学年だより「目標と目的(3)」
心の筋力を鍛えるという勉強の目的を叶えるためには、定期試験ではクラス順位を十番あげようとか、全科目の平均点が70点を超えるようにしようとか、具体的な目標を立てないといけない。
さらに、試験三日前までにサクシードを終わらせるために、一日のノルマを決めたり、問題一覧をつくって終わった問題番号を消していくというように、細かい作業に落とし込んでいく。
プリントはすぐにノートにはる、書き漏らしたことはその日のうちに写しておくといった作業の積み重ねが、むしろ勉強の本質だ。
ほんの細かい作業の積み重ねが、小さい目標の達成になり、その積み重ねによって大きな目標も達成され、結果として目的の現実化につながっていく。小さい作業や、自分の頭で考えることを面倒くさがっていると、自分を最終目的からどんどん遠ざけることになる。
まして、この科目は入試に使わないからとか、将来役に立ちそうにないからといった理由をつけて、目の前の勉強から逃げていると、いろんなことからは逃げようとする姿勢が自分のデフォルトになってしまう。
~ 受験勉強に限らないが、難問を解いていると行き詰まることがある。
行き詰まるという意味では、社会に出てからの問題はすべてが難問だ。
私がサラリーマン時代から対話してきた1万人以上のビジネスパーソンを観察していて気づかされたことに、こんな事実がある。
それは、大学受験で数学という教科から逃げた人と跳んだ人の間には、確実な差が存在するということだ。
難問と感じる問題がどれかは人によって差があるが、いずれにせよ全員がどこかで、挫折する問題に出逢うのが数学の共通点だ。
数学という教科は、挫折するために学ぶのだ。
挫折しても挑み続けるのが、数学という教科なのだ。
受験で数学から逃げた人は、挫折しながらも考え続けることから逃げた人だ。
受験で数学に挑んだ人は、挫折しながらも考え続けることを選んだ人だ。
社会に出てからは誰もが挫折の連続であり、模範解答など誰も用意してくれないため、行き詰まることばかりだ。
ここで受験の数学に挑んだ人は、
「今のこの状況は難問に遭遇して行き詰まったあのときと同じだ」
とハッと気づかされる。
反対に、受験の数学から逃げた人は、
「うわ~、この状況からどうやって逃げようか」とまた逃げることを考える。 (千田琢哉『人生の勝負は、朝で決まる。』学研プラス) ~
困難にぶつかったときに挑む気持ちを持てる力は、偏差値いくつとかの値打ちに換算できない。