ディランの新譜がでたようだが、聴いてない。
今日は洗濯をしながら、ひさしぶりに音楽を聴いた。
“おなじ曲ばかり聴くヤツだと、お思いでしょうが”、いまぼくが聴いた音楽を、聴いた順にリストアップし、若干のコメントをつけたい。
☆ ピリス:モーツアルト“ピアノ・ソナタ第15番・第2楽章”(最近の定番)
モーツアルト好きには怒られるだろうが、ぼくは、モーツアルトはこれだけでいい。
しかしぼくは現在、“クラシック”と呼ばれるジャンルでは、モーツアルトとバッハしか聴かない(笑)
☆ ボブ・ディラン:“ある朝でかけると”(最近の定番、2回聴く)
これはディランの曲のなかでは、有名でないのではないか。
ぼくには、有名でない曲を“発掘”して、通ぶる趣味はないが、よい曲である。
☆ ボブ・ディラン:“見張塔からずっと”
こっちは文句なしのディランの“代表作”のひとつ。
この歌詞をぼくも訳してみたが、詞と音楽が信じられないほど一体化した文句なしの名曲。
☆ボブ・ディラン:“ミスター・タンブリン・マン”
なにも言うことなし(笑)
☆ ボブ・ディラン:“コーヒーもう一杯”(2回聴く;笑)
なにも言うことなし
☆ ビートルズ:“ディア・プリューデンス”(ポールのベースかっこいい)~“グラス・オニオン”(リンゴのドラムスかっこいい)~“ホワイル・マイ・ギター・ジェントル・ウィープス(ジョージの切々たるボーカル泣ける、クラプトンのギターも)~”ハッピネス・イズ・ア・ウォームガン“(ああ、ジョン!悶絶)
☆ ドアーズ:“ラヴ・ハー・マッドリィ”~“ラメリカ”~“ヒヤシンス・ハウス”~“ザ・ワスプ”
このアルバム(“L.A.ウーマン”)は、年月の経過とともに輝きを増すロック史上の傑作のひとつである、ジム好きだよ(つまり何十年にもわたり、何千回聴いても、新鮮である)
☆ バッド・カンパニー:“バッド・カンパニー”~“レディ・フォア・ラヴ”
☆ フリー:“ハート・ブレイカー”(ベースは“テツ”、2回聴く)
ぼくは、“ポール・ロジャース節”が時々、無性に聴きたくなる(笑)
最近クィーンとやっているのに感銘は受けたが、やはりFREE時代のスゴミはなかった(“ハート・ブレイカー”などFREE後期の曲も、ポール・コゾフとアンディ・フレーザーがいたFREEよりはおちる)
FREEのアンソロジー・アルバムに大貫憲章君(笑)のライナーノーツがあった;
《ロックが今よりもまだずっとずっと若かった頃の、青春の光と影の伝説。ぼくにとって、FREEはそんな、自分自身の蒼い時代のホロ苦くも溌剌たる思い出のバンドだ。そして、その存在と音楽は、今も、そしてこれから先もずっと、ぼくの心の中から消えることはないだろう》(引用)
この文章自体が、もうずいぶん前に書かれたのではないか。
60歳をすぎたぼくは、《青春の光と影の伝説》などという言葉を、はずかしくて吐けないのだが、《その存在と音楽は、ぼくの心の中から消えることはないだろう》というのには同感である。
☆ グールド:バッハ“パルティータ1番と2番”(定番)
きょうとくに心に沁みたのは、出だしと、2番の“サラバンド”だった。
グールドのバッハは宗教的ではない、が、<ダンスと祈り>(キース・ジャレット)がある。
すなわち<祈る>ことは、宗教的でなくとも、可能である。
☆ ジャレット+ピーコック+デジョネット(トリオ):“あなたと夜と音楽と~エクステンション”
ぼくはこのトリオのアルバムをほぼすべて聴いてきて、どのアルバムもクズではないが、極言すればこのアルバム(“STILL LIVE”;日本タイトル「枯葉」)1枚があればいい(実際はCD2枚組みだけどね)
もっと極言すれば、“ジャズ”と呼ばれる音楽では、このアルバムがあればいい。
たまにはマイルスやコルトレーンやアート・アンアンブル・オブ・シカゴが聴きたくなるにせよ。
たしかに“もっと粘着質の黒い音楽を聴きたい”ということもあるが、ぼくはそういう音楽を見いだしていない。
このような(上記のような)音楽を聴けるなら、ぼくには、<J-POP>と称するような音楽は必要ない。
今のぼくには、たくさんの音楽は必要ない。
”新しい”音楽、新しいアーティストも必要ない。
しょっちゅう音楽を聴いている必要もない。
偶然聴く(聴こえてくる)音楽も好きだ。
先日、昼休みに入ったイタリアンな店で、”典型的カンツォーネ”がかかっていた(”帰れソレントへ”とか”カタリ、カタリ”だろう)、それを聴いた瞬間、解放感あった。
むしろ、おなじアーティストの、同じ曲が、何年、何度聴いても、新鮮なことに驚くのだ。
たとえばグールドのバッハに、”音楽”ジャンルを超えた、<不滅の>という言葉にいちばん近いものを感じる。