先日、藤沢和希さんという作家の方のブログ(金融日記)で、「灘や開成に通っている生徒は、ムダに受験勉強などせずに、すぐ働いた方がいい」という記事を読んだ。
正確に言えば、灘や開成の上位三分の一くらいの生徒は、という話なのだが。
彼らの頭脳は、中三の時点で東大に合格するぐらいの学力に実は達しているという。
しかし、その時点では「天才」とも称される能力も、高校、大学と最低7年間の時を経て大学卒業時には、ぎりぎり東大に入った生徒と同等のものになっていく。
一般企業に就職すればなおのこと価値が下がり、結果として国家公務員や勤務医といったぐらいにおちつく人生なら、15歳で起業して能力をフルに使い、がんがんお金儲けした方がいい、普通に学校生活を送ることで、計算すると7000万円ぐらいの損をしているという主旨の文章だった。
なるほど、と思う。
頭のいい人が自分の能力をお金に換算し、それを効率よく分配していく生き方は、合理的に正しい人生の過ごし方なのだろう。
本校の生徒さんには無縁の話だが、仮にそれほどの能力をもっていたとしたら、高校や大学ですごす7年間はムダと感じるだろうか。
まさにそのとおりだ、学校なんて時間のムダだ、わかりきった勉強している暇があったら、その時間を使って、たとえば新しいゲームのプログラムを作り大もうけしたりすればいいではないかと、即座に賛同する人もいるだろう。
体育祭で綱引きで優勝してみんなでこぶしをつきあげることも、あと1点及ばず甲子園への道が断たれ涙することも、勇気を振り絞って好きな子に告白し玉砕することも、コンクールで何年かぶりに県大会に行けることも、夕立が一瞬のうちに校庭を海のようにしてしまったのを見てたらがまんできなくてパンツ1枚で飛び出してしまうことも、一銭にもならないし。
そんな無意味なことしてるなら、働いてしまった方が得だよ、と。
これは極端な考え方にも見えるが、0時間目とか7時間目、8時間目の補習・講習を行って、高校生活は受験のためだけに使いましょうという感覚は、根は同じだと思う。
藤沢さんは理論物理を学び、金融関係の会社ではたらき、今は作家として経済的にもゆとりある生活を送られているのだろうと推察するが、高校大学の7年間よりもたかが7000万円が惜しいなんて、むしろさびしい人なのではないかと感じたのも正直なところだ。
お金換算なんかしてたら、野球応援なんか行ってられないよなあ。
春日部共栄高校さんの甲子園での活躍を心から祈りたい。おめでとうございます。