土曜夜は、ソニックシティ近くの「仁乃房」というお店さんで、父母会役員のみなさまとの打ち上げ会。
しめに出たおそばのつゆが少し甘くて、その昔越前海岸沿いで食べた、やたらおいしい記憶のあるざるそばの味を思い出した。BGMは懐かしい1970年代歌謡曲。どういうお店なんだろう。壁のランチカツ丼550円という貼り紙も目につき、今度ふらっと来てみたい気がする。
先日卒業した代のお母様方のそばに座ってお話を伺いながら、スイングレンジャーっているなと思った。
もちろんレンジャースーツは着てないけど。
同じ部活に属する子の親ということでたまたま知り合い、子ども同士より仲良くなることもあるだろうし、子どもは卒業して疎遠になっても、大人の生活には二十歳前後の青年ほどの大きな変化はないから、かえって知り合いのまま、友達のままいられたりする。
悩み事や愚痴を聞いてもらうには、職場の知り合いや、親戚縁者より話しやすかったりすることもある。
問題の解決を期待したわけでもなく話したことに、「それでいんじゃない、よくわかんないけど」とか言ってもらった時、すっと光が差すような瞬間があるなら、その人はスイングレンジャーなのだ。
だから誰もが誰かにとってにスイングレンジャーになれる。
スイングレンジャーは突然やってきて、その人にしか見えない。
そういう意味では「寿司ガール」とも似ている。
ご存じないでしょうか。安田弘之『寿司ガール』。
~ 少しだけ人生に疲れた女達の前に、お寿司のネタを頭にのせた「寿司ガール」がそっと現れる。今を生きる全ての女性を応援する人間賛歌! 看護師の夢を諦めた女王様、人を好きになれない女教師、異国に憧れる少女、誰にも嫌われたくない森ガール……少しだけ人生に疲れた女達の前に、お寿司のネタを頭にのせた「寿司ガール」がそっと現れる。(amazon) ~
な本です。
回転寿司に入ったら、ある皿の上に寿司ネタを頭にのせた少女が回ってきたら、どう感じるか。
普通の状態なら、自分の目を疑い、見間違いだと思い、あ~あ俺つかれてんなと思うだろう。
そう思える人には、それは普通のハマチの皿にもどる。
そういう思考もできず、ふとその皿を自分の手元にもってきてしまう状態の人に、寿司ガールは少し力を与えてくれる。
もちろん、嫌いな上司をやっつけてくれたり、経済的援助をもたらしてくれたり、夢をかなえてくれたりといった直接的、現世的な利益をもたらすわけではない。
でも、疲れている人に必要なのは、お金や食べ物ももちろん大事だけど、そばで存在を感じてもらえていうること、ちょっと気にしてもらえていることだったりするのだ。
一回読んだあとブックオフにもっていく箱にいれようかと思ったけど、繰り返し開いているうちに愛おしくなってきた。
それになんといっても安田先生の描く女の子は、江口寿史先生級にかわいいのだ。