水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

空想組曲

2012年04月22日 | 演奏会・映画など

 土曜は練習が早上がりになったので、余裕をもって「空想組曲」という劇団のお芝居を見に行けた。
 場所は赤坂レッドシアター。初めて出かけるハコだ。
 赤坂見附の駅をでて、魅力的な飲食店が立ち並ぶ通りを少し歩くと、赤い入り口が見える。
 150人強くらいのキャパだろうか(ハコとかキャパとかすっかり業界人だね)、コンパクトな空間でステージに手が届くくらいの感覚がある。
 これくらいの大きさだと、前の方はちっちゃいパイプイスだったり、クッションがなかったりするものだが、全部いい感じのイスでこじんまりしながら贅沢感が漂う。照明や音響の機材もお金がかかってそうで、池袋やら下北沢とは雰囲気がちがった。
 こういうハコで、定演のお芝居パートだけやれたら幸せだろうなと思ったけど、それは吹奏楽ではなくなるな。
 さて「深海のカンパネルラ」というタイトルの演目は、実によく練られた脚本だった。
 事故で友人を失ったショックから立ち直れない一人の若者。
 その友人から預かった「銀河鉄道の夜」を読みながら、いつしか妄想の世界に入り込むと、自分はジョバンニとして銀河鉄道に乗り込んでいる。そこに友人がカンパネルラとなって現れる。
 妄想の世界なので、時折設定のやり直しが行われながら、独特の「銀河鉄道の夜」が繰り広げられる。
 ちょうどそれは、作者がお話を創り上げていく試行錯誤とも似ている。
 宮沢賢治がこの作品を書いたときも、同じように壊れていたのかもしれない、途中から現れる先生とよばれる謎のおじさんはもしかしたら宮沢賢治なのかと連想され、「私も妹を失ってね … 」という話でそれは確信となる。
 妄想と思われるシーンに時折、その妄想の根拠となったであろう現実世界の出来事が入り込んでくる。
 クラスのなかで人間関係を築けてなかった様子、それゆえもともと自分の世界に入りこみがちであったこと。
 そんな彼だからこそ、亡くなった友人は、心の通じ合える貴重な存在だったのだ。
 彼をなんとか現実の世界に引き戻そうとする姉(きれいな女優さんだった)は、クラスメイトや、亡くなった友人の家族に、話をしてほしいと頼む。
 親しいとはとうてい言えない、ていうかイジめてたクラスメイトにまで頭をさげ、弟と話してやってほしいと頼み込む。
 こういうのは、不登校になってしまった生徒をこちら側にひきもどそうとして、様子を見に行ってもらったり、メールを送ってもらったり、電話したり、家庭訪問したりという光景と当然重なる。
 そんなことをしても劇的に解決することはないのだ。
 カウンセラーの人とかに相談すると、とりあえずそっとしておけと皆さんおっしゃるが、そうできるなら苦労しないし、ほおっておいたらどんどん距離が広がってしまう。
 だめもとでも関わり続けるしかなく、そうしているうちに、ちょうど瓶に水がたまるように心の隙間が埋まっていくのではないかという可能性にかけるしかない。
 それをどこまで諦めずにやれるか。
 こういう状態に陥った生徒さんがいたなら、勿論声はかけようとするだろうが、一方で長丁場になるだろうなという諦念がおこることは否定できない。
 そんな気持ちを一切持たずに働きかけ続けたお姉さん(けっこう萌え~)がいたからこそ、彼はこっちの世界にもどってこれたのだ。
 という、まるで教育関係者的な見方をしていた。
 歌も踊りもなく二時間を超える芝居を見たのは久しぶりだったが、ザ芝居だった。
 出てた役者さんたちの能力の高さからすれば、もっと簡単に笑いをとりにいったり、泣かせにいったりすることも可能だろう。
 それを抑えて、アドリブも多分ぜんぜん無く、脚本に書かれた内容をほんとストイックに真面目に表現しようとしてるように見える。
 たとえば曲を演奏するにおいても、こんな風に真摯に取り組んだならば、作曲した人は心から喜んでくれるのではないだろうか。
 いい仕事を見れてよかった。誘ってくださった方に感謝したい。

コメント
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