくっているのだと。楽しかった場面は必ず誰かとそうしているはずだ。ひとりではない。これまでもこれからも。だから今の自分も。

 カルタは何かのためにやるものではない。誰かのためにやるものではない。
 しかしカルタを通して仲間とつながることは、決してカルタを手段にしているのではなく、よりカルタの魅力を高めている。
 何のために演奏するのか。
 何のために走るのか。
 何のために生きるのか。
 そのもののなかに喜びがあり、それ自体に価値がある。
 あとで思い浮かべられる楽しい場面が一つでもある人は、生きることに価値を見いだすことができる。
 99つらくても1いいことがあれば、心のよりどころにできる。
 それを作るための場として、高校はなかなか捨てたもんじゃないと思う。

「ちはやふる」は、競技カルタにうちこむ高校生の群像という特殊を描きながら、ときに生きることの価値さえ見失いがちな「ガラスの自我」をもつ若者たちに、一つの答えを提示するという普遍に達した、まさに「青春映画の金字塔」というべき作品になった。

 映画の冒頭、福井に住む綿谷新を訪ねようとした千早が、特急「しらさぎ」から芦原温泉駅にホームに降り立つ。
 いつもホームの自販機で缶コーヒーを買い、プルトップをあけるあたりだ。きっとその場所に俺が残した思念に、すずちゃんは気づいたにちがいない。
 新を演じる真剣佑(まっけんゆう)くん。しゅっとした顔立ちで福井弁を話すメガネの高校生役。瞬間、タイムスリップしたのかと思った。このたたずまいは、まさに昔の … 。
 いろんな偶然が積み重なって到達した奇蹟に感謝し、続編の完成を待とうと思う。

コメント
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