学年だより「誰のために」
「文武両道」の精神は、たんに勉強とスポーツで結果を求めることではない、困難にチャレンジして自己を鍛えること、そして他人を思いやる心をもつことの大切さを表す … 、と述べられる学校長の言葉を何回か耳にしてきたはずだ。
もちろん毎日そういう理論を意識しながら学校生活を送ってきたわけではないだろうし、それはそれでいいのだが、勉強は何のためにするのかと、一瞬立ち止まって考えてもいいかもしれない。
日本の若者たちが一番勉強したのはいつだろう。
「受験戦争」「四当五落」と言葉が全国に広まった高度成長期だろうか。
小学校受験、中学受験が一気に増大したバブル期だろうか。
新制高校、大学が誕生した戦後すぐの時代だろうか。
どの時代も、それなりに勉強熱が盛んな時代と言えるが、なんといっても、幕末から明治にかけてのそれは、今の私たちが想像できる範囲をはるかに超えていたようだ。
~ 幕末から明治初期にかけての青年たちの勉強ぶりは、すさまじいものでした。福沢諭吉の『福翁自伝』には、適塾時代の勉強ぶりについての回想が記されています。ある日諭吉が風邪をこじらせて横になろうと思って枕を探したら、見つからない。よく考えたら、過去二年以上床に横になって寝たことがなかったことに気がついた(毎晩、勉強しながら机につっぷして寝ていたのです)。 … 明治初年の青年たちの勉強ぶりは、わずかの期間で大学での授業が、お雇い外国人教員による原語での講義から、日本人教員による日本語での講義に置き換えられたという歴史的事実からも、うかがい知ることができます。夏目漱石は、大学在学中はほとんどすべての授業を外国人教師から英語で受けました。日本語にはそれだけの学術情報を受け止めるだけの専門語彙が存在しなかったからです。けれども、加藤弘之や西周や中江兆民や福澤諭吉たちの超人的な努力によって、欧米の書籍が次々と翻訳され、日本語で専門教育ができるところまで日本語の語彙が豊かになりました。「社会」も「個人」も「哲学」も「科学」も「概念」も、そういった学術用語はすべてこの時期に彼らが訳語として作り出したものです。 (内田樹『街場の共同体論』潮出版社) ~
この時代の若者たちの頑張りがなかったら、今私たちは、日本語で高等教育の授業ができない国(世界中にたくさんある)になっていたかもしれない。
このがんばりの原動力は何だったか。内田氏はこう述べる。
~ そのような過激な勉強は、自己利益を増大させるためというような脆弱な動機では果たせません。死ぬほどに勉強して、欧米の先端的知識を血肉化して取り込み、一日もはやく日本を近代化する。そういう共同体の運命が自分の双肩にかかっているという使命感が、彼らにそのような勉強の仕方を強いたのです。 ~
自分の出世とか名誉とか、そんな小さな目標を彼らは掲げてはいなかったのだ。