Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“EUREKA/2000”―“Helpless/2003”-“Sad Vacation/2006”

2010-02-27 14:25:52 | 日記


タイトルに掲げた青山真治の3冊(ここでは映画ではなく“小説”について述べるが)は、<関係している>。

すなわち、ぼくは最初の2冊を読了し、現在『Sad Vacation』に取り掛かったが、まさにこの<関連>によって、最初の2冊の世界が変容することを体験するのだ。

すでに『Helpless』を読むことによって、『EUREKA』の世界は、まったくちがった姿を見せていたのだ。

こういうことは、青山真治の作品だけに限らないだろうが、やはり、これらの小説が、“いま、ここで(日本の作家によって)書かれたことは、刺激的である。
(『Sad Vacation』を読み終わらないとわからないが、この連作はまだ増殖する可能性がある)

『Helpless』に収められた三つの中・短篇自体が“秋彦”をめぐる連作であったが、その真ん中にある“わがとうそう”から引用する;

★ 終点の河口湖駅には肌寒い風が吹いていたが、空は底抜けに青く晴れ渡っていた。改札を出ると、急に頭がくらくらして、立っていられなくなり、待合室のベンチに座り込んだ。埃っぽい駅前ロータリーにまだ低い陽光が射して、そこだけくっきり輝いているのが寝不足の目に痛かった。観光バスが入って来て、またみすぼらしい砂塵を舞い上げた。立ち上がって待合室を出た。見まわすと、左手奥にプレハブのバスの切符売場があった。中に入り、時刻表を見ると西湖へ向かう路線バスの出発は1時間半もあとだったが、理由もなく拘ってここまで来た「西」という字がそこにあるのが気になって、バスが来るまで眠って、それから乗ればよい、と考え、西湖行きの切符を買い求めた。もっと西へ。見知らぬ場所へ。

★ 穏やかに射す陽光がその樹木の下に濃い影を落とすなか、湖畔までまっすぐ歩いた。左側に古びたキャンピングカーを置いただけのバンガローやバンガロー代わりの払い下げの廃バスなどが整然と並んでいるが、人の気配というものが一切なく、まるで死者たちのための場所のように静まり返っていた。すぐ湖畔に辿り着き、そこに立って湖の全体を眺め渡した。

★ だが秋彦が探したのは、目を奪われるそんな美しい景色とは別のものだった。動くものは風の吹くたびにささくれ立つ湖水と、やはり風に煽られて靡く木の葉ばかりだった。目を閉じた。生命の気配を感じさせない、死そのもののような、それでいてすべてがはっきりとした輪郭に収まって鮮明に頭に思い描ける巨大な自然に包まれながら、闇の中で耳を澄ますが、冷たい風の音以外、他に聞えてくるものはない。すると不意に、今度こそ、自分一人がその中にいるとはっきりわかるように、これまで世界と自分を遮断し続けた距離が消えて、秋彦は世界にぴったりと一致した。疎外も吸収も膨張も収縮もなく、秋彦はいま、世界そのものだった。そこではじめて、この上も下も前も後ろもない闇こそが「自分の生まれ来たところ」だ、と思い至った。これを発見するために、何の縁もない一切の記憶と切れたこの場所に来た、とわかった。

★ 秋彦は涙を流した。夢から醒めてもなお、涙は流れ続けた。何もかもやりたくてやったことではない、と自身に取り繕いながら、ただ声を上げて後悔の涙を流し続けた。あらゆるものに等しく降り注ぐ陽光を湖面が反射し、その光が半開きの瞼をこじ開けるように瞳を刺した。その痛みを受け容れながら、これから先、あらゆる記憶をきれいさっぱり忘れてしまうのではなく、その逆にすべてを記憶してその重みに撓みながら生きていく、と漠然と悟った。

★ 涙が乾ききったのを認めてから、秋彦は立ち上がった。そうして踵を返すと、東京へ帰るために下りてきたスロープを戻り始めた。柳のような樹木は相変わらず穏やかな風にそよぎながら、瑞々しい濃い影を地面に落としていた。その木立の向こうに停まったオートキャンプの車が、点けていたラジオのヴォリュームを上げた。ラジオのアナウンサーが普段とはどこか違う切迫した響きのある声で何かを読みあげているのが、近づくにつれて徐々に鮮明になって秋彦の耳に届いた。声が読んでいるのは、ほとんどが東京都区内の地名と氏名のリストだった。それが終わりのないように続く。東京で何かあった、と秋彦は咄嗟に予感した。何か大変な、飛行機事故かビル火災か地震か、それらに類する何か。リストはその被害者に違いない。立ち止まって聞き入った。ふと恵がその事故だか事件だかに巻き込まれた可能性を考え、読み上げられる住所と名前を残らず聞き逃すまいと、さらに全身を緊張させて耳を澄ませた。
はじめは地面を見つめながら。
次いで顔を上げ、電波の降り注ぐ底抜けの青空を睨みながら。

<青山真治“わがとうそう”―『Helpless』(新潮社2003)>





ああ! “オー・マイ・ゴッド!”

2010-02-27 09:02:15 | 日記


このブログは、“ある話題”をめぐる<引用>のみで構成されます。

これらの引用に、ウンザリする<感性>をおもちの読者は、下にある“ロックンロール・ニガー”ブログをお読みください;


☆得点のアナウンスを聞いた瞬間、金妍児(キム・ヨナ)(韓国)は「オー・マイ・ゴッド!」。隣に座るブライアン・オーサー・コーチに英語で驚きを表し、右手で口を押さえた(アサヒコム)

☆ 身近な国とフェアに競い、学び合う中でアジア全体のレベルが上がり、その結果、世界でのアジアの存在感が増していく。スポーツから学び取るべきことは、実に深い(朝日社説)

☆ 政府は、12年のロンドン五輪でのメダル増に向け、有望競技への支援策に10年度のスポーツ関連予算を手厚く配分している。冬季競技に対しても、こうした国のサポートは欠かせまい(読売社説)

☆ 頂点を目ざしてきた真央さんには悔しさもあろうが、相手が完璧(かんぺき)に演じたのだから仕方がない。試練から逃げず、ライバル物語に花を添えた二人に拍手を送りたい▼タラソワコーチは、真央さんのことを「神様からの贈り物」という。逸材は、日本女性のたおやかさを存分に見せてくれた。鮮烈、良質なドラマを残し、時差17時間の氷上にも春一番が吹き抜けた(天声人語)

☆ ◆思い出した歌がある。〈はたちの日よきライバルを君に得て自ら当てし鞭いたかりき〉。詩人、堀口大学が西条八十の霊前に捧げた一首という。「十九の日」ならば、氷上の二人だろう。自分の演技に納得していない――浅田選手は涙で途切れとぎれに語り、自責の痛い鞭をわが身に当てた。金選手もまた、好敵手の顔を脳裏に浮かべて猛練習を積んだだろうことを思うとき、金銀のメダルはともに両者の美しい共作と言えなくもない◆あなたには、今日の「クライ」を明日の「キス」に変えられる若さがある。時間がある(読売編集手帳)

☆「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。東京都の石原慎太郎知事は25日、バンクーバー五輪の日本選手の活躍に対する国内の反応について、報道陣にこう述べた。
 同日あった東京マラソン(28日開催)の関連式典のあいさつでも同五輪に触れ、「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」と話した(アサヒコム)

☆ 東京都の石原慎太郎知事は26日の定例会見で、苦戦が続く日本選手の戦いぶりついて、「かわいそうで見てられない」などと感想を述べた。会見詳報は以下の通り。
 --バンクーバー五輪での日本選手の戦いぶりについて
 「もうかわいそうで見てられないよ。あれが日本の実力なんだよ」(産経新聞)


(番外;カンケーないかな?)
☆ ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIが26日、都内で自身プロデュースのジュエリーブランド『YOSHIKI Jewelry』の新作発表会を開き、今後のX JAPANの活動に言及。「ロスのライブハウスでやろうかなって思ってます」とアメリカでの初ライブハウス公演開催を示唆して、バンドの拠点を「10何年ぶりにアメリカに移動する」と発表した。
  新作ジュエリーは、独創性、激しさと強さ、静寂、美しさといったYOSHIKIから引き出されたイメージを融合したデザインテーマで2008年秋にデビュー。新コレクションは、全国展開に先駆けて3月6日(土)から専用サイトで販売するほか、同日から25日(木)まで東京・新宿マルイワン1Fの特設ブースで展示販売される(オリコン)





”オー・マイ・ゴッド!”と言う人にぼくは言いたい;

キッス・マイ・アス!

《今日の「クライ」を明日の「キス」に変えられる若さがある》―ひとにさ(爆)


今日は休み、つまらないことは忘れて、本を(気持ちのよい言葉を)読もう。

今日は『カント哲学』(ジャン・ラクロワ;文庫クセジュ)かな?(笑)

それとも青山真治『サッド・ヴァケイション』の続きを読むか?