このブログでは<本>について書くことが多いし、読んでいる本からの<引用>だけのブログも多い。
だから、このぼくのブログを読んでくださる人々は、“このブログの書き手(warmgun)は、本が好きなひとなんだ”と思われるだろう。
しかし、ぼく自身は、自分が“本好き”であるかどうかについて確信はない。
すごく単純に言って、いまぼくに本を読むよりエキサイティングなことがあるなら、本は読まないだろうと思う。
つまりぼくは“文学青年”タイプでも、“学究者”タイプでも全然ない。
だから忙しかったり、疲れていれば、本は読まない(読めない)
なにがなんでも“読めたり”、疲れているとき読んで“癒される”こともない。
そういうときは、むしろ、つまらない映画をぼーっと見たり、音楽を“少し”聴く(なによりも、寝る)
だから、そういう“中断”のあとに、<本の世界>に入ることは、やはり“おどろき”なのだ。
つまり、その本の世界の、“直前”まで、ぼくは、<ここに>まったく本の世界とは無縁の<現実の世界>を生きているからである。
すなわち、この2010年2月19日金曜日の、薄暗く寒い一日の夕方に、ある一冊の本を数ページ読み(敗戦直後のある人の文章を読み)、また、<この現実>に還るのである。
この“あたりまえのこと”こそ、“おどろくべきこと”なのである。
その本にある文章は、ぼくが生まれる前に(直前に)書かれた。
ぼくはその時代のリアルな雰囲気も、その本を書いた人の表情も息遣いも知らないのだ。
その人の<名>を知っていても;渡辺一夫である。
もちろん<そのひと>の“表情も息遣いも”知っているひとの“みちびき”はある;この文庫本(『狂気について』)なら、清水徹と大江健三郎にみちびかれて。
清水徹(このひとはビュトール、デュラスの翻訳者であり、すぐれた“評論”を書いた)による“解題”がある;この『狂気について』は、1970年代に刊行された“渡辺一夫著作集”からの清水氏によるセレクションである。
この“解題”において、ぼくはそのセクションⅢにおさめられた“トーマス・マン『五つの証言』に寄せて”に注目した。
この文章は1946年2月28日の日付をもった、渡辺一夫が“師”(辰野隆)に宛てた手紙である、引用しよう;
★ 今から考えてみますと、自ら若干滑稽な感じもし、先生お笑いになるかもしれませんが、あの15日の正午まで、私はこのマンの訳稿を常にポケットに潜ませ、「本土決戦」に備えていたのであります。即ち、私も国民義勇隊員でありましたから、いずれは本職の軍人たちをしばらくの間でも山岳地帯に温存するために、竹槍を持って一大ゲリラ戦に駆り出されるに違いないと思っておりました。そうした折、もちろん必ず私は、紫匂う武蔵野のはてを若干の「戦友」と彷徨せざるを得ぬことになりましょうが、ポケットに収めたこのマンの訳稿をぜひとも戦友達に読ませ、このような考え方も世のなかにあり得るということを死力を竭して(つくして)判ってもらい、徹底的に議論しようと思っておりました。そして、一人でも二人でもマンの考えに共鳴する人が出てきたら、私を併せて二人あるいは三人になるが、それでよいのだとまで考えておったのであります。
上記引用文を読んで、ぼくがまず“反応する”のは、
《紫匂う武蔵野のはてを若干の「戦友」と彷徨せざるを得ぬ》という言葉である。
まず《紫匂う武蔵野のはて》という言葉が、こころに残る。
もちろんこの古風な文学的表現は、この文書が書かれた<背景>の上に浮かびあがるのだ。
もちろんここで述べられていることの<意味>が最後に残る;
《そして、一人でも二人でもマンの考えに共鳴する人が出てきたら、私を併せて二人あるいは三人になるが、それでよいのだとまで考えておったのであります》
まさに、これこそ“ブログ”を書き続ける<指針>ではないだろうか!(爆)
《マンの考えに共鳴する人》というのを、<ぼくの考えに共鳴する人>に入れ替えるのでは、“ない”のである。
<ぼくが“引用する人”(の言葉)>に入れ替える。
さてこの“手紙”にはトーマス・マンの“原文”(の渡辺一夫翻訳)は収録されていない(それは本になるので、それへの“批判”を渡辺一夫は師に依頼している)
清水徹はその“解題”で、そのマンの文章(一部)を引用している;
★ 一切のユマニスムのなかには、脆弱な一要素がある。それは一切の狂信主義に対する嫌悪、清濁併せ飲む性格、また寛大な懐疑主義へ赴く傾向、一言にして申せばその本来の温厚さから出て来る。そして、これは、ある場合には、ユマニスムにとって致命的なものともなり得る。今日我々に必用かもしれないのは、戦闘的なユマニスム、己が雄々しさを確証するようなユマニスム、自由と寛容と自由検討の原則が見す見すその仇敵どもの恥知らずな狂信主義の餌食にされてしまう法はないということを確信しているユマニスムであろう。
<トーマス・マン『ヨーロッパに告ぐ』>
このマンの発言は、戦争に向かうヨーロッパでなされた。
渡辺一夫は戦争が始まった時以来、この発言を収めた小冊子を“雑嚢に入れて身辺から離さず、警報と警報との合間に少しずつ訳した”のである。
もちろん、まさに、いま、こういう文章をどう受け止めるかが、問題である。
マンが発言し、渡辺一夫が手紙を書いた“時代・場所”と、<現在>は、まったくちがっているのであろうか。
マンの<ユマニスム>に対する“批判”とそれに対する渡辺一夫の“共感”は、過去の遺物であろうか。
まったくそんなことはない。
《今日我々に必用かもしれないのは、戦闘的なユマニスム、己が雄々しさを確証するようなユマニスム、自由と寛容と自由検討の原則が見す見すその仇敵どもの恥知らずな狂信主義の餌食にされてしまう法はないということを確信しているユマニスムであろう》
戦闘的ユマニスム。
たしかに“ぼくら”には、
《己が雄々しさを確証するような》機会が、まったくなくとも。
<ヒューマニズム>の名のもとに、《恥知らずな狂信主義》によってわれわれを《餌食にするもの》がいる以上、ぼくもこのブログにおいても、<戦闘的ユマニスム>を擁護し、たたかいを継続する必要があるのである。
たとえ、
<一人でも二人でも“戦闘的ユマニスム”の考えに共鳴する人が出てきたら、私を併せて二人あるいは三人になる》
ために。
<翌朝追記>
すなわち<ユマニスム(ヒューマニズム)>とは、“多数派工作”ではない、のである。
“多数を取る”ことだけを目的とするあらゆる言説と行為は、<ユマニスム>でも<デモクラシー>でもない。
内田樹(のよーなひと)が言う<政治>=《反対派を効果的に排除する能力》も「《反対派と仲良くなってしまう能力》も、<ユマニスム>でも<デモクラシー>でもない。
まったくそのような<能力>は、無意味(虚無=からっぽ)である。
あらゆる社会科学と哲学と科学と文学は、それが“有意味である”ならば、そのような<能力>と無縁であることを目指している。
<多数>ではない;
《一人のひとが私を併せて二人になる》ような言説と行為のみが、<人間主義>である。
<多数>が暗愚に陥るとき、ひとり目覚め、逆境のなかで、ただひとりの理解者を得られるかどうかもわからない言葉を発するものが、“考えるひと”であったのである。