ユメタンのキムタツ先生が灘中学校の野球部監督を引退され、今後は部長になるということだ。
17年間監督をされたそうだが、全国を講演活動で飛び回り、そして次々と参考書、問題集を出版され、そして普段の放課後はノックバットをもって部活をみて、試合にも臨んでいた。
かりに自分にだけ一日24時間ではなく48時間あったとしても、木村先生の仕事量の何分の一しかできないと思う。ま、そのへんは能力やら性格の問題も大きいけど。
ブログを拝見するかぎり、キムタツ先生は実は3人いた … と言われても納得する様子だったのだ。
話変わるけど、ひょっとして、一般的に野球部には部長と監督の二つの役職があることを、よくご存じない方もいるのではないか。自分も、この学校に来てしばらく様子を見るまではしらなかった。
本校も、多くの学校もそうだろうと思うが、野球部には複数の顧問がいて、一人はユニフォームを着て采配をふるう監督さんになる。もう一人は部長さんでYシャツ・ズボンでベンチに座る。
吹奏楽では正顧問、副顧問と言ったりすることが多い。正顧問と言われる方が、部の運営の中心になり、指揮台にも立つ。副顧問はその補佐である。正顧問とよばれる先生が運営一般を行い、音楽面だけを他の先生、もしくは外部指導者が担当する場合もある。
そういう意味では野球部の組織と一番似ているのは吹奏楽かもしれない。
ただし、野球も吹奏楽も、ほかの部活動でも、メインの指導をする先生が、競技そのものと運営面のどちらにおいても中心となっている方が、うまくいく場合が多い。
外部指導者が音楽だけ、もしくは野球だけを指導する場合、短期間で圧倒的な結果を生む場合は多々あるのだが、全国的にみても、それが恒常的に続くバンドはごくまれだ。
木村先生が部長になるというのは、野球指導の第一線を退くということで、先生自身の涙涙のブログも、さもありなんと思えた。
ていうか、よく17年間の続けられたことと思う。監督さんになられたばかりの頃は、まさか自分が17年後に、ここまで名の知られた実践家になるとは予想されてなかったのではないだろうか。
~ 2月から11月末まで、土日のほとんどが練習試合等で潰れるので息子と娘にはあまりいい父親ではなかった。彼ら自身の試合やコンサートにはほとんど行ってやれなかった。それに家族旅行などにも連れていってやれなかった。仕事とはいえ。
その割にはちゃんと育ってくれた。ずっと自分の子どもたちには悪いなと思ってきたので、娘からのメールには涙が止まらんかった。
支えてくれたみんなに感謝したい。ありがとうございました。 ~
この感慨はどうかな。どこまで本気かな。
家族旅行とか連れてってあげられなかったけど、子供たちはちゃんと育った …
連れていってあげなかった「から」育ったという考え方もあるのではないか。
つまり、自分の仕事に精出す姿を見せるということで。
ぎゃくに、子供、家族をとにかく優先し、その結果として親子関係がうまくいってない例を、キムタツ先生だって見てきているはずだ。
子供はほおっておいても育つ子は育ち、手をかけてもうまくいかないこともある。
むしろかまいすぎることで、自立を阻む場合もある … 。
いえ、けっして自己弁護ではなく、そう思う。