★ 私の中に味の悪い不安と腹立ちがある。いや私が路地について忠実に言おうとすると、私が今に至っている過程も、路地が今に至っている過程もここにもあそこにもある遠近法どおりにわかるのに、酒に酔いしれて、地に倒れている男のようにことごとく脈絡を欠き、腹の中で海がうねっているように不安定になる。いつかそんな小説を書こうと思った。それは私が初めて長編小説を書き出す前に考えていたもので、女房子供に逃げられた評論家という設定の長編だった。小説を書こうとする小説家の小説ではなく、綿密なテキスト校訂と注釈をやる評論家の小説で、テキストはこの世にまったく存在しない架空の武勲詩だった。
★ <海の神が海から這い上がり岩場に身をよこたえていた>という冒頭を持つその武勲詩は半神半魚の大きな裸体の神が日の光の元に体をさらしているところから、その神が殺されて海が血でわきたち、地上には病気が蔓延するというのが第一章で、評論家はその第一章の後半で登場する血で汚れた海から生まれた醜く小さい者が町々をさすらい病気を治癒して歩く姿を、これ以上細密に注釈できぬほどに注釈を加えていくのだった。
★ その時も「ケンジ」と呼びかけられるまで4回湯船に入りもういい加減に湯気に当り眼がくらんでいた。見ると横につかっているのが完治だった。「おまえ、新宮のどこに住んどるんな?」と訊くので新宮には遊びに来たのだと言って立ち上がる私につられ、立ち上がった完治の肩に刺青がある。色の入っていないただ青だけの龍の刺青が両肩から背中に廻って尻の辺りまで来ている。
「どこで彫ったんな?」
私が訊くと、完治は湯舟のへりに子供のように股間をかくしもせずに座り、「どこで、と言うて、こんな新宮で彫り物出来るやつおるかい?」と私がまだカンジ・ケンジとからかわれていた路地の子供のままだと言うように、「大分かかっとるんやだ」と言う。
★ そのカンジが死んだのは最近の事だった。
★ 老婆の話から私は立ち上がって坂道をやってくる女の背丈から肉つきまで今眼にしているようにありありと想像出来ると思った。肥った顔の平べったい女で、老婆はその女を駅前のバス発着所で何度か見かけた事がある気がすると言った。完治は老婆の家に女を見せに来た以外に何の用があったわけではなかった。訊ねると一言二言口をきき黙っていると黙りつづける女に退屈したがさりとて完治と話をすればどうなるのか分かっているので老婆は口を閉ざし、人の家から帰る潮時を分からない二人がうっとうしいと心の中でつぶやいた。所在なく二人が座っているのを見て「あんたらもう来る時間と違う」と言うと、完治は「いや」とウスノロらしく答えたが女は気まずいのが分かったように帰ろうと立ちあがり、「おおきに有り難うございました。すみません」と何のつもりか調子をつけて礼を言い、外へ出、今度は夜道が危ないと思ったのか下に降りて山の頂までついた石段をのぼっていくと言う。
★ シンゴは、ほどなくもどり、路地の裏山は自分の眼で登って確かめてみると、下からあおぎみるのとは違って頂上からはどこもかしこも凡庸な風景で、自分にも完治が石でも投げて景色を波立ててみたいと思う気持が分かる気がすると、小林のオバがむくれるような訳のわからない事を言い、
「あの女、病気じゃだ」
と言って、老婆の顔をみつめた。
老婆はシンゴの眼をみつめて、その病気が何なのか知った。老婆は私にもその名を口に出さなかった。だが、それを口に出さずとも、路地の山に表れたそれが未来永劫に渡って病気の中の病気、苦しみの中の苦しみとしてあり、私はカンジ・ケンジと仇名された者として、私のかたわれであるウスノロで頓馬な完治がその女が業病と呼ばれた病を患っていたからこそさがし出して来て恋を知った年少の者のようにはしゃぎ戯れ、治療しようと本能として動いたのだと思った。今さらながら完治が私が書く予定だった小説の中の、評論家がデッチ上げ綿密に校訂し注釈を加える武勲詩の、海神の血がたぎり腐った果てに生誕した賤しく醜い治療神に能うる限り似ているのに気づいたのだった。
★ 完治が死んだのは傷がいえその包帯が取れてすぐの事で、滅多に酒を飲まない男が深酒して眠り込んでいた駅のベンチから転がり落ち、耳から大量の血を流しての事だった。その日のうちに、完治のバラック建ての家は何人もの路地の男衆や市役所から派遣された路地の出の職員らの手によって縄をかけて引き倒され、そこにあった物一切合切たき火をたくように燃やされ、その煙が夕焼けの光に赤黒く染まって路地の方に流れ落ちてくる頃、路地の誰が見て来たのか、完治の体のいたるところが皮膚を破って血を流さぬようブラックジャックで殴られた跡が無数にあったと噂が流れた。完治は誰に殺されたのか分からない、いや殺されたのかどうかもブラックジャックの跡を見た者が見つからぬ今確証出来るものはないが、確かな事は、カンジ・ケンジの片割れである完治が死んで一月もたたぬうちに山を削り取る作業が始まった事だった。さらに確かな事は、海神が殺されて流した血で海があふれ、その腐臭の立つ海から生誕した治療神がまたも血を流して死に、再び腐臭が家々をおおい、辻辻はぬらぬらする腐った血でおおわれたという新しい章がその架空の武勲詩に加わり、主人公の評論家は腹の中の海が揺れて波立つように不安定なまま、それに更なる綿密な校訂と注釈を加えるという事である。
<中上健次;“海神”-『熊野集・火まつり』(小学館文庫、中上健次選集9)>