Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

物はどこにあるのか;人はどこにいるのか

2010-02-21 21:38:07 | 日記


★ われわれが玩具とみなしているものは、もともとは、あの世の生活で死者のお供をするために墓に埋葬されなければならないほど深刻な品々だったのである。墓に埋葬された遺品の多くが、現実の物にくらべて縮小された物であるという事実は、その置き換えが決して「経済的な」動機によるわけではないことを物語っている。

★ 幼児と外界との最初の関係についての研究において、ウィニコットは、ある種の対象を同定し、それを「移行対象」と命名した。つまり、幼児が外的現実の中から分離させ、自らに同化させる最初の物(シーツや布地の端のたぐい)であり、その場所は、「親指とテディ・ベア間に、口唇性欲と真の対象関係の間にある経験の領域に」位置している。それゆえ、これらの「移行対象」は、文字どおり内なる主観性の領域に属しているのでも、外の客観の領域に属しているのでもなく、ウィニコットが「イリュージョンの領域」と呼ぶものに属しているのである。その「潜在的空間」の中に、遊戯ばかりでなく、文化的経験すらもまた据えられることになる。文化や遊戯の位置づけは、それゆえ、人間の内でも外でもなく、「第三の領域」、つまり「内なる心理的現実からも、個人の生きる実際の生活からも」区別される領域の中にあるのである。

★ 心理学の言語が手さぐりでとらえたこのトポグラフィーは、実はフェティシストや幼児、「未開人」や詩人がずっと昔から気づいていたものなのである。19世紀のあらゆる偏見から真に解放された人間の科学が、その探究の先を向けなければならないのは、この「第三の領域」に対してであろう。物は、使用と交換の中立的な対象、「前に置かれたもの」(ob-jecta)として、われわれの外、つまり計量できる外の空間にあるのではなくて、それ自身が、われわれに原初的な「場」を開示しているのである。そして、この「場」から出発してはじめて、計量できる外の空間の経験は可能となる。つまり物それ自体は、最初から、世界内存在としてのわれわれの経験が据えられる「場なき場」の中でとらえられ、理解されるのである。

★ 「物はどこにあるのか」という問いは、「人はどこにいるのか」という問いと切り離すことはできない。物神として、玩具として、物は本来いずこにもない。なぜなら、それらの場は、対象の此岸でしかも人間の彼岸に、つまり客観的でも主観的でもない、人称的でも非人称的でもない、さらに物質的でも非物質的でもない領域に位置しているからである。が、その領域の中で、われわれは突然、一見したところは非常に単純に見える未知数x、つまり人間と物に直面するのである。

<ジョルジョ・アガンベン;“マダム・パンクーク、あるいは玩具の妖精”―『スタンツェ』>





ラジオのように '2010

2010-02-21 12:20:34 | 日記


昨日。
妻の母の具合が悪いというので、実家に行くことになった。
ぼくの住んでいる東京郊外から武蔵野市まででも、それなりの距離がある。
往きは親切な“薬剤師”(最近はうちのゴミ整理まで協力してくれる―感謝!)が車で送ってくれた。
帰りは、タクシーだった。

そのタクシーのラジオで“みうらじゅん”というひとが、DJをやっており、“京都”に関する曲がテーマだった。
(みうらじゅん氏は京都の出身者であるらしいが、ぼくの偏見であるが、どうも京都出身の男性というのは信用できない;笑、しかしぼくは誰が”京都出身”かをよく知らない;爆)

ぼくはこの何十年も、こういう機会がなければ、<ラジオ>を聞いていない。
この番組を聞いていて(タクシー内で聞かないわけにはいかない、妻は寝ていたが;笑)、“ぼくの天職はDJだった!”ことに気づいた。
すなわち<ブログ>ではないのである(爆)

自分の好きな曲、もしくは、“テーマ”に沿った選曲をし、その曲をかけ、その合間にしゃべる。
なんと“ぼく向き”ではないだろうか。

当然、ぼくの好きな曲だけを、延々とかけつづけることもできるが、それが“職業”であるなら、嫌いなジャパン・ポップスや演歌からだって(新たに聴いて)、ぼくの好きな曲を発掘することもいとわない(当然、“そういう曲”はある)

すなわち、<音楽>(自分の選んだ音楽を“押し付ける”)だけではなく、“その合間に”勝手なことを言えるのである。
今日のお天気でもいいし、今日のニュースからのセレクションでもいいし、“得意の”引用でもよい。

“罵倒語”の探究を深め、あらゆる“アクチュアルな話題”を罵倒できる;ファック、シット、ブル・シット、マザー・ファッカー、コック・サッカー、ビッチ、俺のケツを舐めろ、などなど。

かと思えば、“格調高い”引用もしちゃう;

★ からまつの変わらない実直と
しらかばの若い思想と
浅間の美しいわがままと
そしてそれらすべての歌の中を
僕の感傷が跳ねてゆく
(その時突然の驟雨だ)
なつかしい道は遠く牧場から雲へ続き
積乱雲は世界を内蔵している
(変わらないものはなかつた
そして
変わつてしまつたものもなかつた)
<谷川俊太郎“山荘だより3”-この詩を昔”ラジオ“で寺山修司の朗読で聞いた)


★ 不安な季節が秋になる
そうしてきみのもうひとりのきみはけつしてかえつてこない
きみははやく錯覚からさめよ
きみはまだきみが女の愛をうしなつたのだとおもつている

おう きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
<吉本隆明“分裂病者”>


★ 人は沈む
深い眠りのトンネルを
花びらのように
乱れて流れて

ああ でもわたしはひとつの島
太陽が貝の森に差しこむとき
わたしは透明な環礁になる
泡だつ愛の紋章になる
<大岡信“環礁”>


★ 「なぜ小鳥はなくか」
ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた
非常に高いところから落ちてくるものに
感動したのだ
そしてまた夢のなかへ「次ぎの行」へ
ぼくは入っていった
<田村隆一“星野君のヒント”>


★ たとえば一羽の小鳥である
その声よりも透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてなかった
<田村隆一“見えない木”>


★ 或る時わたしは帰ってくるだろう
やせて雨にぬれた犬をつれて
他の人にもしその犬の烈しい存在
深い精神が見えなかったら
その犬の口をのぞけ
狂気の歯と凍る涎の輝く
<吉岡実“犬の肖像”>


★ 近代芸術が、解放の理論家たちよりもいっそう革命的なものを含んでいるとすれば、それは、「自然でない欲求」や「倒錯」を極限にまで推し進めることによってしか、人は自分自身を見いだし、抑圧に打ち勝つことはできないということを、近代芸術が最初から理解していたという点である。
<アガンベン;『スタンツェ-西洋文化における言葉とイメージ』>




<注記>

このブログでは、ぼくの好きな曲をかけるわけには、いかない。

ゆえに、上記の引用を、あなたの好きな曲をかけながら、読んでください(笑)

ご親切なら(あなたが、よ)、ぼくが選びたかった曲を、<想像>してください。





Snapshot;世界ではいろんなことがおこっている

2010-02-21 10:08:14 | 日記


☆<全長3.4メートル 巨大イカ、深海から漂着>アサヒコム2010年2月21日3時13分


☆<直木賞選考委員、五木寛之さん辞意 「選評にミス」>アサヒコム2010年2月20日6時55分

 直木賞選考委員の五木寛之さんが、同賞の選評でミスがあったとして、選考委員を辞める意向を文芸春秋に伝えた。文芸春秋は強く慰留している。同賞は日本文学振興会が主催し、文芸春秋が実質的に運営している。
 選評は22日発売の「オール読物」3月号に掲載される。佐々木譲さんの今期の受賞作「廃墟(はいきょ)に乞(こ)う」を論評するなかで、「破顔した」という表現について論じているが、その表現は作品中にはなかった。五木さんが出稿後に勘違いに気付き、訂正を求めたが間に合わなかったという。
 18日に五木さんに会った文芸春秋の役員と編集者によれば「ミスを見過ごしたのは編集部の責任と伝えたが、五木さんからは選考の厳しさを知らせるためにも、1行の過ちで身を引くこともいいのではないかと言われた」と話している。
 五木さんは1978年から選考委員を務め、現役最長。


☆<ウッズ、婚前契約で離婚回避 高い慰謝料、復縁の武器に>アサヒコム2010年2月20日13時46分

 【ニューヨーク=山中季広】浮気の数々を妻やファンに謝罪することで、タイガー・ウッズ(34)が再起に向けて動き出した。結婚生活が破綻(はたん)しなかったのは「プレナップ(prenup)」と呼ばれる婚前契約制度のおかげだと評判だ。慰謝料や遺産目当ての結婚を防ぐための制度だが、復縁にも有効な手立てとして脚光を浴びている。
 10人を超す浮気相手捜しが一段落すると、米国内の関心は、スウェーデン出身の妻エリンさんがウッズと離婚するかどうかに向かった。注目を集めたのは、夫妻が交わした「婚前契約書」の存在だ。
 5年ほど前に結婚した2人は「婚姻が10年続いたら、それ以降に万一別れる際、ウッズ氏はエリンさんに2千万ドル(約18億円)を支払う」との契約に署名していたという。財産分与や慰謝料目当てのかりそめの結婚ではないことを確かめるためだった。
 米メディアによると、昨年11月に浮気がばれると、この条項は「婚姻が7年を超えたら、エリンさんは5500万ドル(約49億5千万円)を受け取ることができる」と変更された。「エリンは相当怒ったようだ」「それでもウッズは別れたくないらしい」という見方が広まった。
 離婚訴訟に詳しいマーリン・ブラウン弁護士によると、こうした婚前契約が米国で結ばれるようになったのは30年ほど前から。離婚や死別に備えて、財産の区分けをあらかじめ決めておくのが狙い。富豪や有名人が、それほど資産を持たない結婚相手との間で結ぶのが典型的だ。
 近年は、資産家でも著名人でもない一般の夫婦に広がっているという。「預貯金や不動産の分配を決める例が多いが、持つべき子どもの数、配偶者のウエストの太さの上限、月々の性交渉の頻度まで明文化する夫婦もいる」
 急増した理由としては(1)若いうちに身ひとつで結婚するカップルが減り、年齢が上がって守るべき資産を抱えてから結婚する男女が増えたことや、(2)離婚で財産をめぐるトラブルに懲りた男女が、再婚時には財産のドンブリ勘定を避けるようになったことが大きいという。
 愛情で結ばれるはずの夫婦が計算ずくで資産の線引きをすることに抵抗はないのか。「互いの損得勘定があからさまに出るので、婚前契約は恋愛感情を白けさせる。それでも10年前に比べたら、米市民の抵抗感は減った」と話すのは、婚前契約を研究している米マルケット大学のジョセフ・ヒルトン教授。「驚いたのは、ウッズがよりを戻すための武器に使ったこと。従来はもっぱら、短い結婚で財産を奪われないための防御策だった。これで婚前契約が一段と普及するだろう」
     ◇
「婚前契約」を結んだとされる主な著名人(敬称略)
芸能 ブリトニー・スピアーズ、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ
   トム・クルーズ、ブラッド・ピット
球界 バリー・ボンズ
財界 ジャック・ウェルチ(ゼネラル・エレクトリック社元会長)
政界 ジョン・マケイン、ジョン・ケリー(いずれも上院議員)


☆ 〈人は、起こしたことで非難されるのではなく、起こしたことにどう対応したかによって非難される〉。10年前に東京商工会議所が作った、企業向け危機管理マニュアルの書き出しにある◆言葉の主は「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を言う――」の詩で知られるサミュエル・ウルマンとの説もあるが定かでない。ともかく冒頭の至言は企業の間で少なからぬ共感を呼び、手帳に書き留めて胸に忍ばせる広報マンもいた◆当然、人は「起こしたこと」についても相応の非難を受ける。しかしその後の対応如何で非難の度合いは100倍にもなれば、逆に100分の1にもなる◆つまるところ、危機に際しては情報公開を徹底し、認めるべき落ち度は迅速に認めるのが最善、ということだ。ただしこれが極めて難しい◆米国でトヨタ自動車に対する風が、ますます強く、冷たくなっている。原因の一つが、後手後手の対応にあることは間違いない。豊田章男社長が今週、米議会の公聴会に臨む。正念場をどう乗り切るか。経団連の会長を2代輩出したトヨタが、「人は――」の至言を知らぬはずはなかろう。(読売編集手帳)


☆ 子どもは宝探しが大好きだ。繰り返し遊ぶうち、そこが庭なら庭を、森なら森を知ることになる。小道を抜けたら杉木立、桜並木の裏手には小さな池というように▼年初から続く本紙の「しつもん! ドラえもん」が50回を迎えた。1面にあるクイズの答えをその日の紙面から探し、「情報の森」に遊んでもらう試み、幸い好評と聞いた。丸っこいのが跳んだり転げたりする姿に、横の当方も和んでいる▼東京の「ひととき」欄で、埼玉県の主婦がドラえもんの効能に触れていた。教室での態度が乱れ、学校から脳波検査を勧められた小学4年生の息子さんが、新聞を熱心にめくり始めたという。「その横顔を見るたび、私の心にかすみ草ほどの小さな花が咲く。大丈夫。この子は大丈夫……」▼興味の対象を見つけた子を、祈るように見守る親心である。多くの読者から、親子の会話が増えた、子どもが朝刊を取りに行くようになったと、うれしいお便りが届いている。新聞が喜ばれ、併せて小さな読者を育むのなら言うことはない。小欄も見習いたい▼22世紀からやって来たドラえもんは、腹のポケットから色んな道具を取り出し、のび太を助ける。ご近所のよしみで質問。のぞけば文章が浮かんでくる「すぐ書けるーぺ」なんてものは……ないよねえ▼ドラえもんのせりふに〈未来(みらい)なんて、ちょっとしたはずみでどんどん変(か)わるから〉がある。作中では楽観を戒める言葉だが、何事もあまり悲観することはないとも取れる。毎朝の問答で、一つでも多くの未来が輝きますように。(天声人語)


☆<シンリンオオカミ「最後の母」ナナ、糖尿病死>(2010年2月21日08時49分 読売新聞)

 富山市ファミリーパーク(富山市古沢)の雌のシンリンオオカミ「ナナ」(9歳)が19日、糖尿病による多臓器不全で死んだ。
 ナナが2005年に6頭の子を産んで以来、シンリンオオカミの国内繁殖例はなく、いわば「最後の母」。同園は後継者を出来るだけ早く見つけ、再び繁殖につなげたい考えだ。
 シンリンオオカミは北米大陸の森林地帯に生息する。保護すべき動物としてワシントン条約の付属書にも記載され、国内で飼育する動物園は10か所もない。
 ナナはカナダ・オンタリオ州の野生動物センターで生まれ、04年1月に同園にやってきた。一緒に来園した雄のサスケ(6歳)と夫婦になり、05年に雄3頭、雌3頭の六つ子を出産した。子どもたちはいずれも北海道や秋田、群馬県など県外の動物園に譲られ、最近は夫婦2頭暮らしだった。
 オオカミの寿命は15年程度。9歳のナナは人間だと50~60歳に相当する。しかし、1か月ほど前から座り込んで起きあがらなくなり、調べたところ、尿中の糖の値が高くなっていた。食事制限と投薬で治療したが回復せず、19日午前8時に死んだ。
 エサは馬肉や鶏の頭などオオカミの飼育では一般的なもの。ナナの歯の減り具合が年齢以上に進んでいたことから、実際にはかなり高齢だった可能性もあるという。
 野生のシンリンオオカミは4、5頭の母系集団で生活している。同園の村井仁志飼育展示係長は「2、3歳の若い雌を後継者にしてサスケとの繁殖に取り組み、親子の群れで暮らすオオカミの姿をお見せしたい」と話している。