父方の実家に、年の離れた従兄弟がいて、一族の中心的存在だった。
小さい時からかわいがってもらい、当然のように結婚式の仲人をしてもらったりしたそのいとこが、突然倒れたまま他界したとき、52歳の若さだった。
三回忌のあとぐらいかな、お線香をあげたあと奥さんと話してたら、「人生計画を書いたノート」が出てきた、という。
それにの、計画がきちっと書いてあるんや。何歳で結婚とか、何歳で子供生まれるとかの。
だいたいその通りになってるんっやって。ほやけどぉ、52歳から先が書いてなかったんやわ … 。
そのノートを書いた若き日のいとこは、別に深い考えがあってのことではないだろう。そこそこイメージできる頃まで書いて、そのままになってただけではないのか。
でも、その話は妙に心に残っていた。とりあえず自分用の人生計画を120歳ぐらいまで書いてしまおうかとも思った。だから何、というわけではないのだけど、昨日誕生日を迎えて、あ、52歳はクリアできた、自分はもう少し生きられるかなという勝手な感傷にほんの一瞬ひたってみたりもしたのだった。
従兄弟が亡くなった20数年前、自分がそんな年になることはイメージもできなかったが、いざクリアしてみると、中身は成長してないし、何も変わってないし。
だから、人並みの煩悩もまだまだ十分あるので、こうやって生きながらえさせてもらえることに感謝しながら日々を過ごして行こうと思う。
丈夫な身体を与えてくだすった両親に感謝の思いがわいてくるのだが、あらたまって連絡したりしたらかえって不安がられる気もしたので、何も言ってない。