タイトルに掲げた青山真治の3冊(ここでは映画ではなく“小説”について述べるが)は、<関係している>。
すなわち、ぼくは最初の2冊を読了し、現在『Sad Vacation』に取り掛かったが、まさにこの<関連>によって、最初の2冊の世界が変容することを体験するのだ。
すでに『Helpless』を読むことによって、『EUREKA』の世界は、まったくちがった姿を見せていたのだ。
こういうことは、青山真治の作品だけに限らないだろうが、やはり、これらの小説が、“いま、ここで(日本の作家によって)書かれたことは、刺激的である。
(『Sad Vacation』を読み終わらないとわからないが、この連作はまだ増殖する可能性がある)
『Helpless』に収められた三つの中・短篇自体が“秋彦”をめぐる連作であったが、その真ん中にある“わがとうそう”から引用する;
★ 終点の河口湖駅には肌寒い風が吹いていたが、空は底抜けに青く晴れ渡っていた。改札を出ると、急に頭がくらくらして、立っていられなくなり、待合室のベンチに座り込んだ。埃っぽい駅前ロータリーにまだ低い陽光が射して、そこだけくっきり輝いているのが寝不足の目に痛かった。観光バスが入って来て、またみすぼらしい砂塵を舞い上げた。立ち上がって待合室を出た。見まわすと、左手奥にプレハブのバスの切符売場があった。中に入り、時刻表を見ると西湖へ向かう路線バスの出発は1時間半もあとだったが、理由もなく拘ってここまで来た「西」という字がそこにあるのが気になって、バスが来るまで眠って、それから乗ればよい、と考え、西湖行きの切符を買い求めた。もっと西へ。見知らぬ場所へ。
★ 穏やかに射す陽光がその樹木の下に濃い影を落とすなか、湖畔までまっすぐ歩いた。左側に古びたキャンピングカーを置いただけのバンガローやバンガロー代わりの払い下げの廃バスなどが整然と並んでいるが、人の気配というものが一切なく、まるで死者たちのための場所のように静まり返っていた。すぐ湖畔に辿り着き、そこに立って湖の全体を眺め渡した。
★ だが秋彦が探したのは、目を奪われるそんな美しい景色とは別のものだった。動くものは風の吹くたびにささくれ立つ湖水と、やはり風に煽られて靡く木の葉ばかりだった。目を閉じた。生命の気配を感じさせない、死そのもののような、それでいてすべてがはっきりとした輪郭に収まって鮮明に頭に思い描ける巨大な自然に包まれながら、闇の中で耳を澄ますが、冷たい風の音以外、他に聞えてくるものはない。すると不意に、今度こそ、自分一人がその中にいるとはっきりわかるように、これまで世界と自分を遮断し続けた距離が消えて、秋彦は世界にぴったりと一致した。疎外も吸収も膨張も収縮もなく、秋彦はいま、世界そのものだった。そこではじめて、この上も下も前も後ろもない闇こそが「自分の生まれ来たところ」だ、と思い至った。これを発見するために、何の縁もない一切の記憶と切れたこの場所に来た、とわかった。
★ 秋彦は涙を流した。夢から醒めてもなお、涙は流れ続けた。何もかもやりたくてやったことではない、と自身に取り繕いながら、ただ声を上げて後悔の涙を流し続けた。あらゆるものに等しく降り注ぐ陽光を湖面が反射し、その光が半開きの瞼をこじ開けるように瞳を刺した。その痛みを受け容れながら、これから先、あらゆる記憶をきれいさっぱり忘れてしまうのではなく、その逆にすべてを記憶してその重みに撓みながら生きていく、と漠然と悟った。
★ 涙が乾ききったのを認めてから、秋彦は立ち上がった。そうして踵を返すと、東京へ帰るために下りてきたスロープを戻り始めた。柳のような樹木は相変わらず穏やかな風にそよぎながら、瑞々しい濃い影を地面に落としていた。その木立の向こうに停まったオートキャンプの車が、点けていたラジオのヴォリュームを上げた。ラジオのアナウンサーが普段とはどこか違う切迫した響きのある声で何かを読みあげているのが、近づくにつれて徐々に鮮明になって秋彦の耳に届いた。声が読んでいるのは、ほとんどが東京都区内の地名と氏名のリストだった。それが終わりのないように続く。東京で何かあった、と秋彦は咄嗟に予感した。何か大変な、飛行機事故かビル火災か地震か、それらに類する何か。リストはその被害者に違いない。立ち止まって聞き入った。ふと恵がその事故だか事件だかに巻き込まれた可能性を考え、読み上げられる住所と名前を残らず聞き逃すまいと、さらに全身を緊張させて耳を澄ませた。
はじめは地面を見つめながら。
次いで顔を上げ、電波の降り注ぐ底抜けの青空を睨みながら。
<青山真治“わがとうそう”―『Helpless』(新潮社2003)>